第18話 麻痺

 午前中の授業は全て眠って過ごした。優等生のノコヤネにしては珍しいと周りの誰もが思ったものの、マレビトの故か見逃してもらった。気が付いた時にはもう四時限目は終わり、教室では皆昼食を広げていた。食堂に行くか、いやその前に。携帯を確認した。自分の寝ている間に何か起きていないとも限らないからだ。果たして、メールが一通届いていた。


 はやる心を抑えながら、ノコヤネは廊下を速足で歩いた。視聴覚教室まで、いつもならおよそ七分の距離を五分で辿り着いた。引き戸をノックする。思った以上に力が入り過ぎて、大きな音になってしまった。焦って周囲を見回していると、静かに戸が開いた。中から伸びて来た手がノコヤネの腕を取る。


「あっ」


 ノコヤネは視聴覚教室の中に引っ張り込まれた。


 薄暗い。視聴覚教室には普通のカーテンと遮光カーテンの二つがあるが、普通のカーテンだけが閉められ、蛍光灯は点いていなかった。有銘はノコヤネの正面から腰に両腕を回した。


「私を待たせるなんて、いい度胸ね」

「す、すみません。メールに気付かなくて」


 有銘の顔が近付く。唇がほんの一瞬触れ合った。


「あなたにお願いがあるの」


 吐息が顔にかかる。ノコヤネは手の置き場所に困っていた。このまま有銘の背中に両腕を回し、抱き締めてもいいのだろうか。いいのならば抱き締めたい。だが怒られる気がする。しかしキスまでしているのに、今更抱き締めたくらいで怒られるだろうか。いやいや待て、早まるな。がっついているように思われたらどうする。けれどこのまま腕を宙ぶらりんにしておくのも返って不自然だろう。でもなあ。


「ねえ、聞いてる?」

「あ、はい、すみません。聞いてます」


「この間の京都の首塚の件、覚えているわね」

「はい、もちろん」


「じゃあ他のみんなが、あの件についてどう考えているのか、調べて頂戴」

「え。調べるって、アンケートでも取るんですか」


「そんな事ならあなたに頼んだりしません。あなたのテレパシーを使いなさいという事です」


 つまり、皆の頭の中を覗けという事か。


「それは、ちょっと」

「私のお願いじゃ聞けない?」


 潤んだ瞳が見つめる。


「いえ、そういう訳ではなくて、あの」

「なあに」


「その、何故そんな事が必要なんですか」


 声が次第に小さくなる。血の流れる音が鼓膜を内側から叩く。心臓が口から飛び出そうだ。


「それは言えないわ。機密事項ですもの。でもあなたを信頼しているから、ここまで話したのよ。それじゃ駄目なの」

「ええっと、ええっと」


「それとも」


 有銘は身体を押し付け、体重をかける。


「何か欲しいものがあるのかしら」


 ノコヤネの両腕は反射的に動いた。有銘の肩に手を置く。が、その手は滑り落ちるように背中へと回った。有銘を抱き締めた。有銘の口に微笑みが浮かんだ。




 六時限目の授業の途中、突然コトシロは教室を飛び出した。その手の中の携帯を操作し、最初に出て来る番号をタップする。首相官邸直通回線。


「第四地区、洞爺湖、中島、だけど、だけど」


 その顔は恐怖に引きつっていた。


「絶対に攻撃しないで!」



 神童のメンバーに非常招集がかかり、一同は寮の食堂へと集まった。一方、統合幕僚監部会議は紛糾した。コトシロの託宣に重きを置くべきだという意見はあったが、それに対し、国民の目もある、いかに超能力者とは言え子供に「攻撃するな」と言われて何もせず手をこまねいている訳には行かない、と反発する声もあったのだ。


 だがそもそも一番最初、コトシロが初めて歩兵竜の出現を予知したとき、意味不明だとして無視した結果、村一つが全滅している、それを繰り返すつもりか。いやあのときと今とでは状況が違うだろう。とけんけんごうごう意見はぶつかったが、結局最終的には統合幕僚長の判断を仰ぎ、ツクヨミの透視結果を待つとの事となった。


 不幸中の幸い、今の時期中島には人はおらず、島外へ繋がる橋などもない孤立した場所である。大きな被害が出ることはあるまいと考えられたのだ。




 コトシロの託宣からツクヨミの千里眼が敵を見つけるまで、ゆうに二時間はかかった。


「出た」


 心なしかいつもよりも緊張した面持ちである。


「島の北西、広場みたいな所。大きい」

「また角竜なの」


 有銘がツクヨミの顔を覗き込むように尋ねる。


「違う。ティラノサウルスみたいな感じ」

「大型の獣脚類ね。何頭出たの。また五頭?」


「ううん、一頭だけ」

「それは妙ね。体の中には何かない?」


「ある。大きな機械。初めて見たから何かわからないけど」

「でも」


 コトシロが言う。


「とても不吉で怖い。そんな気配がします」


 二人の様子を見て、有銘は携帯を手にした。


「雨野有銘特務審議官です。統合幕僚長にお伝えください、今回は最悪の状況を想定された方がよろしいかと」


 報告を聞き、統合幕僚長は半径二十キロ域内の強制避難指示を首相官邸に要請、更に航空自衛隊に指示を出した。住民避難完了後、対艦誘導弾で遠距離攻撃を実施せよと。直ちに三沢基地においてF‐2戦闘機が発進準備に入った。




 日本列島を竜の姿と、北海道をその頭と捉えるなら、喉笛の位置にある最大直径十キロほどの六角形の湖、洞爺湖。その真ん中に浮かぶ中島に天穴が開き、大型の恐竜が現れた。頭までの高さは六メートル、全長は十三メートルになんなんとする巨体。口に生え揃う牙はその食が生き物の肉であることを示している。


