epilogue
「えー…では、ラックが正式に実務部に加わったと言うことで、『真・歓迎会』を開きたいと思います。」
「イエーイ!おめでたいけど金がねえぜ!給料上げろ!」
「給料日まで断食だぁー!」
私が総務部へ異動願いを提出し、受理された日の夜。実務部全員で行きつけの居酒屋へ行っての宴会が催されていた。
一週間に3回という超ハイペース開催に、そろそろ皆の財布がヤバくなってきた頃である。
それでも全員出席してくれている辺り、優しい人ばかりなのが察せられる。
ちなみに、クライさんからの呼び捨ては私からお願いした。
他の部下は呼び捨てだし、一緒にやっていくと決めたからには距離を縮めてみようと思ったからだ。今までマロン以外には壁を作ってきたが、この際なのでそちらも克服したい。
「まずは女神…じゃなくてティア、今回の件についてコメントをどうぞ。」
「はい!えー、本日はお日柄も良く…。」
「もう夜だぞー!」
「ティアちゃん、固いですよー。」
開会の音頭をとっていたクライさんが女神様にバトンを渡す。
女神様は白いワンピースに碧眼を誤魔化すための茶色のカラコン、おまけに魔法で認識をズラすという徹底防備だ。
流石に『女神様』と呼ぶとバレるので『ティア』と偽名を使っているが。
散々に浮かれている女神様は、端から見ると10歳いくかいかないか位の少女にしか見えない。
「こほん。彼女のスキルは『障壁』ということで、様々な面での活躍が期待されると思います。人命救助は勿論、皆さんが危ないときの命綱としても重要です。
…何より、周囲を傷つけることがない!ここ重要!」
場の雰囲気に酔っているのか、途中から顔を赤らめて宣言する女神様。酒を呑んでもいないのに、もう酔っ払い状態である。
「皆さんもラックさんを見習って、成る丈被害が出ないように戦って下さいね!後で予算を見て青ざめるのは私なんれすから!以上れす!」
そこまで言うと、目をぐるぐる回して元の席に戻る女神様。心なしか足下もふらついている。
「あー、こりゃ大分酔ってんな。もう呂律回ってねえじゃん。それとアストロ、そんな気落ちすんな。被害が出ちまうもんは仕方ねえよ。」
「いや、これも私の不徳の致すところだ…。面目ない。」
「アッパーカットを遵守してれば大丈夫だって。…じゃあ本日の主役、ラックからだ。」
そう言ってセンターを譲ってくるクライさん。場が大分あったまってきたので、無難なことを言って終わらせたい。うう…今までこんなことしてこなかったから緊張してきた。
「はい。この度は私を部署に受け入れて頂き、本当にありがとうございます。私のスキルは戦闘向きでは無く、戦闘面ではお荷物になってしまうかもしれません。
…でしゅが――――」
(あ、噛んだ。)
(多分、良いことを言おうとしていたんでしょうね…。私もよくやります。)
ヤバい、空気がもの凄い微妙な感じになった。皆さんの生暖かい目線が突き刺さる…!だが、ここで諦めてはいられない!
「…ですが、皆さんを守れるくらいに頑張りたいと思います!これからよろしくお願いします!」
言葉が終わると共に頭を下げる。
…少々身の程知らずだっただろうか。だが意気込みとしてはこれくらい言っておきたい。
いきなり前に進むのは難しいので、せめて自分の目標くらい忖度せずに言っていきたい所存だ。
(…引かれたらどうしよう。噛んじゃったし…。)
頭を下げた状態から顔を上げるまで、心臓が高鳴りっぱなしだ。アストロさんの殺気をぶつけられた時と比べると劣るけど。絶対あれ身体に悪い。
少々の沈黙が流れ、心が不安に支配される。今まで人付き合いから逃げてきた私にとって、未だに人との距離感は手探り状態だ。
そんなことは無いと分かっていても、やはり皆の機嫌を損ねたらどうしようと考えてしまう。
――――だが、私の心配は杞憂だったようだ。
「ヒューッ!頼もしいぜ!俺の命を守ってくれ!」
「ラックさん、かっこいいです!」
私の微妙な挨拶に対し、拍手で答えてくれる実務部の皆さん。本当に優しい人達である。私も役に立てるよう頑張らねば。
思わず笑顔を浮かべながら、自分の席に戻る。そして再度クライさんが皆の前に立ち、ビールの入ったグラスを掲げる。
「よっしゃー!じゃあ皆、コップを構えろ!今日は呑むぞ!」
「「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」」
◇
「クソがァ!あの女…!女の分際で私を見下しやがって…!」
ラック=ゲンティエナが去った翌日の出来事である。バロンは未だ怒りが収まらず、自身のデスクを思い切り蹴り抜ける。
ガツンという音と共にデスクが前へ吹き飛び、少し離して置いてある役員席へと距離を詰め、静止する。
(あの目…、私を見下すあの目…!女は男を崇めるべきだろうがっ…!)
