第5話 爆弾

 風紀委員の小桜貴美子が校門を出たとき、既に陽は落ち、晩秋の冷気が街を包んでいた。校門前のロータリーに立ち、迎えの車を待つ。夜風に身を震わせながら、思い起こすのは屋上での出来事。


「何で」


 思わず声に出てしまった。口を押える。周りを見回すが、誰も居ない。誰にも聞かれてはいない。小桜は胸を撫で下ろした。


 何で鋸屋根先輩が謝るのだ。その思いは消えない。先輩は何も悪くない。悪いのはあの子だ。おそらくは高等部の一年。二年にも三年にも、あんな態度の悪い者は居ない。何故あんな不良を、先輩は庇うのか。家族の様なものだと言っていた。どういう意味だろう。まさかマレビト同士だからなどとは言うまい。先輩は寮暮らしだと聞いている。同じ寮に住んでいるという意味合いだろうか。確かにそんな感じの事を話していた。だが、もしかしたらそれ以上の関係では……。


 小桜は顔に血が上った。馬鹿な、何を考えているのだ。鋸屋根先輩はそんな浅はかな人ではない。真面目で、誰にでも親切で、優しく、公平な人だ。そんな人が、あんな女と汚らわしい真似などする訳がない。けれど。そんな人が、何故あんな不良を庇うのだ。結局またそこに戻ってしまう。小桜の思考は迷路に嵌まり、頭の中には悶々とした気持ちだけが澱の様に積み重なり固まって行く。そんな頭の中に、突然、声がした。


(悔しいか)


 小桜は顔を上げ、周囲を見回した。人の気配はない。だが気のせいや聞き間違いではなかった。明確に言葉が認識されたのだ。


(腹立たしいか。妬ましいか)


 また聞こえた。はっきりと。それは紛れもなく自分に向けられた言葉。勘違いなどでは断じてない。


「誰……誰かいるの」


(その憤り、力に変えてやろう)


 背後に気配を感じた。そして。




 深夜二時過ぎ、コトシロは目覚めた。そして体を起こす事無く、枕元にある固定電話の受話器を手に取った。それは二十四時間ホットラインで首相官邸と繋がっている。


「第三六地区、鏑木山」


 託宣が下った。




 現地へ向かう陸自の三・五トントラックの中、コトシロを除く神童のメンバーが乗り込んでいる。


「もう、何でこんな時間に」


 ハヤヒノが欠伸あくびを噛み殺す。他の皆も眠そうである。普段通りなのはスサノオとナビコナくらいだろうか。


「夜討ち朝駆けは戦いの定石だもの」


 凛とした雨野有銘の隣で、天照日美子は大きな舟を漕いでいた。その頭の天辺を、有銘が軽くはたく。


「ふぇえええっ」


 珍妙な声を上げて日美子は飛び起きた。


「目が覚めた? おはよう」

「お、おはようございます」


 日美子は顔を真っ赤にして座り直した。


「有銘ちゃん、今回の任務は」


 ハヤヒノの言葉に一つ溜息を返し、有銘は答えた。


「基本的には前回と同じ。スサノオ、あなたは遊撃です。行動に制限はつけません。自由に動いて頂戴。それとツクヨミ」


 サングラスの少女へ視線を向ける。


「天穴の場所がわかり次第教えて。あなたの仕事はそれが最優先になるわ、いいわね」


 ツクヨミは小さくうなずいた。


「ねえ、一つ気になるんだけど」


 ハヤヒノの言葉に、有銘は振り返る。


「気になるって、何が」

「これまで歩兵竜が出た場所って、龍ヶ瀬とか竜牙堂とか大蛇谷とか、竜と蛇関連の地名が多かったよね」


「そうね、確かに」

「今回の現場、鏑木山って竜も蛇も関係ないけど、これまでのが単なる偶然だったのかな」


「これまでも竜や蛇に関係ない場所はあったと思うけど……」


 有銘は口元に手を当てると、少し考えた。そしてタブレット型のコンピューターを取り出し、日美子に渡した。


「使える?」

「あ、はい、一応は」


「じゃ、鏑木山について調べてみて」

「はい、えーっと」


 コンピューターを立ち上げ、ソフトウェアキーボードを呼び出し、『鏑木山』と打ち込む。検索結果が出るまでに二秒ほど。


「えー、鏑木山、標高八六〇メートル。県境の山脈の中央に位置する。修験道の修行場として有名であり、山頂には……八大竜王が祀られている」

「有銘ちゃん」


 日美子の手元を凝視するハヤヒノに、しかし有銘は冷静に答えた。


「まだ可能性の段階」

「でも」


「鏑木山には八代竜王が祀ってある、一方地名に竜や蛇の付いている場所にも、何か祀ってあってもおかしくはない。可能性はある。もし祀っていなくても、その由来となる伝説はあってもおかしくはない。でも今考えられるのはそこまでよ。決定的な証拠はまだ何もない」


