第6話 助けの手

「後退、足止めをしつつ後退せよ」


 そして指揮官はこう続けた。


「ヘリ部隊に支援要請」


 前線部隊は全力で後退した。何とかして時間と距離を稼がねばならない。理想的には人家のない開けた場所に歩兵竜を誘導し、そこで距離を取って足止めができれば、後は戦闘ヘリ部隊が対戦車ミサイルでとどめを刺してくれるだろう。だがそう思い通りには行かない。そもそも相手が距離を取らせてくれない。機銃弾を受け苦悶しながらも、歩兵竜は足を止めず追い縋る。しかも山中の曲がりくねった一本道、速度も出ないし散開する事もできない。直線距離では一キロもないのに、指揮通信車までが遠い。


 最後尾、装甲車の銃座で重機関銃を撃つ隊員は、肝を冷やしながらトリガーを押していた。重機関銃では歩兵竜のボディアーマーを貫通できない、つまりは攻撃が効かない、だから安心して撃てるというおかしな状況の中、それでももし万が一、何かの間違いで効いてしまったら、貫通しないはずの場所を貫通してしまったら、あるいは相手が口を開けた拍子に弾が口の中に入ってしまったらどうなるか。考えるまいと思っても考えてしまう。だが足止めをしなくては、距離を稼がなくては、追い付いた相手が自爆しないという保証はどこにもないのだ。


 そう己を鼓舞し、トリガーを押し続ける隊員のすぐ隣に、闇の中から影が降り立った。呆然と見つめる銃座の隊員に、「時間を稼ぐ、中に入れ」とだけ言うと、ターバンを巻きローブを羽織ったその影は、星に向かって闇を飛んだ。


 スサノオがローブの内から取り出したのは、長さ十数センチの円筒、その二本の安全ピンを抜き、軽く放り投げると同時に着地、慣性で後ろに転がった。その一秒後、ちょうど歩兵竜の鼻先に届いた円筒は、破裂音と共に百万カンデラの光を発した。スタングレネード、いわゆる閃光手榴弾、強烈な光は夜の闇に順応した歩兵竜の網膜を焼き、瞬間的に盲目となった彼らは足を止めた。


 その光を上空で受け止めたのは戦闘ヘリ部隊、目標を確認すると、機体を傾け高度を下げる。


 近づいて来るヘリのライトをスサノオは見上げた。間もなくミサイルが飛んで来る。命中すれば、同時に歩兵竜の中にある爆弾も爆発するだろう。今から走って逃げても間に合うまい。ここまでだな。スサノオが澄み切った瞳で一つ息をついた時。


 その天から差す明かりの中、高さ二メートルほどの空中に、突然手を繋いだ二つの人影が現れた。


「うわっ」

「ああっ」


 そこから地面に落ち、揃って尻餅をついた。それはトリフネとハヤヒノの二人。呆気に取られて目を丸くしているスサノオに向かって、ハヤヒノは立ち上がるよりも先に手を突き出す。


「さっさと来い! 馬鹿!」


 弾かれたようにスサノオが走り寄る。その伸ばした手を握るハヤヒノ、そしてトリフネ。三人が姿を消した瞬間、ミサイルの雨が降り注いだ。



 指揮通信車の後方にトリフネとハヤヒノ、そしてスサノオの三人が現れた時、見上げた山肌に巨大な炎が噴き上がり、続いて轟音が響いてきた。


「はあ、危なかった。ギリギリセーフ」


 トリフネは四つん這いのまま安堵の溜息をついた。その肩にハヤヒノが手を置く。


「お疲れ様。ケガはない?」

「何とか無事。ハヤヒノちゃんは?」


「あたしも大丈夫」


 そしてハヤヒノは立ち上がると、既に立ち上がっていたスサノオに向き直った。


「あんたは大丈夫なの」

「問題ない」


「そう」


 ハヤヒノは一つうなずくと、おもむろに足を肩幅に開き、腰の入ったスイングで、思いっきりスサノオの右の頬を張り飛ばした。


「何であんな無茶な事した! 助けに行く方の迷惑も考えろ!」


 しかしそれはコンクリートの壁を叩いたような感触。ハヤヒノは思わず顔をしかめ、手を振った。


「痛たたた」

「すまん」


「すまんじゃない。二度と勝手にあんな事するな」

「助けに来てもらえるとは思っていなかった」


 そうつぶやいたスサノオの左の頬を、ハヤヒノは今度は拳で殴った。


「助けに行くに決まってるだろ、馬鹿! 阿呆! すっとこどっこ……」


 最後まで言い切る前に、ハヤヒノは拳を押さえてしゃがみ込んでしまった。


「それくらいにしときなさい。あなたの手が壊れるわよ」


 そう言う有銘を、ハヤヒノは悔し気な顔で見上げた。


「スサノオも、今回の事は肝に銘じておきなさい。自由に動いていいというのは、自分の命を自由に捨てても構わないという事ではありません」

「俺の命に、価値はあるのか」


 その場に居た者たちの視線がスサノオに集まった。


「あるわ。少なくとも当分の間は、あなたに死んでもらっては困るの。いいこと、これは命令です」

「命令ならば異存はない」


 有銘の言葉に、スサノオは静かにそう答えた。




 時をさかのぼる事半日、午後の陽が傾き始めた頃、都内のタワーマンションの最上階の部屋に、バスローブ姿のキメペが居た。出されたティーカップを手に取り、湯気に鼻を近づける。


