第19話 天穴の裂け目

 爆心地から半径五十キロの域内は森も街も灰燼に帰し、動く物も無かった。その更に外側に四十キロ域内でも塀は倒れ、窓ガラスは割れ、家々からは火災が起こっている。アスファルトは溶け、車は横転し、様々なものが焼ける臭いが立ち込めた。地獄絵図、まさにその言葉そのものであった。




 コトシロの部屋のホットラインも、当然の如く通じなかった。呼び出し音は鳴るが、誰も出ないのである。もろいな、有銘は思う。今ドラーコがもう一発核を使えば、この国は簡単に終わるだろう。とは言え、ドラーコとて核を使ったのは思惑があっての事だ。まさか天穴を間に挟んだこの国を支配しようなどとは思ってはいまい。狙いは如意宝珠のみ。ならばここから先は交渉に持って行くつもりなのだろう。


 もちろん、核兵器はこの世界にもある。報復として天穴の向こうに核を撃ち込むという手段を取るかもしれない。けれど、そうなっても困るのはリウであってドラーコは大して被害は受けない。今の所ドラーコに直接通じる天穴が見つかっていない以上、それ以外の解答はない。


 なんとも不公平な話だが、所詮この世は不公平なものである。つまりドラーコの勝ちは見えている。あとはどう勝つかだけだ。ならば少しはこちらの政府にも考える時間を与えるだろう。その間にロヌが如意宝珠に近付けなければ、ドラーコの一人勝ちになる。それだけは避けねばならない。まだチャンスはある、だが時間はない。急がねばなるまい。


 ドアがノックされた。開いたドアの向こうに立っていたのはノコヤネ。


「ご飯の用意ができたからって、寮母さんが」

「あら、随分早いのね」


「今日はラーメンにしたそうです。時間かけられる雰囲気でもないから」

「そう、それで」


「え」

「したんでしょ、スキャン」


 有銘は自分の頭を指差した。


「ええ、一応は」

「一応ってどういう事」


「いえ、ナビコナがいま能力全開で使ってますから、ナビコナの脳に入ろうとしたらバレますし」

「じゃ、ナビコナ以外は全員スキャンしたのね」


「はい、とりあえずは」


 その答に、有銘は露骨に苛立ちを見せた。


「それで、結果は」

「は、はい、あの、首塚についてはみんなあのとき聞いたのが初めてで、それ以外の知識はなかったです」


「酒呑童子や宝珠についてもなかったのね」

「はい、ありませんでした」


「いいわ。ナビコナについては、またわかったら教えて頂戴」

「はあ」


 了解とも溜息とも取れる返事をしたノコヤネの唇を、有銘は一瞬で奪った。


「ご褒美」


 そして背を向けると、食堂へと歩き出した。




 結局夕方に緊急対策本部を官邸に置いたものの、これといった対策を打ち出せないまま政府の機能不全は夜半まで続き、日付が変わる頃になってようやく核攻撃を受けた事実を公に認めた。


 政府はパニックにならぬようにと国民に訴えかけたが、自然災害とは訳が違う。渡島半島の人々は深夜に車で函館へ詰め掛け、フェリーを出せと騒ぐ事となった。また次の攻撃が何時どこにあるとも知れぬ中、疑心暗鬼に陥った政府は災害派遣命令も出せず、道内の各組織、各機関が自主的に被災者救護に回るという有様であった。報道各社は我先にヘリを飛ばして火災現場の延焼をあおり、被災者の怒りを買った。野党の政治家たちは口々に政府の対応の遅れを罵りはしたが、何一つ有益な事はできなかった。




