二章3 『便利なアイテムはどこでも使えます。良ゲーなら』
雨雲山(ううんざん)。
僕等の住む街の片隅に存在する小さな山だ。これこそが内貫家の所有する山であり、僕達の目的地。
山内はそこそこの木々が植わり、そこそこの生き物が生息する。特に深い山ではないので間違って入っても遭難する者はおらず、クマなどの危険な生物も住んでいない。
豊富な山菜以外に特徴は無く、地図でもたまに見逃される影の薄い小山。だけど頂上からの景色はそれなりに眺めがいいので、花火大会の時などは内貫家の人々が集まるらしい。
「愛っち、バテるには早すぎにゃ」
「うっせ……。引き籠り舐めんなよ、チクショウが……」
ふらふらとする足に鞭を打ちながら、(僕にとっては)急な斜面を登る。
「ご主人様、もしも辛かったら言ってください。不肖ながら星夜が愛様のお体を背負わせていただきます」
「大丈夫だ……。こんなもの、鬼畜マラソンイベントに比べたら大したことねえよ」
「え、愛ってマラソンに参加していたんですか?」
ノゾムは一般人らしいコメントをする。それを僕は鼻で笑って否定した。
「お前の想像しているマラソンとは違うと思うぞ。僕の言っているマラソンはゲームのことだ」
「廃人重課金税の運動会かにゃ?」
「ああ。そして祭りの後にはスリムになった財布が残るのさ」
視界の左右を占めていた木々が開ける。ようやく頂上に着いたのだ。
「づ、づかれた……」
「お疲れ様です、ご主人様」
「ここで悲報、帰りには今の下りバージョンが待ってるにゃー」
「……登りよりは下りの方が楽だろう?」
それを聞いた心は意地の悪そうな笑い声を漏らした。
「ぬっふっふ、素人らしいセリフ乙にゃ」
「どういうことだよ、心?」
「言うはずないにゃ。楽しみは後に取っておくものにゃー」
なぜか嫌な予感がしたが、今は気にしないでおくことにした。
「やれやれ……。あっ」
休憩がてらにボックスでゲームをしようかと思ったが、家に忘れてきたことに気付いた。
「……星夜。僕のボックスを持ってきていないか?」
「こちらに」
星夜はエプロンドレスのポケットから愛用のパステル・ピンクボディのボックスを取り出し、僕に渡してくれた。
ノゾムは僕達のやり取りに湿った視線を向けていた。
「……なんか、愛が今の愛になった理由が分かったような気がします」
「どういう意味だ?」
「いえ、自覚できないなら今はそのままでいいと思います……」
苦笑しつつ、肩をすくめるノゾム。彼女は一体何が言いたかったのだろう?
「そろそろ始めるかにゃ、ノゾムっち」
「はい、心ちゃん」
ノゾムは光輪を出現させ、愛用の木刀を抜き取った。
「現実でも使えるんだな、それ」
「ええ。他者の迷惑にならないこと以外は、忠実に再現しているみたいです」
「……ということは、あんなことやこんなことも可能かにゃ?」
意味不明なジェスチャーを始めた心の言葉に、ノゾムはもじもじとしながら頷いた。
「え、ええ……。まぁ、やろうと思えば」
「にゃーるほど。ノゾムっち、もし愛っちが狼になったらあたしを呼んでもいいんにゃよ」
途端に嘲笑顔になって手を横に振るノゾム。
「いえいえ、それは無いですよ。愛はまだまだガキですし、根は少女ですし」
よく分からないが無性に腹が立った。
「では、行きますよ!」
「掛かってくるにゃ!」
ノゾムは開戦と同時に、考えなしに心へ切り掛かった。心はその一閃を宙に飛ぶことで易々とかわし、ノゾムの頭を踏んで枝に飛び移った。
「にゅっふっふ、こっちにゃよー」
「むむむ、逃がしませんよ!」
猿のように枝から枝に飛び移り、木々の中へ入っていく心。その後を追うノゾム。そして僕と星夜は腰を下ろして二人を見送った。
「ご主人様、お飲み物はいかがですか? 今日はダージリンをお持ちしました」
星夜はどこからか魔法瓶を取り出し、とぽとぽと温かな湯気を立てる紅茶をコップに注いだ。
「どうぞ」
「サンキュ」
芳しい香りが漂い、疲れ切った体を癒してくれる。一口啜ると、程よい温かさと爽やかな風味が口の中に広がり、束の間の安息を味わうことができた。
涼やかな風が吹き抜け、紅茶から立ち上る湯気を揺らす。眼下には木々の緑と様々な色の屋根が見えた。絶景と言えないまでも、見ていて不快な思いはしない景色だ。たまには外に出るのもいいかもしれない。
どこからか聞こえる発砲音と硬質な音さえ聞こえなければ、ピクニックに来たと思うこともできただろう。
僕は肘をついて横に転がった。
いい気分だと目を閉じた瞬間、ふいに腰にどしんと重いものが落ちてきた。
「かはっ……」
ごきりと音を立てて激痛が走る。下手したら骨が折れているかもしれない……。
「あわわ。すいません、愛」
「ノゾム……。僕を巻き添えにするなんて、どういう了見だ?」
「あなた様、今すぐご主人様から離れてください。さもなくば今すぐあなた様の喉を裂かせていただきます」
「えっとえっと、ごめんなさい~!」
ノゾムは急いで僕の上からどき、地に頭を付いた。
「にゃはは、ノゾムっちはまだまだだにゃ」
愉快そうに笑う心を睨みつけて僕は文句を言う。
「心ぉ……、わざわざ僕の上に落とす必要は無かっただろうが」
「ぬっふっふ、ぼんやりと寝転んでいるのが悪いんだにゃ」
枝の上に腰かける心は不敵な笑みで俺を見下ろしていた。
帰り道、僕は痛む腰を押さえて坂を下ることになった。
「うおっ」
足が一瞬、坂を滑りかける。
「ぬっふっふ、だから言ったにゃろ。帰りの方がきついって」
笑う心に苛つく余裕も無く、僕は冷や汗をかいてまた一歩を踏み出す。坂を下る途中、僕の心臓は恐怖でずっと早鐘のように鳴り続けていた……。
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