二章5 『聞き覚えのある歌』
「うーん、とっても美味しいです!」
肉じゃがを一口食べると同時に、ノゾムは歓喜の声を上げて頬に手を当てた。
「そうですか、それはよかったです」
星夜はすました顔を装っていたが、頬のゆるみが彼女の心を代弁していた。
今日の金頼家の夕餉はいつもよりとても賑やかだった。客人としてノゾムと心の二人を迎えているし、加えてずっと引き籠っていた僕もノゾムに引きずり出された。星夜も合わせて計四人の食卓。久しぶりの大人数での食事に若干気後れを感じつつ、僕は冷ややっこをつまんでいた。
「にゃー、久しぶりに食べたけど星夜っちの料理は最高にゃー。そんじょそこらの料理人なんて目じゃないにゃ!」
「褒めても何も出ませんよ」
今度は鼻の穴が広がってる。どうやらよっぽど嬉しいらしい。まぁ、僕は食事に関してはほとんど感想も言わないし、そりゃ嬉しいか。
ふと心は壁掛け時計を見て、急に慌てだした。
「にゃにゃ、この時間は! 星夜っち、テレビを付けてもいいかにゃ?」
「ええ、かまいませんよ」
心はボックスのリモコンアプリを起動してテレビを付けた。
「……おい、心。何でお前が僕の家のテレビを登録してるんだ?」
「にゃはは、細かいことは気にしないが吉にゃ!」
まぁ、別にテレビなんて全然見ないからどうでもいいのだが……。
彼女は音楽番組にチャンネルを合わせた。よくある百人の歌手が登場とかそういう謳い文句のやつだ。
ちょうど四十九人目の歌手が歌い終わり、次の人にバトンタッチするところだった。
「よかったにゃ、ぎりぎり間に合ったにゃ」
「へぇ、お前が歌を聞くなんて落ち着いた趣味があったとはなぁ……」
「愛っち、私を何だと思っているにゃ? 青春真っ盛りの女子中学生なんだから、好きな歌手さんの一人や二人はいるにゃ。だけど一番好きな歌手さんはと聞かれたら、私は迷いなくこの人を選ぶにゃ!」
画面に目を戻すと、五十人目の歌手が出てくるところだった。真っ白なドレスに身を包んだ、女性……?
「……この子、中学生ですか?」
きょとんとした顔でノゾムは言った。僕も同感だった。背は高かったが、顔立ちは幼く僕や心とあまり変わらないように見えた。
だが心は得意そうに鼻で笑って、指を振った。
「違うにゃ違うにゃ、この子は小学生だにゃ」
静寂。
次の瞬間、僕とノゾムの悲鳴が響いた。
「な、な、何だと!? 僕より遥かに立端(たっぱ)があるじゃないか!?」
「しょ、小学生でこの大きさなら、私と同じ年になったらどうなっちゃうんですか!?」
「ぬっふっふ、驚いたかにゃ? そしてこの愛くるしさ、まるで無邪気でお転婆な天使のようだにゃ」
彼女の言う通り、画面越しに見る分には、向日葵のような活発な可愛らしさを感じた。だけど向日葵って、直に見ると意外とデカくてウザいんだよな……。
髪はツーサイドアップにしていて、ちょこんとまとめられた髪が身長とドレスとのギャップがあっていい。だがあの胸の大きさだけを見れば、やはり彼女は小学生には見えなかった。
番組では進行と歌手の前座的な会話が行われていた。
『……ところで、愛ちゃん。この歌は、いつもどんな気持ちで歌っているのかな?』
『聞いてくださった皆が忘れてしまった本当の笑顔を思い出せたらいいな、って思って歌ってます』
「……愛、ちゃん?」
僕は思わずオウムのように繰り返してしまった。よく見れば画面の右上に、歌手の名前が出ていた。黒森愛。最近どこかで聞いた覚えのある名前だ……、そういえば陽炎が言っていたっけかな。
「愛っちと同じ名前だけど、黒森っちの方があらゆるスペックが百万倍上だにゃ!!」
「さいですか」
すっかり興奮してらっしゃる心に反論する気も起きず、僕はさらっと彼女の言葉を流した。無論、腸はぐつぐつと煮えくり返っていたが。
ようやく退屈な前座が終わり、黒森愛がステージの真ん中に立った。
『それでは失恋のペシミズム、聞いてください』
……なかなかユニークなタイトルだ。というか、間違っても小学生が歌うにはふさわしくないタイトルだ。
悲しげなピアノの旋律が流れ始め、それに聞き入るように黒森愛は目を閉じて体を揺らす。そしてメロディが途切れた瞬間、彼女は目を開いて発声した。その声の響きが空気をオーロラのように震わせた……、思わずそんなバカげた比喩が頭に浮かんだ。
ジャンルはバラード。繊細な心情を歌い上げなくてはならず、幼い少女にはいささかハードルが高い。
しかし黒森愛は見事に悲哀的な感情を歌によって描き出していた。美しく優しい歌声、そして目の前の人に語り掛けるような、直接心に届く歌い方。それは奏でられるピアノの音と絡み合い、失恋した少女の心を僕らの頭に浮かび上がらせる。
実は僕はあまり歌が好きじゃない。それはただ自分に酔うための、ナルシストな行為だとさえ思っている。大抵の場合、歌手の歌声はメロディに飲み込まれて上手く聞き取ることはできない。それでも無理に歌詞を聞こうと思うと、どうしてもリスニングテストを受けているような気分になってしまう。だから僕は詠うと歌うは違う、詠うは他者に詩を聞かせるため、歌うは自分に詞を聞かせるためと考えている。
しかし彼女の歌は言葉の一つ一つが僕の耳に残り、しかもそれがちゃんとメロディを纏っている。
僕はすっかり黒森愛の歌に聞き入っていた。ふと僕は既視感、もとい既聴感を覚えた。
「……この歌声、聞いたことがあるぞ」
「ほえ、そうなんですか?」
