第20話 リウ
天穴を通過するには時間にして一秒かからなかった。
スサノオの目の前に現れたのは、晴れ上がった青い空、延々と続く草原。その向こうには湖があり、
スサノオはキメペを抱えて走った。走りながら左手で背中からショットガンを抜く。セミオートのセベリルSP120はチューブマガジンだけで二十発の実包が入る。右手でチャージングハンドルを引き実包を薬室に装填した。
いかにスサノオといえど、キメペを肩に担いだままでそう長時間は走り続けられない。スピードも出ない。歩兵竜が肉迫する。その口が開いたとき、スサノオはトリガーを引いた。しかし脳は撃ち抜かない。体内に爆弾を抱えている可能性があるからだ。
グリップを下に、銃口を上に向け、左手の親指でトリガーを引く。結果、歩兵竜は顔の前半分、上顎の鼻先を吹き飛ばされる形となった。もんどりうって倒れ込み、悶絶する。だがその後ろからすぐ次が来る。しかも後続は真っ直ぐ襲い掛かっては来なかった。右へ右へと回り込む。歩兵竜は標的をスサノオの右肩の上のキメペに変えたようだ。スサノオの右隣に並走し、キメペにかぶりつこうとする。
「ひええええっ」
キメペの口から情けない声が漏れた瞬間、スサノオは足を止めた。急な変化に制動が掛からず口を開けたまま体勢を崩した歩兵竜の上顎を、散弾が撃ち抜く。追い付いて来ている歩兵竜はあと三頭、その背後にはさらに五頭が迫り、ずっと向こうには十数人の兵が銃を構えている。止まっていては狙い撃ちだ。スサノオはキメペを放り出した。
「伏せていろ」
そして走る。スサノオはローブの中からチョコバーを取り出した。その包みを口で破ると中身を咥える。そのまま三頭の歩兵竜に直進した。
二頭のティラノサウルス型は国道に沿って東西へと走り抜けて行く。その様子を偵察ヘリからの映像で見ながら、緊急対策室の内閣の一同は
「何とかできんのか」
首相の苛立つ声に、防衛大臣は顔を上げる事ができない。
「今は、打つ手が無く」
「敵からの交渉の連絡は」
「未だありません」
「ええい、どうしろと言うのだ!」
テーブルを叩く音と共に首相の苛立ちが頂点を迎えたとき、不意に防衛大臣が立ち上がった。
「どうした」
「龍が」
「何」
「龍が……来る」
真っ青な顔でそれだけつぶやくと、防衛大臣は前のめりに倒れ込んだ。直ちに救急車が呼ばれたが、このとき既に心臓は鼓動を止めていた。
一つ、そして二つ三つと銃声が響いた。三体の歩兵竜が倒れ、悶え苦しんでいる。スサノオは二本目のチョコバーを口に運んだ。そしてキメペに走り寄ると右肩に担ぎ、また走った。
歩兵竜はともかく、厄介なのは兵隊の銃だ。立ち止まれば撃たれるし、背中を見せても撃たれる。相手の前を横切る方向に走りながら、距離も取らなければならない。つまり斜め方向に走るしかないのだ。
どこまで行けばこの草原の果てがあるのかわからないが、とにかくここを抜け出し、リウの民間人の居る場所までキメペを送り届ければ、あとは何とかなるだろう。それまでの間に身体がガス欠を起こさなければの話であったが。スサノオは走りながら三本目のチョコバーを口に咥えると、加速した。
「先遣隊、仮設指揮指令所の設置、完了しました」
上がって来た報告に、ガルギエルは満足げにうなずいた。
「敵からの反撃は」
「一切ありません」
「天穴の状態は」
「昼まではもつかと」
「ならば小竜を百、追加で送れ」
「敵が無線で交渉を呼びかけてきておりますが」
「まだだ。まだ早い。今しばらく恐怖を味合わせろ。ところで」
一つ、息をつく。
「演習場に迷い込んだウサギはどうなった」
「現在も逃走中です」
「狩り出せ。手の空いている者は全て投入しろ。生死は問わん、ここに引き摺り出せ」
ガルギエルの口元に冷酷な笑みが浮かんだ。
