第9話 火竜

 屋上から一階にまで一気に駆け下り、グラウンドの隅にある体育倉庫に駆け付けたとき、まだ他のメンバーは誰も居なかった。だが悠長に待ってはいられない。ノコヤネは体育倉庫の戸を勢いよく引き開けた。


「……あれ?」


 きょとんとした顔で、ハヤヒノが立っていた。


「何よ、何であんたが来るのよ」

「そっちこそ、何で返事しないんだよ」


「返事って何の事」

「何って、さっき」


 そのノコヤネの背中を、誰かが強く押した。体育倉庫の中に走り込む。その瞬間、引き戸が閉じた。ノコヤネが振り返ると、戸を背に立つ小桜貴美子が居た。


「やっぱり、こちらを選びましたね」

「あたしを呼び出したのはあんたな訳。どういう事よ」


 そう突っかかるハヤヒノの肩をノコヤネは押さえた。様子がおかしい。


「私では、何故私では駄目なのですか」

「ちょっと待って、小桜さん、君は誤解してるんだよ」


「こんなにも、お慕い申し上げているというのに!」


 小桜は眼を見開いた。ノコヤネは思った。蛇の眼だ。


「嗚呼口惜しや口惜しや、妬ましや疎ましや腹立たしや」


 小桜の様子は尋常ではない。全身の毛がちりちりと逆立つのを感じる。ノコヤネはテレパシーを飛ばした。


【みんな、早く!】


 だが、それは誰にも届かなかった。すぐ隣に居るハヤヒノにさえ届かなかったのだ。


「無駄ですよ」


 小桜は嗤う。


「この倉庫内には結界が張ってあります。この中ではいかなる異能も発揮する事はできません。だから」


 小桜は手にスイッチを持っていた。


「一緒になりましょう」


 迷わずにスイッチを押した。その瞬間、体育倉庫の中は炎に包まれた。




 倉庫の外には神童のメンバーが集まっていた。


「ノコヤネは?」

「言い出しっぺ本人が居ないってどうよ」


 フツヌシとミカヅチは文句をたれた。


「ノコヤネもハヤヒノも、この中なんじゃないかなあ」


 そう言ったのはナビコナ。


「ねえツクヨミ、この中が見える?」


 ツクヨミは即答した。


「見えない……何も見えない」

「ねえトリフネ」


 続けてナビコナは言った。


「この中に跳べる?」


 トリフネは念を込めてみた。が。


「跳べない。何これ」


 ここに来てようやく一同にも事の異常性が認識された。


「ねえフツヌシ、この戸を開けてみて」

「お、おし」


 フツヌシは全力で戸を引いてみた。だが、引き戸はびくともしない。


「念動力を使ってみて」


 ナビコナの言葉に、


「もうやってる!」


 との返事。しかし戸は全く開きそうにない。ツクヨミが言った。


「誰かが念動力で押さえてる」

「おかしいよね、これ」


「おかしいって、何が」


 腕を組むナビコナに、トリフネは尋ねた。


「ツクヨミの千里眼ですら中が見えないっていうのは、内側に超能力が作用しないような仕掛けがしてあるんだと思う。でも、外側から開けられないっていうのは、おかしいよね。だって内側に居る人は、外に向かって超能力を使えないんだから。つまり」


 つまり、外側に協力者が居るという事である。それを皆が理解したその時、体育倉庫の換気扇から炎が噴き出した。


「ツクヨミ、急いで探して!」


 ツクヨミは全方位に向けて感覚を広げた。対象は念動力者。半径五メートル、十メートル、十五メートル、二十メートルまで広げたとき、反応があった。


「見つけた」



 炎は壁に沿って広がっている。灯油の臭いがする。体操マットに、跳び箱に炎が燃え移る。


 息が苦しい。酸欠になっているのだ。長くはもたない、ノコヤネとハヤヒノは小桜に掴みかかった。そして突き飛ばし、引き戸に手をかける。だが開かない。


「だから無駄だと申し上げましたでしょう」


 炎を背に、ゆらりと立つ小桜。


「我らは今こそ溶けて混ざり、一体の竜となるのです」

「狂ってる、お前」


 ハヤヒノは咳き込んだ。


「恋は狂えるものなのです」


 小桜は嗤った。




 ナビコナはツクヨミの肩に右手を置いた。そして左手でミカヅチに触れる。


「わかった?」

「わかった!」


 ミカヅチは大きく振りかぶると、二十メートルほど向こうの立木の上に向かって、電撃を放った。


「行けえっ!」


 しかしそれと同時に、立木の葉の内側から、岩のような大男が飛び出した。電撃はその突き出した大刀に引き寄せられた。そして身体を通じて地面へと流れる。服の中にアースでも隠されているのだろうか、大男は平然としている。その顔がこちらを見た。あっと声が上がる。リザードマンだ。リザードマンの大男は大刀を手に、こちらに走り寄って来る。殺意が迫る。神童のメンバーに動揺が走った。そのとき。


