第2話 常夜事変

prologue:はじめてのじゅんし

「はい、教科書56ページを開いて下さい。」


 教壇に立ち、眼下の教習生達に指示をする。私の右手、また席に着いている教習生の手元には『みんなの異世界』という教科書。


 ちなみに56ページは、『異世界の主な生物』という章である。


「先生、教科書忘れました。」


「分かりました。代わりの教科書を貸すので、授業が終わったら返して下さいね。」


 うんうん。何回かに一回くらい教科書を忘れる教習生もいるよね。

 君は3度目だけど。


 現在私は、『第一種冒険者免許』の取得の為の講習中である。


 クライさんが前回語ったように、こちらが実務部の(安全な方の)主要業務だ。システムとしては、授業をシフト制で実務部職員が行う形。

 本当に人手が足りていない様で、部長であるクライさん自ら教壇に立つことも少なくない。


「まずは…動物種の魔物からですね。この種類の魔物は、牛、豚、鳥、犬など、皆さんが身近に感じている動物たちが魔物化したものです。見た目で侮ると危険です。」


(ああ、頷いてくれてる…。私の授業、以外と高評価かも。)


 愛想の悪い自分が教師の真似なんぞ…と思ったが、これが意外と性に合っていた。教師という仮面を被っていると距離感を保ちやすいし、何より向こうから距離を縮めようとしてくれてありがたい。


 逐一頷いてくれたり、質問したときにしっかりと答えたりしてくれると、こちらとしてもモチベが上がる。あと、受付嬢時代に培った接客スキルが生かせるのも良い。

 齢22歳。ここに来て私、天職を見つけました。


「じゃあ、次はスライム…液体状の魔物ですね。こちらは『雑魚』というイメージを持っている方が多いですが、実はそれは誤りです。」


 『えー!』という声や、同様する声が教習生の間に伝播していく。

 実はそうなのだ。スライムというのは、イメージと実物の乖離が激しく、嘗めてかかって死ぬ犠牲者が多い。


「実際の冒険者や英雄に聞くと、必ず厄介な魔物として語られます。えー…ブライト君、スライムが強いとされる理由を考えてみて下さい。」


「はい!えーっと、物理攻撃が効かないからだと思います。」


「正解です。自分の周囲に炎、氷、雷などの属性系のスキル持ちがいないと対処は困難です。一種だと関係ありませんが、ダンジョン深層部のスライムはそれすら無効にしてきます。」


 『神秘』より生ずる新種のスライムの中では、属性に耐性を持つものもいる。というか、スライムの枠に収まるのか微妙な魔物もいると聞く。


「この場合は逃げるが勝ちです。どうしても倒したい場合は、複合属性で耐性を貫通するか、石化させて砕くかですね。

…どちらにせよ、物理で戦うのは諦めた方が無難です。」


 スライム相手に物理で真っ向勝負するのは、ぶっちゃけアホだ。というか勝てない。拳を叩き込んでも吸い込まれ、みじん切りにしても寄り集まって復活される。


 スキルが『障壁』な私では逆立ちしても勝てない相手だ。

 スキルを言い訳にしないとは前回誓ったが、勝負の土台にすら上がれないのは話が違う。その場合、私の出来ることをやれば良いのだ。無理はいくない。


「次は――――」


 



「学科の3終わりましたー。」


「お疲れ様でーす。」


「お、お疲れさん。どうだ、慣れてきたか?」


 教室から出て、同じ2回の事務室に戻る。

 事務室に入ると、部長席で何やら紙と睨めっこしているクライさんと、『ヨル』という席に座っている…文字通りヨルさんがいた。


 ヨルさんの席は、机が対面で3組並んでいる内の一番窓側…部長席に近い部分の右手側である。対して私の席は、窓際から3番目の右側。間に『シュガー=オブライエン』という席を挟んでヨルさんがいる。

 

 私と同じ黒目黒髪ながら、肩口に切り揃えたショートヘアー、水色の制服に少し膨らみを主張する(私より大きく)形の良いバスト。凜々しくもどこか人懐っこさを感じるその容姿は…とても綺麗だ。

