昔話
「…うーん、相変わらずダンジョンはジメジメしていて嫌ですねえ。ちょっと風吹かせますか。」
横を歩いているヨルさんがそう言うと、無風状態だった所から追い風が吹いてくる。石造りの壁の隙間に風が入り込み、ヒューヒューと甲高い音を立て始める。
「えーっと、ヨルさんのスキルは『
「そうですよ。私の身体付近なら風を操ることが出来ます。こんな風に。」
そう言いながらヨルさんは右手を軽く横に振る。するとたちまち風が吹き荒び、前方から接近してきた魔狼が右側の壁へと叩き付けられる。
ダンジョンの壁にめりこむ程の勢いで叩き付けられた魔狼は、そのまま地面にドサリと倒れ落ちる。
(いや、ここもう10階層なんですけど…。ダンジョンってこんなヌルゲーだったっけ…?)
本来ダンジョンとは、入るのにそれなりに前準備を必要とする。中堅所の冒険者でも日帰りでは6階層が関の山だ。因みに1階層は湧く魔物もそうそういないので、ティアノス名物の地下街となっている。
なので実質、一日に5階層進めたら良い方なのだが…。改めて実務部が英傑ぞろいの部署であることを実感する。
「ヨルに任せきりでは申し訳ない。次は私がやろう。」
「いや…この階層は他の冒険者がいないようですし、眼鏡外しときます?」
サラリとヤバいことを促すヨルさん。一件前後の会話が成り立たない様でありながら、その実失神者を量産する魔の行動である。
ヨルさんの提案を受けたアストロさんは、『その手があったか』とばかりの表情をする。
「なるほど。だが、ラックは大丈夫だろうか。」
「…はい、多分大丈夫です。いけます。」
だってアストロさん、3日に1回ペースで眼鏡付け忘れるんだもん。全部事務室内の話だけど。
後、他にもう一人…柱?ヤバい存在がいらっしゃるので、流石に慣れた。
「では。」
(おうっふ…。)
アストロさんが眼鏡を外すと、周囲に極大の威圧感が放たれる。
それに応じて若干心拍数が上がる。慣れたとは言え、喉元に死神の鎌を突きつけられてる心情だ。嫌が応にも生存本能が刺激される。
だが、その効果は絶大。先程からちょくちょく現れていた魔物が全く寄りつかなくなった。やはり危険を本能で察知しているのだろうか。
「いやー、相変わらず強烈ですねえ。」
慣れたとは言え額に冷や汗をかく私とは違い、いつもと変わらず飄々としているヨルさん。
…むー、私は初回は失神したと言うのに。こうなれば、ヨルさんがこれを始めて味わった時のことが気になってきた。
(アストロさんのコレを味わった時、ヨルさんはどのような醜態を晒したのだろうか…。)
飄々とした顔が崩れ、怯えきったヨルさんを想像する。或いは失禁して泣き喚くヨルさん。…想像できないな。
「質問なんですが、ヨルさんは始めてアストロさんと会った時、どういう反応をしたんですか?」
「あー、聞いちゃいますか。それ聞いちゃいますか。」
(おっ、良い反応。私と同じ感じかな。)
歩きながら目を瞑るヨルさん。私もそろそろ仲間が欲しいと思っていた所だ。気絶仲間という不名誉な称号だが。
「そうですね…この際ですし、アストロさんが私達の部署に来たときの話をしますか。アストロさん、言っちゃって良いですか?」
「ああ。別に隠している訳でもない。」
(えっ…てっきりアストロさんの方が職歴長いのかと思ってた…。)
今明かされる衝撃の事実。アストロさんと比べてヨルさんの方が年下だし、アストロさんがクライさんに次ぐ職歴だと思っていた。
だが、事実はどうも違うらしい。
「ではでは、昔話を始めようと思います。
あれは大体5年前。私が就職して暫くたった頃でした…。」
◇
「えー、君達は無事筆記試験に合格しました。おめでとうございます。」
クライが教室の壇上に立ち、黒板の前で教習生達に語りかける。
「後は午後から行われる実技試験に合格すれば、君達は晴れて『第二種冒険者免許』を取得出来る訳であります。」
クライが至極真面目に教習生に話しているところで、不意に視線を教室の右隅の窓際に向ける。
そこには金髪を逆立てた青年が仲間とたむろしており、特に青年はガムをくっちゃくっちゃと噛んでいた。
「ですがこれは英雄への第一歩であると同時に、危険へとより近付くという事です。再三言った様に、常に冷静な判断を心がけ――――」
「あのー、俺達早く飯食いに行きたいンスけど。早く話終わらせてくんねえッスか。」
青年はドカンと机の上に足を乗せ、背もたれによりかかりながら凄む。
対してクライは顔に笑みを浮かべたままそれに対応する。
「そうは言うがなワルド君。実際の現場では指示に耳を傾けることも重要で――――」
「はあ?結局強けりゃ良いんっしょ?十分な実力がありゃあ、指示なんて聞く必要無いっすよね?」
「…。」
あまりの横柄さに笑顔が引きつるクライ。こめかみには青筋が立っているが、彼等に怯えた目線を向けている他の教習生の前で怒るのも忍びないと考え、必死に堪える。