 そして夜が明けた。白い清浄な陽光が黒い焦土の空に届いた頃、またコトシロに託宣が下った。


「第四十地区、富士青木ヶ原、竜宮洞穴」


 それは首相官邸に直通で届き、しかしそこから現地自治体へ伝えられるには、一拍の間があった。


 もし前回と同じ、核兵器を飲み込んだ恐竜が現れたら。青木ヶ原から半径五十キロの域内の人口は五十万人をゆうに超える。爆風の影響を受ける半径九十キロ圏内ならば百万人以上だ。青木ヶ原は山脈に囲まれているので、実際に被害を受けるのはその南側から南東側の都市に集中するのだろうが、それでも強制避難指示を出したところで、敵が天穴から現れるまでの時間では全域の完全避難など絶望的である。けれど。


 政府は強制避難指示を発令した。たとえパニックが起きたとしても、一人でも多くの国民が生き延びられるのならば。その僅かな可能性に賭けたのだ。




 ツクヨミは眼を閉じた。集中する。深く息を吐き、目の前の何かに触れるかのように両手を伸ばす。その手が震えていた。怖いのだ。またあんな光景を目にするのかと思うと。その右手を、それより小さな手が包んだ。目を開けるまでもない、コトシロの手だ。左手も握られた。トリフネの手だ。そして抱き締めるように両肩に置かれたのは、ハヤヒノの手だ。震えはまだ止まらないが、ツクヨミは瞼の奥の『もう一つの眼』を見開いた。




 竜宮洞穴からほど近い国道を寸断するように戦車部隊が配置につき、その砲を洞穴へと向けた。上空には偵察ヘリが飛び交い、対戦車ヘリも発進準備が完了している。攻撃の準備は整っていた。だが、住民の避難は遅々として進まない。こんな状況で攻撃などできる訳がない、現場の隊員は皆そう思っていた。




 聖天寺学園の敷地内に入って来た一台の黒塗りのミニバンが寮の前に横付けで停まった。降りて来たのは賀茂防衛大臣政務官、そして毛皮の帽子と毛皮のコートで身を包んだキメペである。