 え?口説き文句みたいで気持ち悪い?女が美女好きで何が悪い。自分に自信がない分、他者が羨ましく見えて堪らんのですよ。


「ええ、大分慣れてきました。…そう言えば、ヨルさんが来てる制服って実務部のものですか?実務部の皆さんは好きな服を着ている様ですが…。」


「あー、言い忘れてたが実務部に制服は無いんだ。強いて言うなら、『動きやすい服』だな。」


「私のはなんちゃって制服ですよ。何だかんだ服を考えるのが面倒くさいので。後、教習生受けが良いんですよねこの服。」


 胸の部分を引っ張ってパツンと放すヨルさん。なるほど、この制服を願う男達の気持ちが分かった。美女に加えて健康的かつ背徳的なエロス…男が教科書では無くヨルさんに釘付けになっている様子が目に浮かぶわ。


「よし。教習に慣れたんなら、そろそろ次のステップだな。」


 クライさんは睨めっこしていた書類をデスクに置き、こちらとヨルさんを見てそう言った。

 私のデスクから微かに見えるのは、『異世界巡視表』の文字。

 …なるほど。終に来てしまったか。実務部の平常業務の内の


(1割の確率で犯罪組織の本拠地に突っ込むやつか…。覚悟していた事とは言え、おっそろしいなあ…。)


 犯罪組織にぶち当たった場合、負けたらどうなるかなど考えたくも無い。

…が、所詮1割。そうそうトラブルになど巻き込まれる筈がない。


「明日は16Aに、ヨルとアストロ、ラックに巡視に行って貰うか。」


「お、16Aと言ったらセーフハウスじゃないですか。やりましたねラックさん。観光地ですよ。」


「ああ、あのヒーローミューズがやってるとこですか。温泉とか宿泊施設がある。」


 セーフハウスとは、ダンジョン内で運営されている異世界だ。冒険者達がダンジョン探索で疲れた際、立ち寄って英気を養う目的で設置されている。

 英雄会社『ヒーローミューズ』の社長は、自分で16Aを攻略した後に会社を立ち上げた。上手い所に目を付けた物で、セーフハウス専門の事業で商売大繁盛と聞く。


「そうそう。まあ初回だし、あんまりキナ臭い所に突っ込ますのもな。」


「まあアストロさんと一緒なら何処でも大丈夫でしょうけどね。むしろ、今回は…。」


 先程まで明るかったヨルさんの声色が少々落ち込む。

 アストロさんが入れば、百人力どころか千人力だと言うのに、何を心配することがあろうか。


「…万一、アストロが屋内で拳を振るう事態になったら…。」


 …あっ、なるほど。女神様も宴会の時言ってたな。


「アッパーで行けば大丈夫ですよ。というか修繕費とかは異世界の持ち主行きじゃ無いんですか?」


「いや、こう…他企業との兼ね合いが色々あってな。トラブルに俺達が居合わせると、ギルドからも3割から4割支援しなきゃいけないんだ。」


「損害の具合によっては6割いきますよね。その場合経理担当と女神様が青ざめますけど。」


「そして週末の会議で俺が責められるんだよ。」


 クライさんの嘆きと共に、ズーンと部屋の空気が沈み込む。いや、それでも仕方の無いことだろう。被害を最小限に抑えることが大事なのだ。


「まあ今回はそんな心配はないさ。何せ行楽地だぜ?流石に…なあ。」


「そうです、流石に戦うことにはなりませんよ。何なら温泉に入って遊ぶ暇もあるかもしれません。」


「駄目に決まってんだろ。総務部や統括委員会に知られたら俺のクビが飛ぶんだぞ。」


「ハハハ、例えですよ例え。大丈夫ですって多分。そんなに酷い事にはなりませんよ多分。」


「ですよねー。まさか初めての巡視でトラブルに遭うとかあり得ませんよねー。ハハハ…。」


 …うん。和やかな会話の流れだ。

 とてもポジティブな会話の流れ。なのにどうしてだろう。言葉を紡ぐ度に胸が締め付けられる様な不快感を覚えるのは。


(((どうしよう、すっげえ嫌な予感がする…。)))


 これがフラグって奴か。大丈夫かなあ、私の初巡視…。

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