第11話 赤の将姫

 ドラーコ連邦共和国首都クカタリスの黒鉄城バンシンロンムは、その名の通り鉄で造られた城塞であった。その主にしてドラーコ総統であるバイバーンズの前に、ドラーコ五将の一人、赤の将姫グレイン・ヴァルディが立つ。


「参上つかまつりました」

「うむ」


 バイバーンズは威厳と期待を込めた目でグレインを見つめた。


「黄の将ガルギエルの異界討伐隊は知って居ろう」

「遅々として進んでおらぬ、という事は存じ上げております」


「手厳しいな。だがそれ故にお前を呼んだ。これより直ちに合流せよ」

「この私にガルギエルの旗下に入れと」


 その返事は言外に否と伝えている。


「いいや、首都防衛隊から戦力を出す。総統直属の特別遊撃隊として協力してやって欲しい」

「特別遊撃隊。好きに暴れて構わないと仰る」


「お前の性格には合って居よう」

「確かに。ですがあのガルギエルがよく応じましたな」


「応じてなどおらん」

「それは」


「否も応もない。我が命に逆らえる者などこの国には居らぬ、要らぬ。違うか」

「……確かに」


「では、ヴァルディの家名に恥じぬ働き、期待しているぞ」

「は、グレイン・ヴァルディ、しかと承りましてございます」


 グレインは片膝をつくと、深く頭を下げた。


 それが二日前の話である。




 陸自部隊は展開済み、神童もすでに配置についている。後は天穴が開くのを待つばかり。いつもなら深夜まで人の絶えないこの辺りも、今は閑散として猫の子一匹通る者はない。ただハロウィンが近い。故に街は様々な照明で飾り立てられていた。賑やかで静かな夜。針の落ちる音も聞こえそうな静けさの中、ツクヨミが口を開く。


「出る」


 サングラスの奥の眼が見開かれる。


「北に五百メートル、西に百二十メートル……大きい」


 そこは道路脇、小さな石碑が立っていた。その上の虚空が縦に割けたかと思うと、竜の鼻先が覗いた。そして角、上に向かって伸びる角が一本。次に前足が出口を押し広げるように動き、顔が出た。頭が出た。頭の後ろの巨大な襟飾りが出た後は、すんなり全身が現れた。


 全長十メートルになんなんとする巨大な角竜。全身を歩兵竜よりやや目の粗い、しかし分厚いボディアーマーが覆い、鼻の上に一本の長い角、更には首の回りを大きく覆う襟飾りに八本の角があった。背には台座が据え付けられ、そこには人側の世界ならガトリングガンやバルカン砲と言われる類の銃器が設置されている。そしてその銃座には人影が。赤い甲冑に身を包んだやや小柄な姿。ほとんどの人類が初めて目にする、異界の武人の姿であった。




 およそ五十メートル離れた位置にあった装甲車が後ろを見せて走り去ろうとしている。


「一撃も交えず撤退か、恥を知れ」


 翻訳機を通したのであろうそれは女の声。赤い甲冑は嗤うと、角竜に命じた。


「九角、突進」


 唸り声を上げ、地響きを立てて猛然と九角は走る。その巨体が装甲車にあと数メートルと迫ったとき、左右のビルの陰から別の装甲車が飛び出して来た。三台の装甲車は九角の顔を包むかの如く並走する。三門の重機関銃が九角に向けられた。一斉射撃。十二・七ミリ弾の雨を浴びせかける。しかし、機銃弾は全て九角のボディアーマーの表面を滑るように後ろに流され、ダメージを与えられない。


「それで策を弄したつもりか、小賢しい」




 三つの銃口が射線を上げ、赤い甲冑を捉えた。再び一斉射撃。だがまたしても銃弾は甲冑の後ろへと流れ、ダメージを与えられない。歩兵竜相手なら足止めくらいにはなる機銃斉射が、巨大な角竜はまだしも、対人ですら通用しないというのは、自衛隊側にはまさかの衝撃であった。




「では、そろそろ返礼を致そう」


 赤い甲冑はガトリングの如き銃に両手をかけた。その瞬間、左右両脇の装甲車は急ブレーキをかけ後方に姿を消し、先頭の装甲車はテールをスライドさせながら交差点を左折した。


「逃がさん」


 ガトリングの如き銃がブザーのように吠える。長い銃身を回転させ、毎秒百発の銃弾を打ち込む。滝のように薬莢が落ちる。装甲車は一瞬で蜂の巣となり、火を噴いた。赤い甲冑は次の獲物を探すように周囲を見回すと、不意に何かに気付き、顔を上げた。


「異能反応感知。見ているな」




「気付かれた」


 ツクヨミは思わずサングラスを両手で押さえた。


「こっちに来る」




 角竜は道路を突進する。建物の陰に隠れた隊員が対戦車弾を次々放つが、分厚い装甲に歯が立たない。赤い甲冑を狙ってもみるが、角竜の巨大な襟飾りが邪魔になって届かない。角竜は交差点を曲がり、路地を突っ切り、確実に指揮通信車への距離を詰める。




「ヘリ部隊はまだか!」


 指揮官の声が苛立っている。ならば何故最初から待機させておかなかったのかとトリフネは思う。思うがそれは口には勿論、顔にも出してはならない。大人は面倒臭い。ただ、その面倒臭い大人に合わせて賢い子供を演じている自分にも、トリフネはうんざりしていた。


