土下座の女神様

 事の発端はアストロがシャワーを使い終わった直後まで遡る。

 白シャツにベストと女神が適当に用意した服装に身を包み、ようやく状況を整理しようとの試みが開始される。


「ここは何処だろうか。」


「ここは私こと女神の部屋です。この『叡智の書』によると、貴方は異世界を攻略し、ここに転送された様ですね。」


「…なるほど、女神様とは。先程までの無礼な言葉遣い、大変失礼しました。」


「いえ。改めてくれればそれで良いです。」


 男の質問に対し、女神が叡智の書をペラペラとめくりながら応じる。また、女神は先程の醜態を無かったことにし、『冷酷な女神モード』で男に接している。言い換えると、鋭利な空気を纏ったカリスマ溢れる態度のことである。


「貴方はダンジョンを踏破し、見事異世界を攻略せしめました。この難行を達成した貴方は、正に『英雄』に相応しいと言えるでしょう。」


(今更取り繕っても遅いと思うんだがなあ…。)


 金髪と白い布を靡かせ、尊大な態度で男に接する女神。そしてそれを生暖かい目で見守るクライと、椅子に座って姿勢を正して耳を傾ける偉丈夫。

 ちなみにヨルは未だ気絶している。


「本来ならここで『スキル進化』か『異世界の譲渡』を選択して貰うのですが、今回は少々特殊な事例です。まずは貴方の今までの道筋を聞き、その後貴方の質問に答えようと思います。」


「承知しました。」


 短い銀髪に三白眼、右顎には額まで届きそうな巨大な爪痕を持つ偉丈夫は、自身の経歴を語り始める。


「私の名はアストロノート=シルバーストーンと言います。リングベルで生まれ育ちました。」


(リングベル…?聞いたことねえぞそんな土地。)


(うーん、何処かで聞いたような…。)

 

 『リングベル』という名前にクライは怪訝な顔をし、女神は自身の記憶を漁り始める。外の世界で生活していたクライは全く聞き覚えが無く、辛うじて女神の記憶に引っかかるレベルだ。


「深淵の眷属との交戦中、周囲が光に包まれ…気づけば世界に魔物と二人取り残されました。」


(…んん?ダンジョンに潜って異世界に入ったんじゃないのか?というか『深淵の眷属』は未だ発見されてないはずなんだが…。)


(うーん、リングベル、リングベル…。確か200年前に滅びた国がそんな名前だった様な…?)


 ここでクライが明確な違和に気づく。本来ならばダンジョンに潜り、異世界の『扉』を発見し、攻略に移るというプロセスの筈。

 だが、この言い草はまるで…。


(まるで『隔離』に巻き込まれたみてえな言い方だな…。)


「離脱もままならず、その魔物と戦闘を続行しました。永い戦いでしたがつい先程止めを刺し、ここへ転送されたという訳です。」


(リングベルと『深淵』…。そんなワードが出てくる伝説が確かあった筈…。)


 頭を回転させながら『叡智の書』をめくり、情報を探し出す女神。微かな記憶を元にページを飛ばしていき、伝説・伝記の類いを検索する。

 その間に、クライは感じた違和を解消する為に質問を投げかけていく。


「『ダンジョン』という言葉に聞き覚えは?」


「…各地に残る遺跡の事だろうか。魔物を封じる役割を持つ建築物と聞く。」


(ソイツは原初の意味のダンジョンだな。ティアノスの人間なら、ダンジョンってのは『異世界と繋がる場所』と答える筈だ。)


「『ティアノス』はどうだ?」


「申し訳ない。聞き覚えがない。」


「…なるほど。」


 クライの問いかけに首を振るアストロと、それを見て何かを察するクライ。

 現在のものとは明らかにズレた認識、先程の言葉の意味、それら全てを総合して、最後にクライは問いかける。


「――――さっきの『永い戦い』ってのは、大体どれ位の年数だ。」


「時間感覚が曖昧だが…凡そ300程だと思われる。」


「…。」


(マジかよ…。じゃあコイツは『隔離』から300年、相手が絶命するまで絶え間なく戦い続けたって事かよ。寿命とかどうこう以前に、何て精神力だ…。)


 俄には信じがたい事実に、思わずクライは顔に手を当てる。これまでの話を総合すると、目の前の偉丈夫はとんでもない偉業を成し遂げたと言うことになる。それこそ、『異世界を攻略した英雄』ではなく、『伝説に謳われる英雄』の様な。


