辞めるときは高らかに
「すいません、アストロさん…。態々おぶって貰っちゃって…。」
あの後、腹に穴を穿たれた牛を全て処理し、老夫婦はティアノスに避難させた。
そして当面の業務を終わらせた私は、今アストロさんにおぶって歩いて貰っている。
入ってきた『扉』は壊されてしまったので、ギルド本庁までティアノスの街並みの中を、ゆっくりと歩いて行く。
「いや、構うことはない。…先の結界は、非常に助かった。
ラック嬢がいなければ、ご老体に多大な負荷をかけることになっていただろう。」
(でも、あの状況からでも助けられるんだ…。本当に凄いなこの人…。)
あれだけの力を持っていながら、全く驕らず、しかも老人を慮る気遣いまで持ち合わせている。
…だからこそ、心に引っかかるものがある。
「…アストロさんは、何でこの業務をやっているんですか?本庁内での風当たりも強いし、その実力なら異世界を攻略した方がお金を稼げますよね?」
少し不躾かと思ったが、それでも聞いておきたい事だった。
私の夢であった『圧倒的な力』を持つ人が、どのように考えて動いているのか、どうしても知りたかった。
アストロさんは、真っ直ぐ前を向いたまま答える。
「平和に、憧れているからだ。」
「憧れている?」
「ああ。永く生きてきて分かったことだが――――存外、平和というものは脆い。
些細な罅が一瞬にして広がり、平穏な日々はすぐに崩れ去る。」
「そして、私の力は物を壊すことしか出来ない。脆い日常に触れれば、すぐに壊してしまう。
だから平和に憧れた。最も私と遠いからこそ、求めたいと思った。」
そう語るアストロさんの目は、いつも通りの三白眼。
至極まっとうに、真っ直ぐ先を見据えている。
頭で考えれば瞳が揺れ、嘘を言えば瞳が曇る。
だが、そのどちらもこの人にはない。
(格好いいなあ…。まるで、伝説に出てくる英雄みたいだ。)
『そらこの人なら、神様も強力なスキルを与えるわ』とストンと納得できる。
同時に、なんだか泣きたくなってくる。
アストロさんの器の大きさを知るほど、己の矮小さを思い知らされるようで辛いのだ。
凡人、凡庸、力がない。
頑張る前から諦めて、英雄への憧れを棄てたのは自分だというのに。
「あの、アストロさんの『スキル』って何ですか?」
…ああ、本当に自分が情けない。
『スキル』の差などという理由で、自分と彼の差の説明を付けようなどと。
私の劣等感丸出しの質問に、アストロさんは足を止めずに答える。
「実のところ、私は『スキル』を持っていない。」
「…え?」
うっそだあ。あんな人間離れした力を持っていて、『スキル』がない?
嘘だと思いたいが、生憎とアストロさんの目が嘘ではないと言っている。
「じゃあ、あの身体能力は…?」
「あれは、まあ…一種の『戦い方』だ。『隔離』前…神話の時代に使われていたものを、私は使っている。」
「ちなみに、先程の力は全力ですか?」
「いや。…本来は力加減が効くものなのだが、私には才能が無くてな。力加減が上手くいかず、全力で手加減しても大きな余波が出てしまうんだ。」
(全力で手加減!?才能がない!?あれで!?)
…うわー、これじゃ私、本当に馬鹿じゃないか。
『スキル』を持ってるのに諦めて、目を逸らして逃げたなんて。
(アストロさんが英雄過ぎて死にたい…。)
度重なる衝撃の事実に、気分がクソほど重くなってくる。
正しさを撤回しないのが私の性分だが、正しくない自分に対しては最大限の特攻だ。控えめに言って死にたい。
「ハア…。」
「…どうかしたか、ラック嬢。」
「いや、私は無力だなあ…と。」
弱音を吐くのは嫌なのだが、ついつい吐いてしまった。
そんな私に対し、大きな英雄は足を止め、小さな私に目を合わせて答えた。
「そんなことはない。」
その、あまりにも力強すぎる否定に面食らう。
こちらを向く瞳から、『嘘ではない』ということがヒシヒシと伝わってくる。
「――――君は、誰が見ても勇気ある選択をした。断じて無力などではない。
スキルや才能の話ではない。勇気は、いかなる武装に勝る力だ。」
――――ああ、その言い方はズルい。
そんなことを言われたら、逃げる理由が無くなってしまう。
逃げていたことを、認めざる負えなくなってしまう。