第一、ここで怒鳴ればあのガキ共の思うつぼであることはクライにも分かっていた。
「俺達はちゃちゃっと英雄になって、マイ異世界欲しいんすわ。アンタラみてえにしみったれて、ここで燻らない様になあ!」
「「「ギャハハハハ!」」」
(くおんのクソガキ共…、全員心臓麻痺させてやろうか。)
顔に笑顔の仮面を貼り付ける反面、心中は穏やかでないことを思っているクライ。
(あー駄目だわ。これ以上煽られたら手が出ちまう。さっさと切り上げて飯食お。)
「…まあ、全ては午後の実技に合格してからだ。後で放送で呼び出すから、早めに飯食って身体動かせるようにしといてくれ。以上だ。」
そう言うとクライは教室を去り、事務室へ向かう。
そして他の教習生は足早に席を立ち、残るはワルドとその取り巻き。クライがいなくなったのを良いことに、ドデカい声で勝ち誇る。
「ほらな?言ったろ。所詮アイツは雑魚なんだよ。こっちに強く出る度胸もねえの。」
「マジでアイツの顔ウケましたね!」
「あの間抜け面な!ギャハハ、俺達の勝ちィー!」
教室に誰もいないことを良いことに、散々クライをこき下ろすワルド達。教室の同じフロアに事務室があるにも関わらず、更にその声色は大きくなっていく。
「大体アイツ、異世界を一個攻略した英雄なんだろ?こんな所で燻るなんざ、俺には考えらんねえわ。どーせ雑魚魔物ばっかの弱小異世界を運良く攻略したんだろうが。」
「いやー羨ましいっすよね。あんなカスでも攻略できる異世界とか、誰でも攻略出来るってモンでしょ。」
「実力が見合わねえからこんな所で俺達にマウントとってんだろ。ああは成りたくねーよなあ!こりゃあ午後も楽勝だな!」
「「「ギャハハハハ!」」」
勝ち誇った様に高笑いを上げるワルド達。
それに対し、事務室内にて。
「ですってよ。大人気ですねクライ教官。」
「やかましいぞヨル教官。クッソアイツら…こっちが下手に出てりゃあいい気になりやがって…。」
部長席に座ったクライと、対面するように席に座るヨル。未だ役員席は一つしか無く、その席配置は実務部の人員が二人であることを表していた。
ヨルは自分のデスクに何やらプラスチック容器のような物を置き、上に割り箸をのせている。
「あの子達、私の時は大人しいんですけどねー。クライさん、ひょっとして教え方が下手なんじゃないですか?」
「バッカお前、アイツらがお前の時だけ黙るのは…。」
そこまで言うと言葉を詰まらせるクライ。まるでその先に言いにくいことでもあるかの様だ。というか、実際そうであった。
「黙るのは、何です?」
「…いや、何でもねえ。それよりそろそろ3分だぞ。」
「おお、そう言えば。楽しみですねえ。」
クライが促すと、ヨルは割り箸を手に取りスープを入れる。
楽しそうにインスタント食品を作っていくヨルを見たクライは、非常に渋い顔をする。
「相変わらず新しいもの好きだなお前。お湯を入れるだけで出来る食べ物とか、俺だったら絶対食いたいと思わんぞ。」
「クライさんの頭が古いんです。文明の発展に乗り遅れちゃダメですよ~。
…うん、美味しい!」
「マジかよ…。本当に食ったよ…。」
ズルズルと麺を啜り、にこやかな笑みを浮かべるヨルに対して理解できないものを見る目を向けるクライ。
ティアノスが出来る以前から外の世界で暮らしてきたクライにとって、保存食と言えば干し肉程度のモノしか存在しなかった。それがお湯を入れるだけで暖かい料理が出来上がり、オマケに旨いときたもんだ。疑うのも無理はないだろう。
「クライさんも食べます?今なら一口分けてあげても良いですよ。」
「いやお前、それは…俺はいいや。自分で作ってきた弁当あるし。ついでに女神の分も。」
「主婦ですか。クライさんガサツに見えて以外と家庭的ですよね。ギャップ萌えですか?」
「馬鹿野郎、捨て猫に餌をあげるようなモンだ。ほっとくと野垂れ死ぬんだよアイツは。」
(女神様、捨て猫扱い…。というかクライさんが餌をあげるから自立出来ないんじゃ…。)
ヨルの生暖かい目線を無視し、怠そうに部長席を立ち上がるクライ。
向かう先は右側の壁、女神の部屋直通の扉である。
だが、クライが一つの弁当箱を手に取り、扉の前に立った瞬間…。
「きゃあああああああ!」
「ゴフッ!?」「!?」
扉が勢いよく開け放たれ、クライが脇の壁に跳ね飛ばされる。
そして扉の奥から怯えた様子の女神が飛び出してきて、勢いをそのまま扉を閉める。
「わわわわ、私の部屋にバケモノががががが!クククック、クライさんはどこですか!?」
「落ち着いて下さい女神様。何を言っているか分かりません。そしてクライさんは扉の横の壁です。」
「…。」
◇
「あっ、階段に着きましたね。続きは11階層で。」
「ええ、そこで切るんですか!?化け物は!?」
「…。」(申し訳なくて何も言えん…。)
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