攻撃対象が存在せず、行き場のない怒りが噴出する。その度にバロンが思い出すのは、ラックの黒い瞳であった。
つい先日まではラックの瞳に光は無く、ただ虚ろに過ごしているだけだった。自分を押し殺し、クソ上司と、自分と合わない環境に心が削り取られていた。
バロンもその瞳を創り出すことに、ある種の優越感を覚えていた。
ありもしないミスをでっち上げ、マウントを取ることで己の優位性を宣言する。
これは、バロン自身は気づいていない秘めたる趣向だった。
――――だが、バロンが思い出すのは、ラックの去り際の瞳だった。
一週間ぶりに対面したとき、その瞳には『光』が灯っていた。清廉な白色を宿す光だ。
そしてラックはその光を怒りで振るわせ――――バロンを徹底的に軽蔑した。
実際はラックにそんな意思は無く、ラックが己の正しさを主張する過程で、バロンが勝手に『バカにされた』と感じているだけなのだが。
(…落ち着け、あのような女はいずれ痛い目に合う。実務部なんぞに行ったんだ、自ら立場を下げた様なものだ。)
バロンは『男である自分は優位だ』という意識を保つため、必死にラックを貶める。それは端から見れば『負け犬の遠吠え』と言うのものなのだが、本人は気づいていない。
(そうだ。私には、私を慕う部下がいる。女の在り方とはああいったものだ。あの女が異常だったのだ。)
そう自身を納得させ怒りを飲込む。
思い出すのは自身を慕う部下の顔。自身を潤んだ瞳で見上げ、愛想良く笑いかけてくる部下達の顔だ。
男に媚びる彼女らの在り方は、正にバロンの考え方と符合していた。
「オイ。席を戻すついでに茶でも淹れてくれんか。」
部下の従順さを認識するため、バロンは最前列で仕事をしていた女に声を掛けた。彼女はバロンのお気に入りであり、故に一番前に配置し小間使いを出来るようにしていた。
いつもは声を掛けると満面の笑みで応じ、すぐに席を立って動いてくれる。茶の温度もバロンの好みに寸分違わず淹れ、昼休みも毎日の様に談笑に興じている。
…だが、今日はいつもと様子が違う。
「おい、席を直して茶を頼む。」
いつもはすぐに応じてくれる彼女。しかし反応は無く、再度声を掛ける。
「…。」
やはり反応が無い。黙々と手を動かし、こちらには目をくれず、書類を作成している。
バロンは額に青筋を浮かべ、怒りが再燃し喚き散らす。
「おいお前!聞いているのか!?上司命令だぞ!」
「…チッ。お茶汲みは業務内容にありませんし、自分のやった事は自分で片付けて下さい。」
素直だったはずの女が渋々とこちらを向き、口答えをしてくる。飼い犬に手を噛まれる気分を更に超え、信じていた仲間に後ろから刺される様な衝撃だ。
「ああ!?女は黙って男の言うことを聞いてりゃいいんだよボケが!てめえらは男に媚びることしかできねえだろうが!」
「…。」
「何だその目は!」
こちらを無言で見てくるその瞳は、バロンがあの時――――ラックが去り際に言霊を叩き付けた時――――見た瞳と良く似ていた。
だが、こちらはラックの瞳とは似て非なるものだ。
ラックの目は自身の正義を貫き、バロンに怒りを叩き付ける結果として生じた。
しかし今バロンと相対する彼女の目は、静かにバロンを射貫き、ある意思を伝える瞳だった。
ゴミを見る瞳。今度はバロンの錯覚では無く、真にバロンを見下す目だ。
「お前をクビにしてやろうか!?早くやれ!」
「…。」
無言で席を立ち上がり、バロンの言うことを聞く女。粛々と机を元の位置に戻し、茶を淹れてくる。
そしてバロンが茶を手に取ると…。
「あつっ…!」
茶が煮えたぎる様に熱く、いつもの調子で握った結果、思わず面食らってこぼしてしまう。
「プッ…。」
「クスクス…。」
そしてどこからか聞こえてくる嘲笑。
「お前らあ…!」
怒りで顔を上げるバロン。誰が嗤っているか確認するため、役員席を見渡す。
だが、分かったのは――――
――――全員が、彼女と同じ瞳をバロンに向けているという事実だった。
まあ、自分たちの利益にならないと分かった愚昧を慕う道理などありはしない。平素から尊敬できるような人物なら別だが、自分達を見下しているような対象だ。遠慮をしてやる義理もない。
むしろ、上層部に意見が通らない上司ならいなくなってくれた方がマシだ。さっさと退いて貰い、女にも正常な人事をしてくれる上司が誕生するのを待つ方がいい。
…これからバロン=カーネルは、自分のしてきたことの『報い』を受けさせられるだろう。目には目を、軽蔑には軽蔑を。
彼がこの場を去るまで、或いは心を入れ替えるまで、永遠に。
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