「確か、あのキメペって奴が、そんな感じの事言ってたよね」


 それは有銘も覚えている――例えば龍や鬼や天狗、神隠しや隠れ里の伝説は、全て天穴と繋がっているのではないか――確かにそう言っていた。言ってはいたが、これも一つの説に過ぎない。


「とにかく竜とか蛇とかの伝説がありそうな場所に自衛隊を置いとけば、被害は防げるじゃん」

「そんな場所が日本中に幾つあると思ってるの。兵力は無限じゃないのよ。憶測で動かす事はできません」


 ハヤヒノの提案を即却下すると、有銘は続けた。


「この話は上に伝えておきます、考察は専門家に任せましょう。今は目の前の任務に集中しなさい」


 その時、ツクヨミが声を上げた。


「……出た」

「歩兵竜? 天穴の場所はどこ」


 覗き込む様な有銘の視線に動揺したのか、ツクヨミは軽くサングラスを押さえると、


「指揮通信車から東に二キロ、北に百二十メートル、大きな鳥居の根元」


 小さな声で、しかしはっきりと言葉にした。




 人気のない深夜の街を、五頭の歩兵竜が走る。時折立ち止まり、獲物が居ないか探す。しかし屋外には勿論の事、屋内にも住人の気配がない。この近辺一帯は強制避難指示によって無人となっている。度重なる歩兵竜の襲撃は広く国民に恐怖心を植え付け、それが結果的に行政の避難誘導をスムーズにさせていた。


 乾いた銃声が響く。歩兵竜の鎧の上で銃弾が跳ねる。五頭の歩兵竜は一斉に銃弾の来た方向に顔を向けた。軽装甲機動車の屋根のハッチを開け、身を乗り出して自動小銃を撃つ隊員の姿。獲物を見つけた竜たちは一斉にそちらに向けて走り出した。車は急発進し、それを歩兵竜が追う。


 そうして皆が走り去り静寂が戻った街角で、闇から闇に動く影があった。全身を黒衣に包んだ数人の兵。慎重に、かつ俊敏に音もなく走り、やがて鏑木神社の大鳥居の前に立った。その向こうには山頂に向かう参道が伸びている。


 黒衣の兵たちは鳥居の根元を調べた。向かって左側の柱には何も異常はなかった。だが右側、自動小銃の先を押し当ててみると、ずぶずぶと中へ入って行く。天穴である。その様子を動画で撮影し、次に用意したのは手榴弾。安全ピンを抜くと、天穴の中へと放り込んだ。兵たちは物陰に身を隠す。


 ……三秒、四秒、五秒経っても音すら聞こえない。十秒まで数えて、もう一度天穴の元へ集まった。銃の先で突く。しかし銃の先は先程の様に中に入って行かない。そこにあったのは、ただの硬い鳥居の柱であった。天穴は消えていた。




 道路は往復二車線の一本道、周囲に人家は無く、道を上下に挟む斜面は杉林。八輪の装甲車は道を塞いで停車し、坂の上に照明と重機関銃を向けていた。深夜の山中、寒々とした闇。それを切り裂くかの如く、遠くから銃声が聞こえた。樹々の間を縫うように、山の上から一対の明かりが降りてくる。重機関銃のトリガーに指がかかる。装甲車の後ろでは、対戦車砲を構えた隊員が固唾を呑んで見つめていた。




 何か、おかしい。それが聞こえたのは現場からではなかった。遠く離れた場所から、より具体的には聖天寺学園の寮から聞こえた。コトシロだ。


「審議官」 


 ノコヤネは片耳を押さえながら、有銘に報告した。


「どうしたの」

「コトシロが、何かおかしいと言ってます」


 有銘は日美子と顔を見合わせた。


「何かって、何が」

「わかりません、ただ危険を察知しているようです」


 その不安げな顔に有銘は背を向けた。


「ツクヨミ。敵に何か変わった事はない?」

「ん……」


 サングラスの少女はうつむき、念を込めた。そして。


「ちょっと重い」

「重い、って何が重いの」


「体重が、今までよりも、ちょっと重い……お腹の中に何かある……何かの塊……あと、鉄の玉がいっぱい」


 有銘は無線を手に取った。


「緊急! 指揮通信車へ!」




 重機関銃が吠える。歩兵竜の動きが止まる。その一瞬の隙を見逃さず対戦車弾を撃ち込んだ。見事命中。しかしその瞬間、歩兵竜の中にあった『塊』が爆発した。


 高温の炎。激烈な爆風。そして超音速でばら撒かれる無数の鉄球。装甲車は横転し、その外に居た者たちは肉片と化した。樹々が薙ぎ倒され、そこかしこから炎が上がる。その死屍累々たる世界の中で、動き出す影。残り四頭の歩兵竜であった。

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