二章6 『修行の付き合い その1』
僕の家の前には小さな公園がある。
傘の下公園。地区名から取られた名前だが、何の偶然か公園には傘のような形の巨大な木が植わっている。その木は公園の面積の大半に影を作ってくれるため、夏場は近所の人が涼みにやってくる。
そこでノゾムは夜の日課である素振りをするようだった。
「愛様、公園より遠くには行ってはいけませんよ。もし何かあったら、大きな声で私めを呼んでください。流星よりも早く駆けつけますので」
「ああ、そうするよ」
玄関で心配げな星夜から注意を受ける。
ちなみに心はもう帰ってしまった。彼女はずっと挿入歌を口ずさみ、興奮していた。あれだけ喜んでもらえれば聴かせた甲斐があったと、僕まで嬉しくなった。
「大丈夫ですよ! もしも愛に危害を加えようとする輩がいたら、私がこてんこてんにしてやりますので!!」
ぶんぶんと腕を旋回させて張り切るノゾムには、残念ながら頼りがいというものが欠片ほどさえ無かった。もしも危険が迫ってきたら、逡巡せずに星夜を呼んだ方がよさそうだ。
外はすっかり暗く、空では小さな星々が瞬いていた。まるで今すぐにでも消えてしまいそうな弱々しい輝き。そんな星々に囲まれて三日月は優しい光を僕達に投げかけていた。
「おおー、こっちの世界の夜空も素敵ですね! これは力がみなぎってきますよー!!」
ノゾムはスキップステップで庭を駆けていく。
僕は溜息を吐いて、彼女後についていこうとした。その時、星夜は僕の肩に手を置き、耳元で囁いた。
「……愛様。十分に注意してください」
「分かってる。もしも危ない奴がいたら、回れ右をして帰ってくる」
「確かに、そういう危ない方は近づかなければ済みます。ですがもし、近くにいる方が危険な人物だとしたら……?」
予想外の警告に、僕は思わず彼女の顔をまじまじと見てしまった。
「……冗談だよな?」
「私はいつだって本気で話しています」
しばらくの沈黙の後、僕は一応素直に頷いた。
「わかった、彼女にも十分注意するよ」
「……私も付いていきましょうか?」
「別にいいよ。今日は疲れただろう、ゆっくり休んでくれ」
「本当に、気を付けてください。愛様はただでさえ騙されやすいのですし……」
玄関の扉を閉め、背を向ける。
「愛、早く早くー!」
門扉の前でノゾムが手を振っている。
「ああ、今行くよ」
星夜の言葉を全く信用していないというわけじゃない。確かに|あの(・・)ノゾムは少しおかしい。ST中に何度か違和感を覚えた。だけど僕はノゾム自身を嫌うことはできそうになかった。どこか憎めないところがあるし、何より彼女といると楽しいのだ。退屈することが無い。まるで不思議の国に来たアリスのような気分になれるのだ。
ノゾムとはまだたった一日、一緒にいただけだ。けれど僕にはもう、彼女のいない生活は考えられなかった。
傘の下公園には巨木が一本と二脚のベンチ意外、何も無い。小さな子供が遊ぶ公園というよりは、歩き疲れた人々が足を休めるための場所だ。
傘の木と呼ばれる巨木は桃色の花を付け、風に揺られてはちらちらと花弁を舞わせていた。街灯と月光に照らされたそれは、季節外れの雪のようだった。
「さぁ、始めますよ~! 一、二、三……!」
ノゾムは大きな掛け声と共に木刀を振り始めた。……近所迷惑にならないか少し心配だ。
最初はぼんやりと彼女の素振りを見ていた。時々スカートが捲れて見える美脚に顔を赤らめたり、汗ばんで上気した顔にドキドキしたり、思春期男子特有の感情を抱いていた。だが百、千と続いていくとだんだん飽きてきた。
結局、持ってきたボックスでゲームをすることにした。プレイするゲームはせっかくだからブレーメン☆ガールズにしよう。あと別ブラウザで他のゲームも少しやるか。処理速度が遅くならないか少し心配だが。
イベントステージを周回しようかと思ったが、すでに二位と大きく差を離してトップに立っているし、これ以上やることもない。キャラの覚醒素材でも集めるか。
適当に編成を組んで、パーティを出発させる。あとは帰ってくるのを待つだけ。別のゲームでもその作業を行い、それ等も終わり。またやることが無くなった。
……あ、やっぱり暇だ。
溜息を一つ吐き、ベンチに寝転んだ。満天の星々が輝き、という定型文が似つかわしい夜空が視界いっぱいに広がっていた。
ちょうどその時、休憩のためにノゾムが隣に座ろうとした。僕はポケットから薔薇が刺繍されたハンドタオルを取り出し、ベンチに広げた。
「あ、すみません」
「別に。いいから座れよ」
彼女はタオルをちらっと見て、ゆっくりと腰を下ろした。
「うーん、疲れました」
ノゾムは大きく伸びをして、空を仰いだ。
「月が綺麗ですねー」
「何だ、告白か?」
「ほえ?」
本気でわからないようで、首を傾げている。
「……夏目漱石」
「……ああ、そういうことですか!」
手の平を合わせて合点がいったという顔をするノゾム。嬉々とした笑みを浮かべるノゾムの笑みを目にした瞬間、なぜか胸が突き出るんじゃないかってぐらい高く跳ね上がった。
「……どうしたんですか、愛。顔が真っ赤ですよ?」
心配そうに顔を近づけてくるノゾム。黒く濡れた瞳が少しずつ大きくなっていく。その潤みが揺れるのに合わせて、胸の鼓動が激しくなっていく。どうにか視線を逸らそうと下に逸らしていくと、ぷるりとした唇が。明るいピンク色のそれは、触れたら雫のように崩れてしまいそうなぐらい、儚く煌めいている。思わず触れてみたくなったが、その前におでこに温かな感触を感じて、頭の中に詰まっていた思いが全て霧散した。彼女から甘い花のような匂いが香り、鼻をくすぐる。意識が水あめのようにとろけてしまいそうだ……。
「うーん、熱は無いみたいですね……」
そう言って、離れていくノゾム。
何か文句の一つでも言うべきなのだろうが、上手く言葉に出てこなかった。彼女が少し目を逸らした時に、こっそりおでこに触れてみる。まだそこに彼女の温もりが残っていて、それが何だか無性に嬉しかった。まるで、心をくすぐられているみたいに。
しばらくの沈黙の後、彼女はもじもじと切り出した。
「その、無理に連れ出してしまってごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げるノゾム。僕は謝ってばかりじゃないかと苦笑しつつ、手をひらひらと振った。
「それによく考えれば、家政婦さんがつくようなお坊ちゃんを連れだすなんて、いけないことですよね」
「今更だな」
思わず吹き出してしまったが、ノゾムはいたって真面目な顔をしていた。
「……あの、よろしければ愛のこと、教えてくださいませんか?」
「僕のこと?」
「はい。イヤでなければ」
僕はちょっと考えてから訊いた。
「どうして急に?」
「……知りたいんです。他意はありません」
しばし沈黙が続いた。
風が吹き、公園に生えた木々の木立(こだち)や葉を揺らす。微かな音が幾重にも鳴って、大きな響きのうねりを生み出す。その音の中にいる僕達は微動だにしない。お互いのことをじっと見つめ合っている。
やがて僕はため息を吐いて言った。
「面白い話じゃないぞ?」
「構いません」
間髪入れぬ返答だった。
「そうか……」
僕は肩を竦(すく)めて話し始めた。
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