第13話 魔天の貸し

 ヘリから発射された対戦車ミサイルが角竜の装甲を貫き、轟音と共にその身体を内側から打ち砕いた。歩兵竜も逃げ惑う暇すらなく、ミサイルの餌食となった。そして身の内の爆弾が誘爆する。爆発は道路をクレーターのように抉り、ビルを砕き、周辺一帯を炎の海と化した。




 異能反応感知。何だ。どういう事だ。敵の攻撃はどうした。周囲の状況がわからない。すると突然、兜のロックが外部から開放された。首筋から空気の漏れる音。何かが兜を掴んだ。そして一気に上に引き抜く。


 眩しい。ペン型照明の光が顔に当てられている。グレインは手を上げて光を遮ろうとした。だが手が重い。顔まで上がらない。何だこれは、何がどうなっている。兜を奪った大柄な影が、その奥に立つ小柄な影に向かってうなずいた。


「間違いありません、赤の将姫、グレイン・ヴァルディです」


 そしてこう続けた。


「今ここで殺しておくべきかと存じます」


 暗い、狭い空間。どこかの建物の裏手であるらしい。遠くに火事でも起きているのか、空が赤い。その赤い輝きを背に、ひょろりとした頭巾を被った影は、しかし首を縦には振らなかった。


「待て、ジャーザカ」


 少し笑ったようだった。


「赤の将姫も銃と戦竜がなくば、ただの女よ」

「ですが殿下」


「貴様、私を愚弄するか!」


 グレインの怒りは身体に力を与え、足を震わせながら立ち上がった。しかし重い。甲冑が軋む。まるで全身に無数の鉄塊を結び付けられているかのようだ。


「ほう、その状態で立ち上がるか。さすがドラーコの将の鎧」

「そう言う貴様は」


 グレインは考えた。こちらの世界にロヌの特殊部隊が潜り込んでいる事は知っている。それを率いる者が誰かも。ロヌの民族衣装を身に纏い、頭巾で顔を隠した男。従者から殿下と呼ばれるその男の名はおそらく。


「第十一皇子、ライワン」


 ジャーザカは舌打ちし、背中の大刀を抜いた。


「やめよと言うに」


 ライワンの言葉に、しかしジャーザカは首を振る。


「こやつは危険です。どのような厄災を招くか知れたものではありません」

「女に名を知られているというのは悪い事ではない」


「そんな呑気な」

「殺せ!」


 グレインは吐き捨てた。


「貴様に情けをかけられる謂れはない」


 その瞬間、グレインの身体は巨大な見えざる手によって握られた。そして空中に持ち上げられる。身体を握り潰される痛みに耐えて歯を食いしばるグレインの顎に、ライワンはそっと指で触れた。そこからグレインの身体の中に、まるで皮膚の下を毒虫が這いずり回るような、名指し難い嫌悪感が広がって行った。それは顎から首筋へ、胸へ、腹へ、脚の間を通って尻へと広がり、やがて腰から背中を遡って後頭部に達し、脳の内側に入り込もうとした。


「やめ、ろ」


 グレインの口から出たその声は、悲鳴と呼んでよかった。


「ここで狂い死にさせる事もできるが」


 頭巾の奥の眼は冷たく輝いている。


「やめておこう。貴様らにはまだ踊ってもらわねばならぬ」


 そしてライワンは背を向けた。


「これは一つ貸しだ。女、いずれ返せよ」


 そう言うとライワンとジャーザカは姿を消した。全身から力を失い、倒れ込むグレインを一人残して。



「そもそもこれは花月と申す者なり。或る人我が名を尋ねしに、答えて曰く。月は常住にして言うに及ばず。さて、かの字はと問えば。春は花、夏は瓜。秋は菓、冬は火。因果の果をば末期まで」