…そして、散々逃げてきて言うのも何だが、ここまで強く肯定されると逃げたくなくなってしまう。
逃げるのが悪とかそういうことではないが、この場合、立ち向かうのは正しいことだ。
少なくとも、私はそう思う。
なので、ほんのちょっと抵抗してみることにする。
我ながら影響されやすいものだ。
ちょっと強い光を浴びせられると、そっちに行きたがってしまう。
…アストロさんはちょっと所の光量じゃないが。
下手すると死にたくなる劇薬である。
「…アストロさん、私、ちょっと頑張ってみますね。」
「…?君は十分頑張っただろう。今日はゆっくり休むといい。」
「あっはい。」
◇
そんな波乱の1日目から、はや一週間。
クライさんは宴会好きな様で、「仮・歓迎会」から、「仮・送別会」まで開いて頂いた。
女神様も人間に擬態し、お忍びで参加していたのは驚いたが。
1日目にいなかった人達にも大変良くしてもらい、大変楽しい一週間となった。
…何度か死にかけたけど。
そして先週末の部長会議で、人事を司る総務部へ統括委員会の方から諫言があったようだ。
そこから私の元の職場である管理部へ飛び火し、バカ課長は正式に厳重注意処分となった。
――――私は今、一週間ぶりの元職場への道を歩いている。
朝に所用を済ませ、始業時刻から少し遅れてオフィスへ向かう。
「おい、見ろよ。あれが噂の…。」
「『地獄送り』にされてた人でしょー、どうせ碌な人間じゃ…。」
「――――場違いだって思わないのかしら。」
「呼ばれたからって、普通辞退するべきでしょ――――」
すれ違う人々は皆、私を蔑んだ目線で眺めている。
中には聞こえる様に悪口を言い捨てている連中もいる。
だが、全て無視する。
そんな奴らこの際どうだって良い。
白い廊下を悠然と歩き、目的地である総務課のオフィスの前で歩みを止める。
「失礼します。」
するとザワついていたオフィス内が一瞬静かになる。
入り口に好奇の視線が集中し、不躾に全身を見回される。
だが沈黙も束の間すぐに罵倒の囁きへと変化していく。
「今更どの面下げて…。」
「…ていうか、『地獄』の空気を吸った口で呼吸しないで欲しいよねー。」
「今更、受付嬢の仕事とか出来ると思ってるのかしら。」
だが、先程と同様に全て無視する。
真っ直ぐに歩を進め、視界の先にある窓際へ。視線の先には、何やらにやつきふんぞり返っているバカ課長。
…どうやら『厳重注意処分』は意味を成さなかったらしい。
「久し振りじゃないか、ラック君。」
「ええ。一週間ぶりですねバ…課長。」
上等な椅子に右肘を乗せ、左手の人差し指で机をトントンと叩きながら話すバカ課長。
つり上がった口角が頬の肉を押し上げて、非常に醜悪なツラを晒している。
「しかし驚いたぞ。あれだけ啖呵を切って出ていった君が、まさか密告してまで戻りたいと思うなんて。」
(…はあ?)
言動が理解できない。
青筋を立てず鉄面皮を貫けている私を、誰か褒めて欲しいくらいだ。
恐らくバカ課長の脳内では、次のような思考回路が展開されたと推測される。
①私が『地獄』に耐えられなくなる→②恥も外聞も棄てて、統括部へ泣きつく
→③余りに情けないので、名前を隠して『密告』という形を取る
「まさかお前の様な無能が、こんな手段を思いつくとはな。」
(…なんでこのバカ課長は、こんなに余裕ぶっていられるんだ?)
このバカ課長は『厳重注意処分』を受けて将来が閉ざされたというのに。
私はてっきり、怒り狂って怒鳴り付けられるものだと構えていたんだが。
「まあ、恥を捨てた手段を取ったんだ。これから言うことも容易に出来るだろう。」
アンタが処分を食らったのは女神様からの勅令なんだけどなあ。
…その『これから言うこと』とやらが、不気味な余裕の源か。
馬鹿課長は左手を宙に持ち上げると、こちらを指差して言う。
「君はこれから総務部へ行き、こう言いなさい。
『先の異動は、全て私が志願したものです。ですが、想定より実務部の環境が劣悪で自身の軽挙妄動を痛感致しました。
なので浅ましくも密告という形を取りましたが、それは事実無根です。』」
「…。」
こいつは一体何を言っているんだ。
実務部に泥を被せて、今までの経緯を白紙にしろと?
要するに、そういうことを口にしているのか?
