第29話 シノの力が奪われた日 ③(the third person)

 「素晴らしい! 吸血王の力は私が思っていた以上です。これが私のものになると思うと震えが止まりません」


 男の手は小刻みに震えている。そんな姿を見て嫌悪感で寒気がする。


 「何を言っている寝言は寝て言え! お前はここで終わりだ」


 男は音を立て手記を閉じ、ニヒルな笑みを浮かべて愉しげに話す。


 「確かにこのまま魔法勝負をやり合っては私はあなた様に負けるかもしれません...。ですがそれは純粋な勝負をしたらの話です」


 空気中の魔素に動きがあり魔法が放たれるとシノは構える。

 しかし、何も起きなかった。

 起きなかったのではない、魔法は発動していたがシノは気づけなかった。

 空間はゆっくりと冷やされて現在進行系で魔法は進んでいた。

 シノが感じた寒気こそが魔法であったのだ。しかし、シノはこの寒気は嫌悪感によるものと思い込んでしまっていた。

 この思い込みが状況を悟らせないための男の罠であったとは知らずに。


 「そう、構えないでくださいよ。もう少し、話をしましょう。そうですね、化学を知っておられますか?」


 「カガク? 言葉も意味も知らん。時間稼ぎか知らんが無駄なことを、少し寿命が伸びる程度だぞ」


 男は革靴を床を打つけコツコツと音をたてながらおもむろに歩きだし、悠々と語り出す。

 シノは男の動きに入念に警戒する。


 「この世界では魔法でなんでもできてしまう。だから誰も疑問を抱かない。水がどのようにして生成され、炎がどのようにして燃えるのか——」


 だんだんとあたりの霧が晴れてきた。

 シノは霧がある状態でも、気配を察知しているので男の居場所は分かっているが、視覚を明瞭にした方が戦いやすいので霧が晴れるまでこの男の戯言を聞き待つことにしていた。


 「疑問に思ったことなどない。それがなんだって言うんだ。そんな事考えなくても炎、水など簡単に出せる」


 男は歩みを止め、天井をおもむろに見上げる。


 「物質の三態——。気体を冷やすことによって液体になることを凝縮と言う...」


 説明文を読むかのように口ずさみ自身に言い聞かせているように。


 「お前は何を言っている...?」


 シノは眉を顰める。



 *



 「化学は偉大である。おっと、そろそろお時間です。霧も晴れたようですし」


 「お嬢様何かおか...し...」


 ライラは自分の吐く息が白い事に気づき、先程よりも室内の温度が下がっていると理解する。

 先程から男が見上げる視線の先を首を無理やり動かし、確認すると、天井には今にも落ちて来そうな水滴がまばらに付いていた。


 「まさか! お嬢様、ここに居ては駄目です! ——早く外に...!」


 シノはライラの忠告通り直ぐにこの部屋から脱出しようと足を踏み出すが遅かった。


 「もう遅いです」


 辺りの水蒸気は消え去り、天井からゲリラ豪雨のように集中的に大量の水滴が降って来る。その一滴一滴がシノを襲う。


 「いやああああああああああ!!」


 シノは身体に電撃が走るかのような痛みに悲鳴をあげる。先ほどとは違い全身に聖水を浴びたため立つこともままならず倒れこみ、シノはそのまま気を失う。


 「お嬢様ああああああ! 貴様は許さ...っ!」


 「煩いですね」


 バインドでライラの口を拘束し、言葉を塞ぐ。


 「いやーこれで死んでしまうのではないかとヒヤッとしました。死んでしまったら台無しですからね」


 冷ややかに笑いながらぐったりとしているシノに寄り腰を折り、頤を右の人差し指と親指で軽く持ち上げる。


 「八咫鏡で"心"を奪いたいですが、あなた様は吸血鬼であるため鏡に映らない...ではどうするか。...直接映せないなら媒体を用意して鏡に映せばいいだけです。あなた様も先ほど言っておられて方法で」


 男はシノの頤から手を離し、上半身をまっすぐに起こす。

 頭を上げられていたシノは支えを失い頭を地面に撃つ。それを見た男は片方の口角を上げる。

 空間を裂き、その空間から右手で八咫鏡を取り出す。

 空いている手で力なく倒れ込んでいるシノの後ろ襟を掴み、シノを引きずりながら水溜りまで移動する。

 その場に着き、シノを水溜りにかざすと水面にシノの顔が映り込む。その水面に鏡をかざすと水面から白い靄が立ち昇り、それが鏡に吸い込まれていく。


 「案にたがわず、直接鏡に映すわけではないのであなた様の全て手に入れることはできませんでしたが、まあいいでしょう。それでは、長居は禁物ですのでお邪魔します」


 シノは乱暴に手から離され、まてしても無抵抗のまま地面に叩きつけられる。

 ライラがお嬢様に対して心痛の声を上げるも、口にあるバインドのせいで声にならずうめき声となる。

 男は八咫鏡を次元にしまい込み律儀に挨拶し、入ってきた扉から出ようとノブに手をかける。

 男がドアノブに触れた瞬間、空気中の魔素に大きな乱れが発生する。その発生源を察知し男は半身になって、肩越しに振り返る。

 男の目には電撃を身に走らせている四つんばいのライラの姿が映る。

 手足口の拘束魔法を魔法と力技で無理やり引きちぎった代償として、体中が傷だらけとなり血が止まる様子なく溢れて出てくる。

 その血で真っ黒な燕尾服えんびふくを真っ赤に汚していた。


 「...貴様は許さない! お嬢様から奪った力を返してもらおう。貴様に...地獄のような苦しみを与えて殺してやる!」


 ライラは砕けそうなくらい歯を噛み締めながらだんだんと獣の姿になっていく。尾骶骨から青み掛かった尻尾が生え始め、犬歯が発達していく。

 体が一回り大きくなり、体の変化に耐えれる事が出来なくなった燕尾服は裂け、露出した肌からは鉄紺の毛が生えてくる。

 手足も獣のように変形していき鋭い鉤爪が形成される。完全に姿は狼である。

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