第30話 シノの力が奪われた日 ④(the third person)

 四つんばいのライラは雷を両手の鉤爪に纏いだし、一瞬にして男の懐へ潜る。

 右の鉤爪を左下に振り下ろし、男の右脇腹を狙うも紙一重で躱される。

 男は反撃に移ろうとするがそれよりも早くライラは男の背中に周りこむ。


 「遅いわ!」


 両腕をクロスさせ鋭い鉤爪は男の背中に筋交い線を刻む。その傷から血が滲み出す。男は顔を引きつらせながら蹌踉めく。


 「ぐ...っ! 予想外です。あなた様が私のバインドを解くとは思いもしませんでした。やはり、元白狼王に並ぶ程の実力があっただけはあります。それにスピードは健在のようですね...。ただいつまで体が持ちますかね」


 男は分かっている。

 ライラが全盛期ほど獣狼じゅうろうモードを長くを保ったまま戦う事が出来ない事を。

 更に拘束具の解除によるダメージは深刻でその傷口からは血が止まる気配なく流れ続ける。

 自身の体の限界を感じるも負けじと歯を食いしばりながら肩で息をする。


 「これきしのことでもう...ガタがきたか。歳はとりたくないものだな」


 男は次元から謎の液体が入ったコルク瓶を取り出す。コルクを外し半透明な液体を床に流しだす。

 そして、右の人差し指の先に蝋燭の火ほどの小さな火を灯し、それを指先を弾き、半透明な液体に投げ入れる。

 小さな火が半透明の液体に触れると一瞬にして男の周りを激しく燃え上がらせる。

 微量な魔法だけで火が燃え広がる光景を見ていたライラはこの現象に理解できていなかった。


 「何が起きた?」

 

ライラの言葉に応える事なく、男は片手で手記を広げて魔法を唱える。


 「新生龍ノブァヒュドラ...」


 激しく燃え上がる真っ赤な炎は3つに分かれ出し、それぞれ首から頭まで形成する。その姿はまるでヒュドラのようだった。


 「私の手で殺してあげましょう...眠るがよい」


 ヒュドラのような形をした3つの炎の頭はライラに襲いかかる。


 「まだ諦めん! ...人狼モード雷牙ライガ!!」


 両脚は肥大化し、両腕は人の手と同じ関節となり、四つん這いの姿勢から直立二足歩行となる。

 右の鉤爪にほとばしる雷を纏い、ライラから見て一番右の龍の顔に強烈な回し蹴りを放つ。

 だが、中央の頭に膝を噛みつかれ渾身の一撃を止められる。

 膝を噛み付かれて動けないライラに対して左右の頭が襲いかかる。

 うめき声を上げながらライラは噛まれて固定されている右脚を軸に体を浮かせ、雷を寄付した左脚を下から斜めに蹴り上げる。


 「雷斬牙ライザンガ!」


 蹴り上げた足からは群青の斬撃が放たれ、その斬撃は2つの頭を切り裂く。

 切り裂かれた2つ頭部は床に落ちる前に爆発し、ライラの膝に噛み付いていた頭を巻き込む。

 その衝撃波により、亀裂が入り脆くなっていた部屋の屋根が大きな音をたて崩れていく。窓ガラスは全て割れ外に破片をばら撒かれる。

 炎は疎らに床の上で揺ら揺らと燃え続ける。その煙を吸い込んだのか男は咳き込む。

 その隙を見逃さずにライラは男の傍から襲いかかる。


 「あなた様ならこの隙を突くと思っていましたよ。咳は演技です」


 男は咳をわざとして隙をつくることで攻撃を誘い出し、返り討ちを狙っていた。

 手刀でライラの首を切り落とそうとする。しかしほんの一瞬、体から力が抜けてしまい蹌踉めいてしまう。

 

 「なっ!」

 

 ライラの右鉤爪が男の首元を捉える。


 「...もらったあああ!」


 ライラの一撃は決まると思ったしかし、首元に鉤爪が首元に届く寸前鉤爪は消えしまい、男の首筋を切り落とす事は出来なかった。

 

 「ッ...」


 ライラのもう力が残っていなかった。体はとうに限界であり人狼モードから人の姿へと戻ってしまう。

 男は口隅に笑みを浮かべると、ライラの腕を跳ね除け、上半身を蹴飛ばす。


 「力及ばずと思っているのでしょうが、残念ですが仮にあなた様の攻撃が届いたとしてもあの程度では傷つけるのが関の山です」


 ライラは地面に倒れ込んでいた体を起こすも蹌踉めきまともに立っていられない。


 「ゲホゲホ...そんな事は知っていた。わたくしが貴様の背中に与えたダメージ感覚でな...だから貴様が狙いではない、狙いはこれだ」


 傍から手記を取り出し、男に見せる。


 「それは...やれやれ、そんなの取っても意味ないですよ。流石のあなた様でも読むことができませんよ」


 面倒くさそうに手櫛で髪をときながら一歩一歩ライラに近づく。

 ライラには逃げる程の力はもうない。だが、ライラの目は諦めていなかった。


 「時間稼ぎは出来た...」


 信じていたのだ。ある人の存在を。


 「ぶつぶつと何を仰っていますか分かりませんがもう、終わりにしてあげますよ」


 指先を揃え大きく腕を後ろに引き、ライラの胸へ突き刺す。

 ライラは柔らかな笑みを浮かべる。

 一本の劔が2人の間に突如と出現し、手刀を受け止める。

 上から魔法を唱える声がする。


 「劔雨モォースレイン!」


 頭上から無数の劔の雨が男を襲う。


 「チッ!」


 男はバックステップしながら避けるも無数の劔を全て避ける事が出来ず数本突かれるが、刺さる事は無く弾かれ体が切れるだけであった。


 「全く遅いぞ、カミツルギ」


 カミツルギはシノの隣に着地し、容体を確認する。命に別条がない事が分かり安堵の吐息を洩らす。そして、一点を凝視する。


 「忸怩たる思いです。...先生、奴がお嬢様を?」


 ライラは嗚呼ああと喉を鳴らしながら首を縦に振り肯定する。

 カミツルギは劔を向け言葉を放つ。


 「そうですか...お前は許さん、ここから...」


 「新生龍ノブァヒュドラ!」


 男はカミツルギの言葉を待たず、魔法を発動させる。床に燃え残っていた炎が1つの龍のような頭となり、それがシノを襲う。


 「劔盾モースシールド!」


 無数の劔が集まり、シノの前に巨大な盾の形を作りあげる。

 魔法は防がれ爆発し、その爆風により飛ばされたシノを空中で抱き抱え、ライラの元に移動する。

 先程男がいた場所に男の姿は無く、どこからか声がする。


 「今宵の目的は果たせましたので退散します。いつか取りに伺うまでその手記は大切に預かっておいてください」


 「おい、逃げるな! くそおおおおおお!」


 カミツルギは追いかけようとするがライラが腕を掴み制す。


 「深追いするな、奴は聖水を持っていた。まだ持っているとしたらハーフの貴様とて勝てるか分からん。それに優先するのは...」


 ライラの目線はシノに向けられる。

 カミツルギは歯を噛み締めながら渋々納得し、男を追いかけるのを辞める。


 「医師を連れてきます。先生お嬢様をお願いします」


 カミツルギは駆け足で医療班の要請へ向かう。


 傷ついたお嬢様をライラは優しく抱き抱える。


 「お嬢様......」


 頭上から2人を照らす柔らかな今宵の月光は冷んやりとしていた。



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