スサノオは大きくジグザグに走った。まだ銃弾を食らってはいない。だが銃を撃つ兵士の数が徐々に増えている。このままでは早々に狙撃の餌食となるだろう。しかも歩兵竜はジグザグには付き合わず、ジグザグ幅の中央に狙いを定めて真っすぐ進み、もうすぐ後ろに来ている。草原の終わりは見えない。息が上がる。
スサノオは身体を右に傾けた。進路が右に寄って行く。それは歩兵竜に近付いていくという事。即ち狙撃に対する盾として歩兵竜を使うつもりであった。歩兵竜の進路と自らの進路が重なったとき、スサノオはジグザグ走行をやめた。己と狙撃手の間に歩兵竜を挟んだ状態で真っ直ぐに、一直線に駆けた。
狙撃手との距離が一気に開く。だが歩兵竜との間は縮まる。背中に息のかかるほどの距離に近付いたとき、スサノオは身を翻した。口を開けた歩兵竜の鼻先をショットガンで吹き飛ばす。そして再び背を向け走り出す。が、その足がもつれた。前のめりに倒れながら、上半身をひねり、背後に近付いた歩兵竜を撃つ。だが外した。ガス欠だ。こんな所で。その身が大地に横たわった瞬間、スサノオとキメペは姿を消した。霧の如くに。
光を全く反射しない暗黒の球体。直径二十メートルはあろうか、それが無音で空に浮かんでいた。どこから現れたのか誰も知らない。突然、富士を背景にした樹海の上にその姿を現したのだ。自衛隊員も、ドラーコの兵たちも、呆気に取られて空を見上げている。その球体が、突如垂直に落下した。
しかし地響きを立てるでもなく、羽根のように静かに降り立ったそれは、ティラノサウルス型を一瞬で飲み込んだ。そして周囲をぐるりと転がる。指揮指令所が、何体もの歩兵竜が、そして何十人ものドラーコ兵が飲み込まれた。球体はまた音もなく飛び上がると、姿を消した。
そして現れたのは、国道を西へと走るティラノサウルス型の真上。再び落下し、ティラノサウルス型を飲み込むと、また姿を消し、次に現れたのは東へ走るティラノサウルス型の上、これまた音もなく飲み込んだ。
それを緊急対策室で見ていた首相は、しばし呆然としていたが、核を抱いたティラノサウルス型が姿を消した事を何度も現場に確認し、その上で総攻撃命令を出した。戦車と対戦車ヘリの砲火の雨に曝されて、残りの歩兵竜とドラーコの兵員たちは一瞬で壊滅させられてしまった。
「先遣隊、全滅しました」
「何が起こった」
ガルギエルは溢れ出す怒りを懸命に抑えた。
「現在判明しているのは、大竜三体の反応が突然消えた事、指揮指令所が破壊された事、以上です。詳細は天穴より撤退してきた者たちに聴取しませんと」
ここまで兵を惜しんできた結果がこれか。良い笑い物ではないか。ガルギエルは頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。もはや演習場のウサギの事など頭の片隅にさえなかった。
「直ちに詳細を解明せよ」
歯噛みしながら何とかそれだけを口から絞り出すと、ガルギエルは腕を組んだ。三つの核はいずれも爆発していない。どのようにして取り除いたというのか。何らかの尋常ならざる事が起きたとしか考えられない。
そこに至り、ガルギエルはその可能性に気が付いた。もしや宝珠を使ったのか。だとするならば。ガルギエルは口元を小さく歪ませた。
草原ではなかった。上に空は無く、天井がある。襲い掛かる歩兵竜も居なかった。横たわる下は板張りで、ひんやりと冷たい。足の方向に動く気配がある。思わず身を起こしショットガンを向ける。だが手元から蹴り上げられ、それは宙に舞った。身体に力が入らない。スサノオは拳銃を抜こうとして、やめた。
「やめよ、フノクト」
離れた場所から声がする。声が幼い。
「ですが陛下」
「我がリウの恩人である。無礼は許さん」
「……仰せのままに」
フノクトと呼ばれた水色の髪のリザードマンは、渋々言葉に従った。その隣に、小さな影が立った。リザードマンの年齢はよくわからないが、子供であることは間違いないようだ。高貴な身分であるらしく、身の丈にはやや大きすぎるきらいのある帽子と、重ね着の着物を着こんでいる。しゃがみこんでスサノオの顔を覗き込む。