 ナビコナたちの背後から飛び出した一陣の風が、大男の前で姿を結ぶ。


「くっ!」


 少し窮屈な姿勢で、けれど体重を乗せた唐竹割りの一撃を大男は放った。ターバンを巻いたローブ姿の男は、それを両手のダガーナイフで受け止めて見せた。いや、それどころか体格に勝る大男を押し返す。


「ぬ、何たるりょりょく。化け物か」


 大男が刀を引いた瞬間、スサノオはセベリル645を抜いた。そして一撃。大男は刀の腹で銃弾を受けた。44マグナムの衝撃で一歩後退る。それを見てスサノオは右に駆けた。真の狙いは大男の背後。立木の枝の茂る中に、立て続けに五発を撃ち込む。しかし目に見えぬ硬い壁に銃弾は弾かれた。


 その周囲の枝が瞬時に折れ曲がる。まるで巨大で透明な手が握りしめたかのように。


「捕まえた!」


 叫ぶフツヌシ、吠えるミカヅチ。


「おおりゃっ!」


 再び電撃が走る。だがそれは目標に達する寸前、中空に掻き消えてしまった。フツヌシの握る感触も、消えてなくなる。


「今だよ」


 ナビコナの声に応えるようにスサノオは背中からショットガンを抜き、走りながらチャージングハンドルを引いた。右手で三発を打ち込む。12ゲージの散弾は弾かれる事なく空間を貫き、丸く枝葉を抉る。そこから頭巾姿の影が一つ、飛び出した。


 同時に体育倉庫の戸が勢いよく開かれた――酸素が流れ込む――炎が一気に拡大する――小桜を飲み込み――爆発――ノコヤネとハヤヒノを弾き飛ばした。それがコンマ数秒の出来事。


「おのれっ」


 大男の地を薙ぎ払うような大刀の一撃を、ダガーナイフとショットガンのショルダーストックで受け止めると、スサノオは一歩下がり、その姿勢のまま二発撃った。大男は駆け、銃撃を躱す。その瞬間、大男の背後に頭巾姿が現れた。


「ジャーザカ、退くぞ」


 その声と共に、二人の姿は消え失せた。




 有銘と日美子が保健室に駆け付けたとき、ノコヤネとハヤヒノはナビコナのケアを受けているところだった。ナビコナの手から出る波動は細胞を強烈に活性化させ、傷口をごく短時間で修復する。使い過ぎれば反動もあるが、火傷を治すくらいならばお手の物であった。


「でもさ」


 ナビコナの治療に感心しながら、トリフネは尋ねた。


「何で戸が開いた訳?」


 ナビコナは平然と笑顔を返す。


「あのね、能力なのか技術なのかはわからないけど、相手は超能力をキャンセルすることができるんだよ。だから念動力も電撃も通じない。ただ、キャンセルを実行している間は自分自身の超能力もキャンセルされるんだね。だから銃弾にバリアも張れなかったし、戸を念動力で押さえておく事もできなくなった」


 それを聞きながら、日美子は眼を白黒させている。一体何故そんな事がわかるのか、と言いたげな顔である。有銘は小首を傾げた。


「あら、ナビコナの能力についてはまだレクチャーしてなかったかしら」

「怪我の治療の専門家としか」


「そう、専門はそれ。ナビコナにしか使えない能力はヒーリングで間違いはないわ。ただ、ナビコナは神童唯一のマルチローラーなの」

「マルチローラー」


「要は万能選手って意味。ヒーリング以外に千里眼も使えるし、テレパシーも念動力も使える。自分一人ならテレポートも可能よ。一つ一つの能力は他のメンバーより小さいけれど、総合的には神童の中でも最も特殊な存在と言っていいでしょうね」


