二章7 『修行の付き合い その2』

「僕の両親は巨万の富を持っていた。住んでいたのはもはや家じゃなくて、洋館だった。屋敷にはいつもお手伝いの人達がたくさんいて、甲斐甲斐しく僕を世話してくれた。だけど両親はさらに金を得るために、大企業の社長として汗水を流していたんだ。バカじゃないか、金があるのに金がないヤツと同じように、時間に追われて働く。そうしないと偉(えら)くなれないから……なんてさ。だから両親が死んだ時、僕は決めたんだ」


 初対面の相手に、普通はこんな昔語りはしない。それでもノゾムに話したのは、彼女がゲームのキャラクターだからだろう。あくまでもノゾムは架空の存在であり、実在の人物ではないのだから。

「……何をですか?」

「僕は働かない。働かずして、えらくなってやるって」


 またパーティが帰ってきた。僕は彼女等を再びクエストに送る。

「遺産は莫大な量だった。僕はそれだけもらって、社長の座は伯父さんに譲った。後は適当な場所に家を作って、適当な家政婦を見つけて、適当に日々を送った。そんなある日、ソーシャルゲームとブラウザゲームを知った。衝撃だった。ここでは財力が物を言う。金さえあればえらくなれる。そしてゲームは労働じゃない」

「あはは、すごい理由ですね」


「最初は楽しかった。自分の名前が天辺で輝く。ゲームに関わる多くの者が自分を称賛する。フレンド、つまりゲーム内での協力者からは引っ張り凧。僕は学校に行かず熱中した。心からは色々言われたけどな」

「星夜さんは?」

「あいつは僕に危険がない限り、何も言わないさ」

「ああ……、確かにそんな感じがします」


 いくつかのパーティの帰還。また出撃させようとしたが、一つのゲームでメンバー超過が起きていた。何人かを合成・売却しなければいけない。ちっ、面倒臭い……。

「だけどさ、ゲームだって今の社会を映したものでしかないんだ。文化のダイヤモンド。社会が文化を作る。ゲームと社会はイコールの存在……」

「つまり愛は、何が言いたいんですか?」

「分からないか? 流行している遊戯と社会には、必ず共通点が生まれるんだ。チェスや将棋が流行したころは、社会では戦争が起きていた。海や森と共に生きる場所では、その地で遊び、将来は働く。じゃあ、この現代日本ではどうか?」


 僕はそこで言葉を切って、ノゾムに視線を送った。

 彼女は小さな声でぽつりと言った。

「わかりません……」

「この国の社会でのタブーは遅刻と納期の遅れだ。週間、月間と決められた周期で生まれるコンテンツ。決められた発売日に店頭に並び、あるいは家に届けられる商品。そしてソーシャルゲームは決められた期間でイベントを開催する。これでも分からないか?」


 ノゾムはゆっくりと、答えを口にした。

「時間……ですね」

「ああ、そうだ。他にも礼儀だの不正だの色々あるけど、それはひとまず置いておこう。文化のダイヤモンドはその名の通り、決して砕けることの無い例えだと思う。なぜなら社会と文化はいつだって密接な関係にある。そしてそれ等を結び付けているのは他でもない、人間自身なのだから。まぁ、この言葉にはもっと難解な意味があるんだけどな」

「……だから愛はソーシャルゲームをやり続ける限り、社会からは逃げられない。嫌っていた時間から追われ続ける羽目になるんですね。……うっ!」


 ふいにノゾムが頭を押さえて呻き始めた。

「う、うう……」

「お、おいどうしたんだ?」

 いくら声を掛けても、返事は返ってこない。ノゾムは脂汗を額に浮かべて呻き声を漏らし続けている。

 心配になって僕は星夜を呼びに行こうとした。


 その時、月に雲がかかって辺りが暗くなった。同時にノゾムは今までの様子が嘘だったように、不気味な声で笑いだした。

「ノゾム?」

 彼女の瞳はいつの間にか怪しく輝き、蠱惑な視線を僕に向けていた。

「ふっふふふ。分かっちゃいました、分かっちゃいましたよ」

 口ずさむように彼女は言った。

「……何が?」

 僕は警戒しつつ、ノゾムでありノゾムでない何者かに問うた。


 こいつはノゾムじゃない。だけど彼女は目の前から一歩も動かなかった、だからノゾムに違いない。この矛盾を解決するには、こう考えるしかない。こいつはノゾムの中にいた何かだ。

 でも不思議とこいつも、ノゾム自身であるような気もした。彼女が別の誰かを演じているとは思わない。例えるなら、寝ぼけている時に自分自身の本性が出てしまったような、そんな印象を感じるのだった……。