「おお、かぐわしい。こちらの世界にもお茶を飲む習慣があるというのは、私のような者にとっては何とも有難い事です」

「お口に合えば良いのですが」


 向かいには賀茂道延政務官が座る。ここは賀茂の個人名義のマンションであった。


「いやなんのなんの、私など所詮は貧しい出自、茶の良し悪しなどわかりません。ただ茶の香りが好きなだけなのです」

「出自と仰いますと、お国ではやはり家柄が物を言うのでしょうか」


「それはどこの国、どこの世界においても同じでありましょう。程度の大小があるだけです。ロヌやリウに比べれば、ドラーコは実力主義だと言う者もありますが、そのドラーコにおいても真に富める者は貧しき者とは交わりません。社会の中に幾つもの壁があり、その壁を越えようとする者は頭を叩かれ足を引かれます。小国でも大国でもその構図は変わりません。例え世界の支配者が哺乳類であろうと爬虫類であろうと、知恵を持つ者が己を万物の霊長と奉っているのであれば、その点に違いは生まれないでしょう」


「つまり知恵が区別差別を生むとお考えなのですか」


「知恵そのものではないにせよ、知恵を持った者が作り出した事には変わりありますまい。己個人の生命身体を守る為には集団の信頼関係が必要になります。それは生きる知恵です。家族という集団があり、それが血族へと拡大し、さらには民族へ、やがては国家へと拡大して行く。その過程で階級や身分が生まれる。全ては根源に信頼を求める知恵あらばこそ、信頼できる者とできない者との境目が、その基準が区別差別を生むのです」


 丁寧な口調に似合わぬドライな現実主義者、賀茂はそんな印象を抱いた。それとも相手が爬虫類であるという先入観がそう思わせるのであろうか。


「それでは全世界の融和など、夢のまた夢、という事でしょうか」


「それは昔から言われている事ではありますが、いや、こちらの世界で言われているかどうかまでは存じませんが、我らの世界では昔から言われているのです、宇宙人でも攻めて来ない限りは世界の融和などないと」


 つまりは外部に共通の敵でも居なければ、全ての人類が手を握り合うなど起こり得ない、という事である。確かに、それは昔から言われている。だが。今まさに、それが起こり得る状態に人類はあると言えるのではないか。全人類共通の敵となり得る、異世界からの侵略者が現れたのだから。しかし賀茂はそこには言及しない。


「すなわち人が人である限りは真に平和な世界などあり得ない」

「左様です、オニウヤミがオニウヤミである限り、平和など努力目標にすらならない。事実、世界が平和であった時代など無かったのですから」


「それは共有できる認識です。悲しい事ですが」


 キメペは両眼を閉じると、深く息をついた。


「全く全く、知恵が生み出した悲劇ならば知恵で解決できると思いたいところであります」

「ですが、たとえ悲しみであったとしても、共有できる部分があるというのは良い事実です」


 キメペは眼を開いた。


「頃合いですかな」

「特使として我が国にお越しになった理由をお聞かせ願えますか」


 賀茂の言葉に、キメペはうなずいた。




 キメペは語った。国皇カヌリクタムよりの言葉として、日本国に要請した。ドラーコよりも、ロヌよりも先に宝珠を見つけ出し、こちら側の世界より全ての天穴を閉じて欲しいと。そしてその為に必要な手持ちの情報は全てキメペを通じて渡すと。


 それは一見、日本側に一方的に骨を折れと命じているようにも思える。だが本当にそんな事になれば、すなわち日本政府が宝珠を手にし、全ての天穴を閉じてしまったら、その後向こうの世界において、皇国リウの国際的な立ち位置がどうなるかは想像に難くない。それがわかっていて尚それを望むというのであれば、リウの為政者の覚悟は相当なものであるのだろう。


 それが真意である事の証として、まず手始めに、キメペは天穴の閉じ方を教えた。天穴は非常に微妙なバランスの上に成り立っている空間の歪みであり、ある程度の衝撃を与えれば簡単に閉じてしまう、小型の爆弾でも使えば確実に閉鎖できるはずだ、そう話した。それが事実なら敵の増援投入を防げるかもしれない。手榴弾で可能だろうか。賀茂はキメペの話を聞きながら、頭の中で書類を書き始めていた。

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