 何故ナビコナくんは花月なの、という天照日美子の何気ない問いに対する返答がこれである。


 昨夜の戦闘は比較的早い時間に終了したが、結局みんな深夜になっても寝付けず、大事を取ってまた全員学校を休む事になった。


 そして今は昼、今日の昼食はビーフカレーだ。他のメンバーは皿で食べているが、スサノオだけはラーメン用の丼に白飯を山のように盛り、カレーをなみなみと注いでいる。それを既に二杯目だと思えないようなスピードで口にかき込んでいた。


 若干引き気味の空気の中、それを何とかしようと気を回した日美子がナビコナに質問をしたのだが、返事の意味がさっぱりわからない。こんな事になるのなら、もっと古文を勉強しとくんだった。


「謡曲に『花月』っていう作品があってね」


 ナビコナは淡々とカレーを口に運んで行く。


「ようきょく、浪曲じゃなくて」

「能って知ってる?」


「能くらい知ってるよ。見た事ないけど」

「じゃあ難しいねえ」


 小学生に笑顔で同情されてしまった。恥ずかしい。穴があったら入りたい。そんな日美子に渡りに船か、玄関から声がした。どうやら荷物が届いたようだ。


「あ、私出ます」


 日美子は逃げるように玄関に向かった。


 配達員は大柄な青年だった。幅四十五センチほどもある段ボールを重そうに抱えている。日美子が受け取ろうとすると、青年は驚いた顔を見せた。


「いや、マジ重いっすから。ちょっと置いてもいいっすか」

「ああ、はい」


 置かれた荷物の伝票を見る。送り先は聖天寺学園寮、送り主は陸上自衛隊需品科とあった。


「じゅひんか」


 聞いた事があるようなないような。何をする部署だっけか。レクチャーで教えてもらったような気がしないでもない。


「えっと、すみません、印鑑かサインいいっすか」

「はい、ここでいいですか」


「うっす、ありがとうございました」


 軽く頭を下げて出て行く青年を見送ると、日美子は段ボール箱を軽く引っ張ってみた。動かない。


「うわ、本当に重い」


 今度は体重をかけて思い切り引っ張ってみる。動いた、と思った瞬間、手が滑って仰向けにひっくり返りそうになった。その身体を、大きな手が支えた。スサノオが背後に立っていた。


「あ……ご、ごめんなさい」

「いや」


 日美子はまた顔に血を上らせてしまった。スサノオは変わらぬ無表情で日美子の身体を起こすと膝をつき、ナイフを使って一瞬で段ボールの封を開いた。


「開けちゃっていいの」

「多分、俺の荷物だ」


 開かれたその中には、ぎっしりと詰め込まれたチョコバーが。


「え、それまさか全部チョコバー?」

「ピーナッツバーとプロテインバーもある」


「そういう事じゃなくて」


 スサノオはチョコバーの隙間に手を差し込んでゆく。そして箱の底で何かを掴んで持ち上げた。それは44MAGNUMという文字が書かれた小箱。


「あとは弾薬がある」

「成程、そりゃ重たいわ」


「セベリルの銃身もあると思う」

「それは、何」


「昨日はペイント弾を撃った。だから銃身が一つ使い物にならなくなった。それの交換だ」

「そういうもんなの」


「そういうものだ」

「ふうん」


 日美子の口元が綻んだ。


「初めてだね、スサノオくんとこんなに喋ったの」

「そうか」


「そうだよ。喋るの嫌いな人かと思ってた」

「別に、嫌いではない。ただ経験がないから対応の仕方がよくわからないだけだ」


 スサノオは段ボール箱を軽々と持ち上げると、部屋に戻って行った。経験、か。日美子は心の中でつぶやいた。確かに実験室の中でずっと育ってきた彼にとって、誰かとお喋りに興じる時間などないに等しいものだったのだろう。これまで生きてきて、初めて人間的な環境に身を置いているのかもしれない。それは、幸いなのだろうか。そうであれば良いのだけれど。そう思いながら日美子は食堂に戻った。

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