第8話 ライワン
日美子が再びベッドに入ると、嘘のようにすぐ眠気がやって来た。そこから一時間半ほどは眠った事になるのだろうか、部屋の内線が鳴って目が覚めたとき、時計は十二時過ぎを指していた。
食堂へ下りて行くと、神童のメンバーはもう皆揃っていた。しかし元気そうなのはナビコナとスサノオだけで、他は眠気で潰れそうである。そのテーブルに、寮母が食事を置いて行く。トーストと目玉焼き、そしてコーヒー。
「ええー、これって」
「朝ご飯じゃん」
フツヌシとミカヅチが文句を言う。しかし寮母は取り合わない。
「いいんだよ、今日最初のご飯なんだから朝ご飯で。それに昼間寝たら夜寝られなくなるだろ、コーヒーで目を覚ましな」
そしてスサノオに目をやる。
「あんたは食パン一斤くらい食べるだろ、ちょっと待ってな、いま厚切り焼いてるから」
こくり、スサノオは黙ってうなずいた。それにしてもローブを着ずに、銃を三丁身に着けたままで食堂に座る黒髪の筋肉少年は、恐るべき存在感であった。何も言わない寮母は人間が大きいのであろう、と日美子は思う。そのとき。
「すみませーん、ごめんくださーい」
玄関の方から声がした。誰だろう。
「ちょっと、こっちは手離せないから、誰か出とくれ」
「あ、はい」
寮母に言われて日美子は立ち上がり、玄関に向かった。
玄関に居たのは、聖天寺学園の制服を着た女生徒。どこかで見た顔な気がするが、どこで会ったのだっけか。
「えっと、何か御用でしょうか」
「お昼時に押しかけて申し訳ありません、今日は鋸屋根先輩がお休みと伺いましたので、お見舞いに参りました」
満面の笑顔を振りまく少女に、「ちょっと待ってください」と言い置くと、日美子は急いで食堂に戻った。
「ノコヤネくん、ノコヤネくん」
「……はい?」
寝ボケ眼でトーストを齧るノコヤネの耳元で、日美子はささやいた。
「ノコヤネくんにお客さん。女の子のお客さん」
「……はあ」
不審げに眉を寄せると、まだ幾分眠気の残った顔のまま、ノコヤネは立ち上がった。ヨレヨレのジャージ姿で。しまった、日美子は焦った。このままの恰好で女子の前に立たせるのはいかがなものか。しかしもう遅い、ノコヤネは玄関に出てしまった。
「あれ、小桜さん。どうしたの」
「はい、先輩がお休みでしたので、お見舞いに参りました」
「お見舞いって」
「でもお元気そうで何よりです」
「あはは、病気ではないからね」
「明日からは学校に来られますか」
「うん、多分大丈夫だと思うけど」
「それは良かったです。では、これを」
そう言うと、小桜貴美子はスポーツバッグの中から風呂敷包みを取り出した。
「お弁当を作りましたの、よろしければ召し上がってください」
「お弁当。僕に?」
ノコヤネは目を丸くしている。弁当を作ってもらう理由が思い当たらなかった。
「はい。大した物は入っておりませんが、量だけはありますので、皆さんでどうぞ」
渡された包みは、一辺二十センチほどの立方体。弁当と呼ぶにはちょっとデカい。
「え、いや、でも」
「どうぞ、ご遠慮なさらず」
「貰っときな」
背後から声がかかった。
「女の子に恥かかすんじゃないよ」
ノコヤネが振り返ると、寮母が立っていた。手が離せないんじゃなかったのか。その後ろには、陰に隠れてフツヌシとミカヅチ、そしてトリフネが覗いている。
「そういう訳ですので」
小桜はノコヤネに風呂敷包みを押し付けると、一礼した。
「また明日、ご感想を頂けますと助かります」
では失礼します、と笑顔を見せ、小桜はさっさと背を向けて去って行ってしまった。
風呂敷包みの中身は、漆塗りの三段の重箱だった。蓋を開けると、三段目にはエビフライとコロッケがぎっしりと並び、二段目には肉じゃががびっしりと、一段目にはシュークリームがパンパンに詰められていた。
「デザートまで重箱に入れなくても」
「ご飯がない」
「お見舞いに揚げ物って」