 ツクヨミの言う通り、暴君竜ティラノサウルス・レックスに似ている。ただ、不思議な事が一つあった。この恐竜は過去に天穴から出て来た恐竜たちとは違い、ボディアーマーを纏っていない。裸の状態で送り出されて来ていた。そしてその体内の謎の機械。それらは何を意味するのか。




 賀茂道延はキメペの許を訪れていた。


「天穴が開きました」

「おお、それでは」


「いえ、今回は無理なようです」

「何かございましたか」


「単刀直入にお尋ねします。ドラーコは核兵器を持っているのですか」


 賀茂の深刻な表情に、キメペは得心が行った。


「それは核分裂兵器の事ですかな、もしくは核融合兵器の事でしょうか」

「どちらかは保有しているという事ですね」


「いえ、両方存在しております」


 賀茂は天を仰いだ。


「……迂闊でした。もっと早くうかがうべきでした」

「ドラーコが核を使ったのですか」


「先ほど天穴から現れた大型肉食恐竜が、それらしきものを体内に抱えています」

「大竜ですな。何頭現れました」


「一頭です」

「ならばそれは使者であるとお考えになった方がよろしい。これ以上戦いを長引かせるつもりはないという通告でありましょう」


「交渉の余地ありと考えても良いのでしょうか」

「宝珠を差し出すと言わない限り交渉には乗ってこないでしょうが、時間は稼げるかもしれません」


「わかりました。やれるだけはやってみましょう。ありがとうございました」


 少し疲れたような笑顔を見せ、賀茂が立ち上がった時、胸ポケットの携帯が振動した。


「はい、賀茂です。ああ大臣、ちょうど今こちらからご連絡差し上げようと……は? 攻撃が決定した? お待ちください、敵は核を持っているのですよ……いえ、確かに可能性の段階ではあります、けれど……統合幕僚監部の決定? 既に三沢から出撃した? それを御するのがあなたの仕事ではありませんか!」


 電話は切れた。賀茂はしばし呆然と佇むと、一つ大きく溜息をついた。


「みっともない所をお見せしました。本日はお休みください。後日また参上致します。では」


 そう言うと、キメペに背を向けて玄関へと向かった。




 青森の三沢基地を発進したF‐2は一直線に洞爺湖へと向かい、目標まで四十五キロの地点で対艦誘導弾を二発発射した。反転するF‐2を背に二発の誘導弾は一路洞爺湖へと向かう。亜音速で空を走り、高度を下げて行く。目指すは洞爺湖の真ん中に浮かぶ中島、その南西部にある船着き場近くまで移動した大型恐竜。二発のうち一発が見事恐竜の頭を射抜いたとき、体内の信管が作動した。


 一瞬の静寂。現れ出でた巨大な光の玉が島を飲み込む。爆風は轟音と灼熱と共に半径五十キロの域内の樹々を家屋を灰へと消し去り、湖の水を一瞬で沸騰させ、天を裂く勢いでキノコ雲を数万メートルの高さへ駆け上らせた。




「あああああっ!」


 ツクヨミが顔を抑えて声を上げた。それは喉が張り裂けんばかりの叫び。


「ツクヨミ!」


 体を押さえようとしたハヤヒノを、尋常ではない力で跳ね飛ばす。


「うああああっ!」


 そして立ち上がり、走り出した。その正面に立ちはだかるスサノオ。その岩のような身体を持ち上げるほどの勢いで、ツクヨミはぶつかった。だが僅かに後退っただけで、スサノオはツクヨミを受け止めた。暴れる細い肩を大きな両手で包み込む。


「もう見るな。目を閉じろ」

「人が、街が、消えた」


 絞り出すようにそれだけ言うと、ツクヨミは泣き崩れた。




「核を使ったのか!」


 駆け込んできたグレインに、ガルギエルは満足そうに微笑んだ。


「無理に使うつもりは無かったのだがね。まさかこうも迂闊な相手だとは驚いた」

「あそこに宝珠があったらどうするつもりだ」


「そう思えばこそ、人口密度の低い場所を選んだのだよ」

「しかし」


「向こうもこれで少しは懲りただろう。あと一押しすればもう我らには逆らえまいて」


 戦とはこうするものぞ。冷徹な微笑はそう言っているようにグレインには思えた。




 強制避難指示の指定地域の遥か外側にまで甚大な被害が生じた事に、政府はパニックを起こし、一時的に機能が麻痺した。有銘の電話は首相官邸は勿論、統合幕僚長へも繋がらない。


「仕方ないわね。取り敢えず待機しましょう。ナビコナ、周囲に異常がないか見張ってくれる」

「はあい」


「お母さん、こんな状況で悪いんだけど、晩御飯の用意してくれますか」

「あいよ」


「ツクヨミ、コトシロ」


 ツクヨミは自分の席に戻っていた。だが涙が止まらない。その隣でコトシロも泣きべそをかいていた。


「あなた達、ご飯は食べられそう?」

「……わからない」


 ツクヨミはつぶやいた。


「そう、じゃ食べられそうなら食べなさい。無理はしないでいいわ。天照さん、二人を任せていいかしら」

「あ、はい」


「私はコトシロの部屋のホットラインが使えるか確認してきます。ハヤヒノ、しばらくお願いね」

「……うん」


 一拍遅れた返事。ツクヨミの様子に動揺しているようだ。


「ハヤヒノ」

「え」


「しっかりしなさい。こんな時にあなたが頑張らないでどうするの」

「そう……そうだね、うん、いや、はい」


 何とか笑顔を見せたハヤヒノに、有銘も笑顔を返した。


「ノコヤネも、頼むわね」


 わかっているわね、そう念押しする視線だった。


「はい」


 ノコヤネは力なくうなずいた。

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