「政務官、どうされたのですか」


 寮に入って来た二人を見て、有銘は驚いた。このタイミングで来るとは思っていなかったのだろう。そちらに一つうなずくと、賀茂は少女を見た。


「トリフネ」

「は、はい」


「こちらのキメペ特使を竜宮洞穴まで移送して欲しい」

「えっ」


 空気が凍った。しかしそんな事など知らぬかのように、賀茂は平然と視線を移した。


「スサノオ、君にはキメペ特使をリウの政府まで送り届けてもらいたい」

「天穴の向こうへ行けって言うの」


 抗議の声を上げたのはハヤヒノ。だが。


「命令ならば異存はない」


 スサノオの返事もまた、平然としたものであった。


「ちょっとあんた、そんな勝手に」


 怒りの矛先はスサノオへと向かう。それを賀茂が抑える。


「ハヤヒノ」

「だって、無茶よ政務官、そんなの」


「スサノオには無茶をしてもらう為に神童に入ってもらった。君たちとは少し違う」


 君たちとは少し違う。その言葉にハヤヒノはショックを受けた。いや、ショックを受けている自分に驚いていた。そのとき。


「来る……大きい」


 ツクヨミが天穴とその向こうの敵を捉えた。


「一、二、三、ティラノサウルス型三頭、核爆弾も三つ」


 有銘が現場の指揮官に連絡する。


「まだ来る……これは、トラック」

「トラック?」


 それは賀茂の声。


「トラックは、これ何だろう、荷物がいっぱい。人もいっぱい」

橋頭堡きょうとうほを築くつもりか」


 賀茂は有銘にうなずく。有銘はその旨を指揮官に連絡した。


「トラックは……三、四、五、全部で五台。あ、歩兵竜も来た。多い……十五……二十……三十、歩兵竜は三十頭」


 ふっと息をつくツクヨミに、賀茂は首を振った。


「まだだツクヨミ。トリフネが安全に跳べる場所を探してくれ」

「んー……今なら、洞穴の屋根の上。一番警備が手薄な所」


「よし、ではトリフネ、頼む。彼らを送ったらすぐ帰って来るんだ」

「すいません、場所の確認だけ」


 そう言うと、トリフネはツクヨミの隣に立った。そして互いの額をくっつけて、念を込める。


「……わかった?」


 少し不安げなツクヨミに、トリフネは「うん」と笑顔を見せた。


「そいでは、なんとかやってみますか」


 トリフネはキメペの左腕と、スサノオの右腕を抱えると、強く目を閉じ、息を止めた。その瞬間、三人の姿は見えなくなった。


 それを見届けた後、賀茂は有銘に後を頼み、そこで初めて天照日美子の顔を見て、優しく笑った。そして玄関の向こうのミニバンへと向かう。


 玄関の扉が開く音と同時に、トリフネが食堂のテーブルの真上に戻って来た。


「お帰り!」

「どうだった?」


 フツヌシとミカヅチが出迎えた。トリフネは安心したように一つ大きく息を吐くと、顔を曇らせた。


「リザードマンの兵隊がうじゃうじゃいた。あんな所に置いて来ちゃって良かったのかな」

「良くはない」


 ハヤヒノは不貞腐れている。


「でも仕方ない」

「そうね、今はスサノオの力を信じましょう」


 有銘の言葉を受け、一同の視線はツクヨミに集まった。


「まだ動いてない、まだ大丈夫」




 洞穴の天井は厚い溶岩が緩やかなドームを形作り、その上には樹々が曲がりくねった根を八方に伸ばしている。太い樹の陰から下を覗き込めば、五十人ほどのリザードマンがトラックから荷物を下ろし、何やら設営を始めていた。この角度からでは天穴は見えない。あるとするなら洞窟の入り口よりも数メートル向こう、ティラノサウルス型が出てきている事から見ても少なくとも六、七メートルの高さまで空間が裂けているはずだ。


「い、行けますか、ね」


 キメペの声が少し震えている。いかに腹を括っていても、怖いものは怖いのだろう。


「少し荒っぽくなるが、構わないか」


 そう言うスサノオに、キメペは小さくうなずいた。


「何とか、多分」

「では行く」


 言うが早いか、スサノオはキメペを軽々と、タオルでも掛けるかのように右肩に担いだ。そして短い助走で跳んだ。水平距離で五メートル、高低差は八メートル程はあろうか。しかも着地点は岩場、目測を数センチ誤っただけで大ケガをする事間違いなしの状況で、スサノオは苦もなく岩の上に降り立った。と同時に背後を振り返る。樹海の樹々の隙間を潜って地表まで辿り着いた朝の光の中に、蚊柱のように揺らめき立つ空間の裂け目が見えた。


 バネが弾かれたかの如くスサノオが宙に身を躍らせる。今さっきまで立っていた岩が銃弾で抉られる音を背後に聞きながら、スサノオとキメペは天穴の中へと飛び込んだ。




「天穴に入った。ここから先は追えない」


 ツクヨミは疲れ果てたように息を吐いた。ハヤヒノはツクヨミの後ろに立つと、髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。


「お疲れさん」


 ツクヨミはハヤヒノの手にそっと触れた。


「大丈夫だよ」


 小さくうなずく。


「きっとスサノオは大丈夫だから」

「……別に心配なんてしてない」


 うつむくハヤヒノにナビコナは笑顔を向けた。


「わかりやすいなあ」




 三頭現れたティラノサウルス型は、一頭を洞穴の前に残し、他二頭は県道へと進んだ。そして県道を南下し、交差する国道へと向かう。国道には戦車部隊が通行を寸断するように並んではいるが、この大型肉食恐竜に向かって砲撃を加える車両は、一台たりともない。撃てる訳がなかった。


 二頭は悠々と国道へ達すると、そこで東西に分かれた。そしてまるで戦車などそこに居ないかの如く、平然と国道を駆け抜けて行く。それは言うまでもなく被害地域の拡大を意味する。だが誰にも止められない。もはや誰にも。

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