大して興味もなさそうに訊くノゾムに、心はバカにするように言った。
「にゃはは、引き籠ってゲームばかりしている愛っちが黒森っちの歌声を聞くなんて……」
彼女の声は途中でぴたりと止まった。そして口端をぴくぴくと震わせて、僕に問いかけた。
「……愛っち、それを聞いたのってまさかメンガの――」
メンガというのはブレーメン☆ガールズの略称だ。ただ、公式ではあまり認められておらず、コアなファン以外知る者はいない。ちなみに心が知っているのは僕の影響だったりする。
「ああ、今回のイベントのラストステージで流れてた挿入歌。その歌声が今聞いているのと似ているような気がするんだが……」
僕がしゃべり終える前に心は音を立てずに飛び上がって、僕の眼前もとい机上に着地した。味噌汁一滴さえ零さなかったのはさすがの身軽さだ。
「心様、今は食事中ですよ……」
ノゾムの時とは違って、やんわりと心を注意する星夜。しかし興奮しきっている彼女の耳には届いていない。
心はがしっと僕の肩を掴んだ。双眸がギラギラと光り、おまけに鼻息がめっちゃ荒くて、超怖い。まるで危ない薬の禁断症状を起こしているかのようだ。
「聞かせるにゃ、今すぐ聞かせるにゃ……! まだあの曲はゲームでしか聞けないんだにゃ、はぁはぁ……」
「わ、分かったから落ち着け、な?」
「おおお、サンキューにゃ!」
喜びのダンスを踊り始める心。時々シャツが捲れてへそが見えるのだが、彼女には恥じらいというものが無いのだろうか……。
僕は恐怖でどっと流れていた汗をぬぐいつつ、ボックスの電源を入れた。
ブレーメン☆ガールズを起動させると、ノゾムが横から覗き込んできた。
「これ、私が出演しているゲームですよね?」
「ああ、そうだよ」
スタート画面になり、賑やかなOPが流れ始める。僕はあまり興味ないが、この歌は有名なシンガーソングライターが歌っているらしい。
「この音楽、私の世界と合ってないような気がするんですけど……」
「安心しろ、こっちの世界の奴にもOP詐欺って言われてるから。だが実は歌詞が伏線になってるんだけどな。キャラソンも結構な数が出ているんだが、それもギャップが凄まじいらしい。特に夢葉ナルミって奴の歌なんか、本人のイメージとはかけ離れたメロディが流れるんだってさ」
「へぇ、ナルミちゃんの……」
とりあえずパーティ編成に移り、イベント用メンバーの装備を確認する。今回のイベントは周回ステージとボスステージで有効な装備が大きく違い、一々付け替える必要がある。普通のゲームではそれは普通なのだろうけど、ソーシャルゲームにおいてそれはただの面倒の作業でしかなく、何度もそれを繰り返さなければならないゲームはプレイヤーに見捨てられる。まぁ、ブレーメン☆ガールズのような人気作となれば話は別だが。
「あ、ナルミちゃんです! それにクルミ先輩も! それで愛、私はどこにいるんですか!?」
嬉々とした声で問うてくるノゾムに、僕は素気なく答えた。
「いないぞ」
「へ?」
「このゲームじゃレアリティNのキャラを持っていてもメリットなんてほとんど無いからな。イベントで必要になったらガチャで連れてきて、イベ終了と共にお役御免だ」
じとりとした視線を心が向けてきた。
「最悪だにゃ」
「何言ってるんだ、枠は有限なんだぞ。主力キャラのための場所はもちろん必要だし、経験値二倍キャンペーンのために素材も集めておかなきゃいけない。雑魚を置いておく場所なんて無いんだよ。まぁ、ゲームによっては素材貯蔵庫として利用することはあるけどな」
そこまで言って、僕は今更気付いた。ノゾムが寂しそうに笑っていることに。
「……そうですよね。弱い人に居場所なんてあるわけないですよね」
僕は何かを言おうとしたが言葉が出てこず、結局黙ってゲームの操作を続けた。
編成を終え、目的のダンジョンに向かう。
鍛え抜いたパーティはさくっと前哨戦を片付け、すぐにボスのいるステージに辿り着く。
「あれ、ボスキャラがクルミちゃん……? それに、何だか悪そうな格好ですが」
彼女の言うように、敵サイドには小野崎クルミとオークのエリーとジョンというキャラがいた。クルミは改造セーラーのような黒い服を着て、背からは巨大な漆黒の翼を生やしている。明らかに悪役じみた雰囲気が漂っていた。
「ああ。クルミは二部の終盤で、過去に倒された魔王の娘だった、って発覚するんだ。そのおかげで、元から突き抜けていたあいつの人気は鰻登り。人気ランキングが行われれば、必ずベストスリーに入っているぐらいだ」
「人……気?」
ぼそりと呟くノゾム。彼女の顔から表情がすっと消え去り、目から光が消えた。
「……おい、どうしたんだ?」
僕が声を掛けても彼女はぼんやりとしている。
「……どこかで見た、はず――」
「にゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
心の興奮に震えた叫びに、ノゾムの意識は戻ったようだった。ちなみに彼女が急に興奮したのは、お目当ての挿入歌が流れ始めたからだ。あんなに大声で叫んだら歌声が聞こえなくなってしまうと思うのだが……。
「おいノゾム、大丈夫か?」
「あはは。何を言ってるんですか、愛。私は元気ですよ~」
何でもなさそうに笑うノゾム。その笑みに翳りは無かったけれど、さっきの彼女の無表情を忘れることはできそうになかった……。
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