「へえ、凄いんだナビコナくん」


 驚く日美子にナビコナは笑顔を向けた。


「そうだよ、花月は凄いんだよ。凄いんだから、花月でいいよね」

「だーめ。あなたのコードネームはナビコナです」


 有銘に却下され、ナビコナはむくれた。


「ええー、ケチ」


 ノコヤネが身を起こした。


「ナビコナ、もう大丈夫だよ」


 ナビコナはツクヨミを見た。ツクヨミがうなずく。


「ノコヤネはもう大丈夫。ハヤヒノはあと少し」

「それで、あの……」


 ノコヤネは言い難そうに有銘に尋ねた。


「小桜さんは」

「今病院に向かっているところよ。断言できる事は何も」


 言いかけた有銘の言葉をツクヨミが遮った。


「無理」


 小さな声で、しかしはっきりと。


「肺の中まで全身火傷。助からない」


 保健室の中をしばし沈黙が覆った。口を開いたのは日美子。


「あなた達のせいじゃない」

「その通りよ」


 有銘のその言葉は、今のノコヤネには冷酷に感じられた。


「相手がロヌなのかドラーコなのかは不明だけれど、敵が神童を重要な戦力と認識すればこその今回の攻撃です。気を引き締めなさい。泣いている余裕はありません。同じ悲しみを繰り返したくなければ敵に勝利する事。他にはないわ」


「そんなの、わかってる」


 ハヤヒノは小さな声でつぶやいた。




「それはロヌでありましょうな」


 特別誂えの服に着替えながら、キメペは言った。


「異能を用いて搦め手から攻めて来るというのは、いかにもロヌらしいやり口です。常に物量と力技で正面突破を図るドラーコとは対照的な戦法であります」


 メイドが二人付きっきりで、キメペの着替えを手伝っている。彼がこちらの世界にやって来た時に着ていた服は既にクリーニングは完了していたが、街に出るとなるとあまりに怪しすぎる。勿論こちらの世界の服を着せるにしても顔と頭は隠さなければならなくなるので、何を着ても怪しさからは逃れ得ないのだが、まあ多少はマシと言えるのかもしれない。


 着替えを待ちながら、賀茂道延は紅茶のカップを手にしていた。


「予知能力者が敵の動きを掴めなかった、と報告が上がっているのですが、これもロヌに特有の事と考えてもよろしいのでしょうか」


 キメペはネクタイを締められながら、ちょっと苦しそうに首を動かした。


「これは又聞きの、確証のない噂程度の話ではありますが、ロヌには占術破りという技術があるとされています。占いを無効化する技術、という訳ですな。まあ念動力を無効化できるのであれば、未来予知も無効化できるのかも知れません」


「成程、厄介な事だ」


 つまりコトシロの託宣はドラーコ相手にしか期待できない。そうネガティブに捉えるか、ドラーコの動きだけは捉えられるとポジティブに考えるべきか。何にせよ今回の神童への直接攻撃は、ロヌがドラーコを手助けしようとしたようにも見える。実際はそう単純な話ではなかろう。ドラーコを有利にするという事は、我が国を混乱させ、ロヌが漁夫の利を攫い易くするという事でもあるのだから。敵の敵はまた別の敵であり、味方ではないのだ。


 メイドの一人が、賀茂の前に進み出た。


「お着換え、完了致しました」

「どんな感じでしょう、私は服装には興味がないので、良し悪しはわかりかねるのですが」


 自信なさげなキメペに、賀茂は笑顔を返した。


「よくお似合いですよ。街に出れば居そうな感じです」


 黒のスーツに赤いネクタイ、ベージュのコートに中折れ帽、皮の手袋に顔を隠す長く白いマフラーという出で立ちは、そのまま街に放り出せば、かなり怪しい人物にはなる。だがこの程度の怪しさは、実際に居ない訳ではない。頻繁に見はしないが時々は見かけるし、人の集まる都会ともなれば、この程度の怪しさでは誰も驚いたりジロジロと見つめたりはしない。そういう意味で、賀茂の言ったことは嘘ではない。それに街を案内すると言っても、殆どの時間はフルスモークの車の中である。変装など要らぬくらいだが、万が一の場合の用心だ。


「では、参りましょうか」


 紅茶のカップを置いた賀茂が玄関へと向かう。キメペはいそいそとその後に続いた。

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