「決まっているでしょう。愛がやりたかったことがですよ。寂しかったんでしょうね。時間に追われて、自分と全然遊んでくれなかった両親。一人、広い屋敷で他人に囲まれて送る日々。そして君のご両親は、君と満足に語らうことも無く、死んでいったのですね。ふふふふふふ」

「まるで実際に見たような物言いだな。で、それが僕のやりたかったこととどう繋がる?」


「復讐ですよ。君は復讐がしたかったんです、労働社会というものに。別に君はブラック企業とか労働基準法違反とか、そういう社会人の悩みには一切興味は無かったでしょうね。ただ、両親を束縛した、時の牢獄である社会に復讐したかったんです。けれど君個人の力じゃ、国家の管理する社会に復讐なんてできっこありません。だから君は社会からゲームに逃れることで、ささやかな反乱を起こしたんですよね。もっともそのゲームも社会の毒に侵されていたわけだですが。ふっふふふ」


 何も言い返せなかった。彼女の口にしたことが全て事実だったからだ。

 僕は観念して、両手を肩の辺りまで上げた。

「お前の言う通りさ。僕は両親の顔さえ覚えていない。もともと人の顔や名前を覚えるのは得意じゃなかったけど、決して失顔症じゃない。それなのに両親の顔も分からないなんて異常だと思うだろう?」

「……そうですね」


「だけど当然なんだよ。だって両親は、ほとんど家にいなかったんだから。あの人達は言ってたよ、『男の子なら一人で生きていけるぐらい、強くならないとね』ってさ。男女平等が謳われている時代で、どうしてそんな錯誤的なことを言ってるんだよって思うよな。だけど僕はその言葉のせいで、一時期本気で女の子に生まれ変わりたくなったよ。ははは……。まぁとにかく、そのせいで僕の子供の頃の記憶には、執事やメイドの人達しかいないんだ」

 一陣の強い風が吹き抜けた。宙を舞っていた花弁は一転、空へと吹き上げられていった。


「それで、君はこれからどうしたいのですか?」

「え?」

 間抜けな声で答えた僕に、彼女は呆れた顔で溜息を吐いた。

「……君は社会に復讐しようとした。でも力不足でできなかったから、せめてその手が及ばぬゲームに逃げようとしました。だけどそこさえ社会の毒が蔓延していたから、逃れることさえ失敗してたってわけですよね」

「そうだな」

 結局、僕のやったことなんてその程度。……いや、何もできなかったのだ。子供の力なんて、所詮その程度のものだ。


「……僕って一体、何がやりたかったんだろうな」

 何度目かの、パーティの帰還。だけど僕はもう、彼女等を冒険に赴かせようとはしなかった。

 ふと近くから花のような、優しい香りがした。それは意識せずとも分かるような強い香り。そして嗅いでいると頭がとろけてしまうような、甘い芳香だった。

 ノゾムの顔をした彼女が、僕のすぐそばまで迫ってきたのだ。


「ね、愛」

 彼女は僕の名前を呼び、顔を近づけてきた。

「もしも、もうやりたいことが無いのなら。私に君の心を預けてみる気は無いですか?」

「……どういうことだ?」

 ぼんやりとした頭で答える。考えるという行為はとっくに忘れ、ただ彼女の言葉に霞がかった意識で答えているような、そんな気分。悪くない。


「簡単なことですよ。ただ、私に服従すればいいのです。ずっとゲームに従って生きてきた君なら、絶対に完璧にこなせます。私が約束しましょう」

「……そうすれば、今度こそ逃れられるのか。社会から、時間から」

「モチのロン、です」

 その答えを聞いて思った。ああ、やっぱり彼女もノゾムなんだなって。……いいや、今だってノゾムはノゾムなんだなと。


「……考えさせてくれ」

「ふっふふふ。了解です」

 少し周囲が明るくなった。空を見上げると、月が雲の切れ端から顔を覗かせていた。

「おっと、もう時間のようですね。ではその話はまた、次の機会に。良き日々を」

「ああ……」


 月が完全に、雲から顔を出した。その途端、糸が切れたようにノゾムの体から力が抜け、がくりと僕の方に倒れてきた。

「お、おい」

 僕は慌ててノゾムの体を受け止めた。彼女は小さな呻き声を漏らして、閉じていた瞼を開いた。その瞳はいつもの澄んだ黒色をしていた。


「あ、あれ私は一体……?」

 眠たげな声で問うノゾム。僕はしばらく逡巡した後、歯切れ悪く答えた。

「……寝ぼけてたんだよ、お前は」

「そうだったんですか。えへへ、ごめんなさい」

 笑って頭を掻く彼女。その様子にさっきの妖艶な姿を重ねることは難しいが、でもあのノゾムも偽物じゃない。根拠は無いが、なぜかそう確信できた。

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