更に口角吊り上げてバロン=カーネルは嗤う。
まるで、『これが最善である』と言外に示すように。
「『私の愚行については課長のお許しを頂きましたので、先の処分を撤回するようお願いします。』とな。」
齢22にして、怒りの余りに手が震えるという経験はこれが始めてだった。
職場の手前殴りかかることを抑えているが、それが更に怒りを加速させる。
本当なら、今すぐにその胸ぐらを掴んでやりたい。
そのまま右頬をぶん殴り、実務部まで連れて行って土下座させてやりたい。
「まあ、あの部署の下劣さが身を持って体験できただろう。どうだ、肉体労働などしている連中の様子は。我々の足下にも及ばぬ品性だっただろう。」
「そもあんな活動なんぞ、冒険者や他の英雄などの自殺志願者達に任せておけば良いのだ。それを公的機関が金を払ってやるなど、理解不能だ。」
「君も今回の件で良く分かっただろう。彼等の下劣さ、我らとの差が。奴らは、ギルドの面汚しだ。なあ、皆もそう思うだろう?」
バロン=カーネルが促すと、私の背後で嘲笑が巻き起こる。
それが真に『自分たちが上だ』と錯覚したことによるものなのか、バロン=カーネルのご機嫌取りの同意なのかはどうでも良い。
「――――黙れ。」
静かに声を荒げ、周囲で嗤っている連中を静止させる。明らかな怒りを孕んだ声に、私に対して不躾な目線が一層強くなるが、そんなことはどうでも良い。
課長のテスクに右手を叩き付け、身を乗り出しながらバロンに言霊を叩き付ける。
「実際に体験したからこそ分かる。彼等の活動には賞賛されるべき点が幾多も有るが、罵倒される所以は断じて無い。」
「自分達が彼等によって作られた安全圏で生活し、その功労者を罵倒するなどどちらが恥さらしか。」
「実際に知りもしないのに批判するなど、どちらの品性が下劣か。
――――私には、貴方達の方が下劣に思われる。」
目の前のバロンは、私の言葉に反応して青筋を浮かべる。
『これで全て丸く収まる』とでも、足りないオツムで皮算用していたのだろう。
女が逆らうなどと思いもせずに。
何とおめでたい頭だ。
「ほう、頭を下げる気はない、と。」
「謝るつもりなどはなからありません。むしろ、貴方が私と実務部に謝罪をするのが筋でしょう。」
「何だとこの無能が…!私を愚弄しておいて、ここで無事に働けると思うなよ!」
両手を机に叩き付け、必死に唾を飛ばして怒号を上げるバロン。
当然だ。ここで私が動かなければ、処分は撤回されない。
将来が絶たれる。
一生をここで過ごすのならまだ良い。
使えぬ手駒など、大抵はクビにされるか飛ばされるかだ。
「今すぐに撤回しろ!『私の行為は誤りだった』と!」
「撤回しません。」
「――――クソアマが!こうなれば、お前がどんなに懇願しようとお前の上司は私だ!覚悟しておけ、すぐに辞めさせてやる!」
ついになり振り構わなくなったバロンは、完全に私を脅しにかかる。
私がここで働く以上はその権威は絶大。
ミスをでっち上げることや、意図的に仕事量を多くすること、同僚達に様々な嫌がらせを仕掛けさせることなど、取れることは多い。
バロンは、自分が飛ばされるその時まで、私を仇として攻撃し続けるだろう。
――――だがそれは、『私がここで働く場合』の話だ。
「その事ですが、私がここに来たのは、異動が取り消しになったからではありません。」
「…あ?」
怒りの余りにバカみたいに口を開けてこちらを見てくるバロン。
その顔を見るに、私が何を言いたいのかを察してはいないらしい。
それも当然か。私がこれから取る行動は、この部署内全員が理解不能だろうから。
「今朝、私は総務部へ行って来ました。それは、ある書類を提出する為です。」
「だから何だと言うんだ!お前が総務部へ行くべきなのはこの後だろうが!」
…こいつは本当にバカだな。
後ろの元同僚は、既に私の意図に気づいて愕然としているというのに。
「その書類は、『異動願い』です。そして、今回に限りそれは特例的に受理されました。」
本来ならば現上司の承諾が必要だが、状況が状況だ。
私を直前に異動させた以上、バロン当人が、私の異動への意思は当然あると見なされた。
それに万年人不足ですぐに通るとクライさんも言っていた。
「お、お前…まさか…。」
そこでバロンは気づき、顔を青ざめさせる。
攻撃する対象は消え、将来を失った自分だけが取り残される。
考え得る限りの最悪の状況だろう。
「私は本日から正式に『ギルド本庁実務部』の所属となりましたことを、ここに報告します。」
「馬鹿な、狂ったか!…クソがァ!」
机に右拳を叩き付け、下を向いて叫ぶ元上司。
報告も終わったので、この不快な場所にいる理由もない。
「では、失礼します。」
踵を返し、今日散々向けられた奇異の目線を浴びながら歩き出す。
「…無能なお前にはお似合いの職場だ!精々後悔しろ!一時の感情で動いたことをな!」
後ろから何かが聞こえてくるが、どうせ空耳だろう。
オフィスを出た私は、この一週間で通い慣れた道を歩いて行くのだった。
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