「見てるだけで胃が重くなる」
他の神童のメンバーには散々な評価だったが、寮母は好意的だった。
「良い子じゃないか。あたしゃ好きだね、ああいう積極的な子は。大事におしよ」
「いや、ホントそういうんじゃないですから」
ノコヤネは心底困惑していた。一体何がどうなって、こうなったのか。思い当たる節が全くない。
「でもお弁当作ってくれるなんて、相当なものだと思うけど。中身はともかくとして」
ナビコナが面白そうに言う。
「だよねえ、中身はともかくとして」
その尻馬にトリフネが乗る。
「いや、俺は」
スサノオが自ら声を上げた。一同の視線がスサノオに集まる。
「俺は、いいと思う。脂質と糖質とタンパク質が摂れる」
食堂は微妙な空気に包まれた。ノコヤネは、ちょっと引きつった笑顔で重箱をスサノオの前に押しやった。
「良かったら、食べる?」
「いいのか」
「うん、せっかくだし」
「では」
スサノオは重箱を見つめると、素早くシュークリームを口に含んだ。
「そこからかよ!」
フツヌシが突っ込んだ。
「大丈夫」
ツクヨミが言った。
「毒は入ってない」
「食べてから言うのかよ!」
ミカヅチが突っ込んだ。
「でも、不吉です」
そう言ったのは、コトシロ。
「不吉って、どういう事」
日美子の問いに、コトシロは悲しげに首を振って応えた。
「詳しい事はわかりません。でも、このお弁当には不吉な気配がします。ノコヤネさん、あの方には気をつけてください」
他ならぬコトシロの言葉に、皆は絶句した。スサノオは三つ目のシュークリームに手を伸ばした。
ライワンはロヌ神帝グータオチンの第十一皇子にして帝位継承権二十三位の地位にある。俗にグータオチンの百嫡子――正しい意味での嫡子は一人しかいないが――と言われる中にあっては、比較的上位の権利保有者ではあるが、勿論正室の子ではなく、それどころか側室の子ですらない。グータオチンが家臣の妻を見初めて手籠めにし、産ませた落胤がライワンであった。それ故に育ての父からは生まれた時から臣下の礼を取られ、下へも置かぬ扱いを受けて来た。しかしそこに優しさや温かさを感じた事は一度もない。夫婦の間には寒風が吹き荒び、家庭の中にはライワンの居場所はなかった。
だが、貴族ですらない、妾腹以下のライワンには宮廷の中にも居場所はない。そんなライワンが己の身の置き場所を求めて軍に入ったのは、至極当然の成り行きだったのかもしれない。その異能の力甚だしき事、魔天の如く也、と謳われたライワンが軍の中で頭角を現すまでに、さほど時間はかからなかった。
「ジャーザカよ」
頭巾を被り、眼だけを覗かせたその素顔は伺い知れない。ただその体が細身な事だけはわかる。立木の高い枝の上に立ち、従者に声をかけた。
「はっ」
従者ジャーザカは、対して見上げるような巨躯であった。幅の広い大刀を背負ったその大きな体を折り曲げ、一段低い枝で膝をつく。
「宝珠などという物が本当にあるのだろうか」
ライワンのその言葉に、ジャーザカは顔を上げず返事をした。
「恐れながら、大占者様の御言葉にあらせられます。私如きが疑いを差し挟もう余地などございません」
大占者とは神帝グータオチンのお抱え占い師の事である。様々な政策決定に『神の声』を聞く事で関わる。自らも神帝の血族であり、生半な貴族では顔を拝む事すら許されない、高貴な存在。その言葉ひとつで何千何万の臣民の人生が左右される、その大占者がある時「異界に宝珠あり」と叫んだのである。大帝国ロヌが隣国リウへの侵攻を図ったのは、そして更にリウから異界へとライワンを送ったのは、そのたった一つの言葉が切っ掛けであった。
「まあ、そなたの立場としては、そう答えるしかないのだろうな」
「はい」
「だが余は必ずしもそうではない。その事は心に止めておけ」
「御意にございます」
その時、ライワンの視線が下へと動いた。ジャーザカも気付いた。木の下に人影が立ち、こちらを見上げている。