 そして先程から黙って本をめくっていた女神は、とあるページの項目に行き着く。


(えーっと…


『 『深淵狩りの伝説』


 かつてリングベルに『深淵の眷属』が襲いかかった。それを一人で撃退し、その後各地を放浪して『深淵の眷属』を狩る男がいた。

 手には特大の剣を持ち、顔には苛烈な戦いを表す爪痕。絶望を照らす銀の髪に、暗闇に在りて光を失わぬ双眼。

 戦いを続ける度その力は増していき、救われた人々は、彼を『深淵狩り』と呼び賛美した。


 しかし、神々の加護を拒否し己の力のみで戦い続けるその精神性は、神々にとっては脅威そのものであった。

 神の不興を買った彼の英雄の末路は、敵対する魔物と共に無限の闇に幽閉されたとされる。

 神に従わぬ英雄など、手の付けられぬ魔物と寸分違いはしないのだ。』…!?)


 女神は驚きの余り本から顔を上げ、目の前のアストロと本の記述を見比べる。


(銀髪、傷、さっき持ってた血塗れの特大剣…。全部ある…。)


 そして右手を上げて、恐る恐るアストロに質問する。


「ひょっとして、『深淵狩り』とか呼ばれてたりしますか…?」


「そう呼ばれる事もありました。止めて欲しいとは言ったのですが…。」


 女神の問いかけに対して気恥ずかしそうに答えるアストロ。本人からしてみれば深淵を狩ることに偉業としての意識は持たず、人々を助ける過程でそうなっただけのこと。

 故に名声を拒否していたのだが…その謙虚な対応が真実を物語っていた。


 そして親世代の盛大な愚行に直面した女神が、アストロに対して取る行動は――


「身内が迷惑かけてすいませんでしたあーーーー!」


「「!?」」


 その場での土下座であった。

 恥も何もかなぐり捨てた、全身全霊の土下座。

 どの位の全力さかと言うと、頭を地面にこすりつける所か叩き付けるレベル。

 最早彼女は、アストロに対して高慢ちきな態度とか取れる立場ではないのだ。


「本当に申し訳ありませんでした…。申し開きとか致しません…。300年も敵と幽閉して放置とか、本当にすいません…。

お詫びとして何でも致しますので、どうかお許しを…。」


 そして地面に頭をこすりつけたまま懺悔を開始する女神。地上に残った最後の神として、同族のやらかしは全て彼女に降りかかるのだ。

 それを見たアストロは慌てて女神に顔を上げさせる。


「女神様、顔を上げて下さい。私はそこまで気にしてはいませんし、周囲の被害を気にせず戦えたと思えば、寧ろ感謝するのはこちらの方です。」


「グハッ…!こ、こんないい人を幽閉するだ何て…。」


 女神の突然の土下座に対して真摯に対応し、あまつさえ即答でそれを赦すと答えるアストロ。だが、その優しさは女神へと突き刺さり、ダメージを加速させる結果に終わった。


「いや、私は本当に気にしていませんので…。」


「そういう訳にはぁ…。もう、申し訳なさ過ぎて頭を上げられないです。」


「いや、こちらこそ…。」


「うう、本当に申し訳ありませんでしたあ…。」


 椅子から立ち上がって女神を励ますアストロと、それにより罪悪感が加算され余計に頭を上げられなく女神。なまじっか二人は生真面目な性格のため、この会話はエンドレスに続けられていく。


 そしてそれを端から見るクライと、復活したヨル。


「…クライさん、これどういう種類の地獄ですか?」


「…俺にも分からん。」







「…で、その後事情を聞いたアストロさんが実務部で働きたいと言って、形式上の面接が始まった訳です。

…あれ、ラックさんどうしました?」


(…!?!?!?)


 与えられた情報を処理できずに目を回すラック。それも当然であろう。父親に寝物語に聞かされていた英雄譚、その登場人物が今隣を歩いているというのだから。


「あ、アストロさんってちなみに何歳ですか…?」


「350と少しだな。」


「アストロさんって何気に女神様より年上なんですよね。」


「しかし数年だから、差という程でもないだろう。」


 とんでもない会話をしながら平然と歩く二人。そしてその脇で嬉しさの余りに感情を処理できていない女が一人。


(ヤッベえ…感激で涙出てきそう…。憧れの英雄がこんな所にいるとか…。道理で格好いい筈だよ、だって伝説の英雄だもん。)


「お、あと少しですよ。話も佳境に入ってきましたし、もうちょっと耳を傾けて頂ければ。」

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