 外では攻め手の三人が敵の現れるのを待っているだろう。大丈夫だろうか。と言うか、自分も外に出て一緒に戦わなくていいのだろうか。自分一人だけ指揮通信車の中で、逃げる用意をしているというのは、命令とはいえ仲間に対する裏切り行為のようにも思える。


【トリフネ】


 その気持ちを察したかのように、ノコヤネのテレパシーが届く。


【状況が悪い。いつでもテレポートできる準備をしておくようにと審議官が】

【ねえノコヤネ】


【何だい】

【私だけ逃げても良いのかな】


【それが仕事じゃないか。急にどうしたの】

【私にも何かできるんじゃないかって。一緒に戦えるんじゃないかって思うの】


【……ミカヅチの事が心配?】


「なっ」


 トリフネは慌てて口を押えた。周囲の隊員は皆それぞれの仕事で手一杯な感じだ。気付かれてはいない。しかしトリフネの顔は見る見るうちに真っ赤に変わって行った。


【何言い出すのよ、やめてよね、人の頭の中覗くの】

【別に覗いてないよ。トリフネは顔に出るからみんな知ってる。気付いてないのはミカヅチとフツヌシくらいだ】


 まさかそんな。バレていたなんて。トリフネは顔に血が上りすぎて眩暈がしてきた。


【わ、私はそんなつもりで、あの、その】

【僕は良い事だと思うよ】


 それがノコヤネの本心であることは、テレパシーを介してトリフネにも伝わった。


【誰かを好きになるっていうのは、たとえどんな状況であったとしても、悪い事じゃないはずだと思う。でもだからこそさ、ミカヅチの頑張りを無にするような事はやめようよ。与えられた役目を最後まで果たそう。大丈夫、ミカヅチはそう簡単に死んだりしないよ。コトシロだってそんな予言はしてないだろう】


【うん……わかった】


 心底納得した訳ではない。だが今の自分にできる事を冷静に考えれば、自ずと答は限られてくる。


【後で僕も相談に乗るしさ】

【いや、それは遠慮する】


【ええー……】




 天穴の両脇には、黒衣の特殊部隊が散開していた。十メートル程離れて、黒塗りのミニバンが停まる。運転手が降り、後ろのドアを開けるとキメペが降りて来た。


「では、カヌリクタム陛下によろしくお伝えください」


 車中から声をかけた賀茂に向かって、キメペは頭を下げた。


「お世話になりました。無事に戻れました暁には、皆さまのご厚意は陛下に必ずやお伝え致しましょう。願わくは、今回の事が日本国とリウとの長き友好の礎とならんことを」


 そう言うと、キメペは賀茂に背を向け、天穴に向かって歩き始めた。その隣に、黒衣の兵が一人、寄り添う。


「天穴に入られてから三分後に爆破いたします」

「了解しました。ありがとう」


 キメペは天穴の前で立ち止まると、名残惜しそうに周囲を見回した後、その身を潜らせた。そして。


「うわわわわわっ!」


 あっという間に戻って来た。その後ろに歩兵竜を引き連れて。




「歩兵竜増援、十五。爆弾は三つ」


 ツクヨミがそう告げた瞬間、ビルの向こうから角竜が横滑りに姿を表す。指揮通信車までは一直線の道路。八十メートルもない至近距離。フツヌシが、ミカヅチが、ハヤヒノが念を込める。だがその直後、三人の姿が消えた。スサノオが三人を抱えて横に跳んだのだ。と同時に、さっきまで三人が居た場所を数百発の銃弾が抉る。指揮通信車はテレポート、二キロ後方の河川敷へと跳んだ。




「如何なる異能もナグア銃の前では無力」


 背の上の主の断固とした宣言に九角は立ち止まった。赤い甲冑はしばし考えた。さて、どうしたものか。異能反応はまだある。潰しておくか。それとも天穴が生きている間に橋頭堡を築くべきか。とはいえ、橋頭堡を築くためには一旦天穴まで戻り、工兵を連れて来なければならない。


 本当なら、この突撃には工兵を含め百人規模の兵員を伴うはずであった。最初から九角で単騎駆けをするつもりだった訳ではない。だがガルギエルが兵員の投入は一切まかりならんと主張したのだ。かんかんがくがくの議論の果てに売り言葉に買い言葉でこの有様となってしまった経緯がある。今更兵員を寄越せと言っても、果たしてあのガルギエルが出すだろうか。いや、それ以前にこちらの面子もある。そう易々と頭を下げるような真似はできない。


 総統府に報告するか、とも思うが、告げ口のようで面白くないし、そもそも総統の威光が通じませんでした、とはなかなか言い難い。そんな中間管理職的な気苦労に胃を痛めるくらいなら、戦竜だけで突撃した方がましである。結局、なるようになっているのだ。


 そんな事を考えているうちに、天穴の反応は消え失せてしまった。


「潰されたか。まあいい、増援は十五届いている」


 近付きつつある小竜の足音を遠くに聞きながら、赤の将姫グレイン・ヴァルディはやるべきことを口にした。


「皆殺しだ」

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