「戻ったか」
ライワンの言葉に、小桜貴美子はうなずいた。
「ならば続きは明日だ。家に帰るがいい」
しかし小桜は、不満げな表情を露わにした。そして手をライワンの方に伸ばすと、ぎゅっと握った。その瞬間、目に見えぬ何かが小桜の顔を叩いた。小桜は足をよろけさせ、二歩三歩後退した。だが再び振り仰ぎ、ライワンを睨みつけた。その眼に映ったのは、ライワンの掌。五本の指を開いた掌が小桜に向けられている。その表面が赤く光る。
「余に服従せよ」
その言葉が小桜の脳内に反響する。赤い光が小桜を包む。ちりんちりんちりん、鈴が激しく鳴った。
小桜は不意にうなだれ、そして数秒の後、うつむいたまま歩き出した。
「殿下」
「大事ない」
ライワンの言葉に、ジャーザカは刀にかけた手を放した。
「やはり猿を操るのは難しい。オニウヤミのようには行かんな」
軽く胸を押さえながら、ライワンは自嘲気味にそうつぶやいた。
その夜は何事もなく過ぎ去り、静かに朝がやって来た。元気に登校する神童のメンバーたちと天照日美子の後姿を、寮母とスサノオが見送った。
「あんたも学校行ければ一番良いんだろうけどね」
「俺は遊撃だ。このままで良い」
同情のこもった寮母の言葉に、スサノオはそう返事をした。
ノコヤネは自分の教室に行く前に、二年生の教室に向かった。小桜貴美子に重箱を返さなくてはならない。コトシロには注意をするように言われたが、それはそれである。
「まあ、そんな事の為にわざわざご足労頂かなくても、重箱など使い捨てて下さって結構でしたのに。恐縮してしまいます」
口ではそう言いながらも、小桜は大層嬉しそうな顔で出迎えてくれた。ノコヤネがちょっと後ろめたさを感じるほどに。
「いや、まあそういう訳にも行かないからさ」
「それで、どうでした。お口に合いましたでしょうか」
「ああ、うん」
八割方はスサノオが食べてくれたのだが、そんな事は流石に言えない。
「美味しかったよ。肉じゃがとか」
「それは良かったです」
そう言うと小桜は、スポーツバッグの中から新たな風呂敷包みを取り出した。
「じゃーん、実は今日もお弁当を作って来ました」
「へ」
「どうぞ、これも召し上がってください」
「いや、いやいやいや」
「そんなにお嫌ですか」
「いや、嫌っていう訳じゃなくて」
「ではご遠慮なさらず」
「……はい」
ノコヤネは受け取ってしまった。我ながら押しに弱いなと思いつつ。
昼休み。ノコヤネは風呂敷包みを抱えて屋上へ向かった。包みの中は見ていないが、大きさと形から考えてまた重箱である事は間違いない。そんな物を教室で開くのは憚られるし、だからといって学食で食べるのもおかしい。人の居ない場所、特に神童のメンバーの目につかない場所で開けたかった。
屋上にはまばらに何人かの人影があったが、どうやら見知った顔はないようだ。ノコヤネは片隅に座り、風呂敷包みを開いた。中には当然のように漆塗りの重箱。溜息をつきながら蓋を開くと、一番上には何も入っていなかった。いや違う。正確には、食べる物は何も入っていなかった。ただ、封筒が一つ入っていた。その中には、便箋が二枚。
一枚目には、こうあった。
私と速火野さんのどちらを選びますか?
二枚目にはこう。
私を選ぶのなら視聴覚教室へ、速火野さんを選ぶのなら体育倉庫に来てください
ノコヤネはテレパシーを飛ばした。
【ハヤヒノ!】
しかし応答はない。
【ツクヨミ!】
こちらは応答があった。
【何】
【ハヤヒノを探してくれ、どこに居る】
数秒の沈黙。そして。
【どこにも居ない】
焦った感覚がノコヤネにも伝わってくる。
【全員集合】
神童全員に緊急コールを伝えた。
【体育倉庫だ、早く】
ノコヤネは走った。何かが既に起きている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます