第10話 雨降の鬼(前編)
雨が降っている。
かじかむ寒さの中、圭史は階段を登っていた。
時期じゃないのに紫陽花が咲き乱れる神社の鳥居の前に立つと、圭史は布のお面をし、中へ入って行った。
✴︎✴︎✴︎
「澪さーん!ご飯まだ!?」
大貴が元気よく駆けてきて澪にしがみつきそう言うと、澪は手を動かしながら答えた。
「すぐに出来る、ちょっと待っていなさい」
「はーい!」
元気よく答え返して席につくと、圭史がいないのに気づき、大貴はキッチンを覗き込んで言った。
「ねぇ澪さん、圭史はー?」
澪は一度手を止めると、大貴に向き直り座って真剣な顔で言った。
「圭史は今日大事な用があって出ている。いつものようについて行きたいなんて考えないように…。」
「…はい」
「わかればいい」
澪の迫力に押され、大貴はそれ以上何も聞けなかった。
だがどうしても気になり、大貴は圭史にもらったお守りを握りしめた。
鬼や汚染者は、鬼の力でお互いの場所がおおよそわかるらしい。
鬼の力を込めたお守りも、力を込めた者限定で同じようにある程度干渉できるようで、圭史に置いて行かれないように、大貴は良くこれを握りしめていた。
どうやら神社の方に向かっているのはわかったが、神社の中に圭史が入って行くと、何故か突然、圭史の気配が消えた。
「あれ…なんで?」
そう言ったのも束の間、大貴は澪にお守りを取り上げられると、驚いた表情で彼女を見上げた。
「何だよ!いいじゃん気配を探るくらい!」
「大貴…お前のためを思っての事なんだよ?」
澪がそう言うと、大貴はむっつりしながらも向き直り、澪と同じように正座した。
「何でダメなの?ワケを言ってよ!」
「それはね、私達のように汚染者ではない普通の生身の人間の大貴では危険すぎるからだ。本当なら普段の戦いの場にも来て欲しくないんだよ?でもそれ以上に危険な目に合わせたくないのをわかってくらないか?」
大貴はむっつりしていたが、次第に落胆した表情になり、肩を落とした。
「危なければ逃げるよ!俺足は早いんだ、そんなに信用ならない?」
「大貴…そんな事はない、でも今圭史がいるのは、お前の思うような普通の場所ではないんだよ」
「…?」
澪はため息をもらすと、持っていたハンカチを取り出し何か呪詛のような物を唱えると、ハンカチに焼け焦げた梵字のような文字が浮き出て大貴の顔をお面のように覆った。
「私の力が込めてある。それを着けて私から離れない事…守れるなら連れて言ってやろう」
「本当!?守るよ守る!守ります!」
大貴が嬉しそうにはしゃぐと、澪はため息を交えながら、やれやれと笑った。
✴︎✴︎✴︎
紫陽花の咲き誇る神社、そこに澪と手を繋ぎながら階段に足を踏み入れた大貴は、季節外れの紫陽花に気を取られていた。
そんな時、鳥居の前で澪が止まり、少しぶつかってたじろぎながら大貴は澪を見上げた。
「…どうしたの?」
大貴が尋ねると、澪は大貴の口を塞ぎ、自身も大貴と同じように焼け焦げたハンカチでお面のように顔を隠した。
「いいか大貴、鳥居を潜る時、絶対に口を開いてはいけない。手を離すのもダメだ。あちらとこちらをつなぐ場所だからな」
「あちらとこちら?」
大貴がそう尋ねると、澪は鳥居の中に手を伸ばした。
すると、水面のように波紋が鳥居の全体に広がり手が消えた。
「えっ!何だこれ!?」
大貴がそう言うと、澪は手を鳥居の中から引き返し口に指を当て静かにするよう促した。
「あっ…ごめなさい」
大貴は口を紡ぐと、澪と同じように鳥居の中に手を伸ばし、波紋を作りながら思い切って中へと入って行った。
そうして入った先の神社は、昼間なのに夜のように暗く、行燈が立ち並ぶ道がずっと続いていた。
「もうしゃべっていいぞ大貴」
息まで止めていた大貴は、澪がそう言うと口を押さえていた手を離し、息を吸い込んだ。
「ぷはぁ…澪さんここは?」
「裏鬼丸横丁だ。ここは昼間でも暗く鬼化病の重症者が多い。だからある鬼の術で症状を抑えてるんだ。来なさい、絶対に手を離さないようにね」
裏鬼丸横丁は雨が降っていて、本当に薄暗く、ゴホゴホと咳をしている人や包帯を巻いている人であふれていた。
皆どことなく目が虚ろで、鬼化が進んでいるのか閉じ込められて暴れている者もいた。
「圭史はここになんの用で来てるの?」
「知人に会いにだ。百鬼夜行の事を聞きに来たんだろう…。」
大貴はそう言う澪の話を聞きながら、灯りが揺れる灯籠に気を取られていると、石畳に足を取られ、澪の手を離してしまった。
「うわぁー!」
「大貴!」
すると大貴は呪詛の雨の渦のようなものに動きを封じられ、それに流されて鳴門の渦の中に吸い込まれてしまった。
「大貴!…あれほど手を離すなと言ったのに…。」
澪は大貴が流された方を石畳の上から見下ろしながら、雨の渦を追いかけ、人とは思えない脚力で崖を下って行った。
✴︎✴︎✴︎
大貴はどこかわからない庭のような場所で目が覚めると、びしょ濡れの服をさすりながら辺りを見渡した。
「どこだろうここ…。」
普通なら死んでしまうのではないかと思われる渦に流されても平気だったのは圭史のお守りのおかげであろう。
その証拠に圭史のお守りが流されている間も今も青く光っていた。
途方にくれていると、庭に面した廊下を、大貴ぐらいの巫女の服を着た少女が歩いて来るのが見えた。
「あら…どちら様でしょう?」
「えっと…。」
水牛のような角を二本生やしている事からこの子も鬼化病汚染者なのだろう。
お互いに固まっていると、屋敷の奥の方から良く通る声が聞こえてきた。
「珠那(シュナ)、いいからその子をこちらへ通しなさい」
「はいお姉様、ただいま…。」
そして屋敷に入るようジェスチャーされ、大貴は言われるがままに濡れた体のまま上がった。
通された屋敷の中には圭史達と同じくらいの少女が、通してくれた珠那と同じ角を生やしていて少し位の高そうな巫女の服を着ていた。
「初めまして坊や、私達は雨降の鬼と言われています。この裏鬼丸横丁に普通の人間が何用ですか?」
「それはその…、人を探していて…。」
オレンジ色の瞳でこちらを見てくる落ち着いた物腰の少女にたじろぎながら、大貴は彼女の手の前にある大きな球を見た。
その水玉の中には雨が降っている様子が映し出されていた?
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