「異界の戦士よ。キメペを連れて戻ってくれた事、感謝するぞ」
そう言うと、スサノオの頭側に回り込み、倒れ伏しているキメペの背中を叩いた。
「これ、起きぬかキメペ」
「ほえ」
気を失っていたのだろう、間抜けな声をだしてキメペは目覚めた。
「目が覚めたか」
「……こっ、これは陛下っ! いかがなされましたか、こんな所でっ」
「これ、こんな所と申す者があるか。ここは聖宮なるぞ」
「へ、あ、なんと、いつの間に」
「陛下が御力にてここまで転移させてくださったのだ、感謝するがいい」
転移とは即ちテレポートの事であろう。神童の中では、トリフネが自ら触れた物を跳ばす事ができるが、この「陛下」は触れる事のできぬ遠隔地にある物を跳ばすことができるという事か。フノクトの言葉に、キメペは床に額をこすり付けた。
「ははーっ、有難き幸せにてございます。このキメペ、言葉もございません」
「苦しゅうない。そなたがこちらに戻った事は監視衛星の反応でわかっておったのだが、場所を特定するのに時間がかかった。許せよ」
「そのようなお言葉、勿体のうございます」
ぴっ、ちーっ。包装を破る音。国皇カヌリクタムとフノクトとキメペが振り返る。スサノオが大の字に寝転んだままチョコバーを咥えていた。
「貴様、陛下の御前である、礼をわきまえよ」
怒るフノクトを、カヌリクタムが抑えた。
「よいよい苦しゅうない」
そして笑顔を向けた。
「そなた、腹が減っておるのか」
スサノオはうなずきながら、チョコバーを噛み砕いた。
「糖質が足りない」
「よかろう、何か食事を用意させよう。その代わりと申しては何だが、朕に異界の話を聞かせてはくれまいか」
カヌリクタムは楽し気にそう言った。
邦崎防衛大臣の死去に伴い、急遽後任人事が執り行われた。通常であれば首相が兼務するか、副大臣が昇格し、その任に就く。しかし現在の難局に当たり、首相は大臣政務官の賀茂を後任に指名した。より現場に通じている者の声を必要としたのである。
「謹んで拝命いたします」
賀茂防衛大臣の誕生である。
「パーティ、ですか」
ノコヤネは困惑した。こんなタイミングで与党の派閥のパーティがあるという。前々から決まっていた事なので変更はできないらしい。そして賀茂防衛大臣の就任祝いを兼ねる事になったそうだ。それは構わない。自分の知らない所でそういう事をやっていたとしても、特に気にはならない。問題はそのパーティに自分が出席することになりそうだという事だ。
「何で僕が」
「あなたもそろそろこういう世界を知っておいても損はないと思うの」
有銘はそう言った。
「それに調べて欲しい事もあるし」
「また酒呑童子ですか」
「あら、察しがいいわね。その通り。パーティの参加者の中に、首塚の事を知っている者が居ないかどうか調べて頂戴。神童のメンバーを調べるより楽なはずよ。無防備だしね」
ノコヤネの部屋、有銘はベッドの端に座り脚を組み替えた。このまま押し倒してしまえばどうなるだろう。ノコヤネは一瞬想像する。だが。駄目だ、できない。そんな事をすれば何か大切なものを失うだろう、それは目に見えていた。
「何か不満でもあるのかしら」
黙りこくってしまったノコヤネに、有銘はまた脚を組み替えた。
「いえ、別に不満は」
「じゃあ何。欲しいものでもあるの」
欲しいものが口に出そうになる。お前だよ、と言いたくなる。だがノコヤネはそれを必死で抑えた。
「そういう訳じゃ。ただ」
「ただ?」
「ナビコナもまだ調べなきゃいけませんし」
「そうね。それはそれとしてやって頂戴。でもパーティにも出てもらいます。いいわね」
有銘はベッドから立ち上がると、ドアへと向かう。
「期待してるのよ」
背中越しにそう言うと、有銘は部屋を出て行った。
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