初業務
――――ジリリリリリリという音が、オフィス内に鳴り響く。
その瞬間、先程まで和やかだった室内が緊張に包まれる。
「…ベルが鳴ると、女神に連絡がいく。と言うわけで、情報を頼む。」
クライさんに促され、女神様は張り詰めた雰囲気を纏って話し始める。
「救援要請があった世界は、3Bと16C。
二カ所同時です。」
異世界の呼び方は、それが発見されたダンジョンの階層が数字、順番がアルファベットである。
3Bは、ダンジョン3階層で2番目に攻略された異世界ということになる。
因みに、攻略された異世界への『扉』は好きな場所に移すことが出来るので、今の場所はダンジョン内とは限らない。
「3Bはミノス社の商品生産拠点、16Cは老夫婦が牧場を経営しています。」
虚空から寝起きだった時に抱えていた大きさ本を出して読み上げる女神様。
どうやら、あれに一つ一つの異世界の情報が刻まれている様だ。
「よし。アストロは16Cだな。3Bは俺が行く。」
「了解した。」
「では、それぞれに繋がる『扉』を創造します。」
一瞬にして切り替えた3人は、通報があって1分もしない内に話をまとめて出動準備に入った。
女神様は部長席に座ったまま本をめくり、部長席と役員席との間に『扉』を2つ創造する。
その手際の良さの前には、ただただ圧倒されるばかりだ。
二人が立ち上がり、扉に入ろうとした所で、クライさんが扉に手をかけたままこちらを向く。
「ラックさん。アンタのスキルはたしか、『障壁』だったな。」
「は、はい!日に3度、攻撃を防ぐ結界を張ることができます!」
「そうか…、アンタさえ良ければアストロに付いていってやってくれ。間違いなく人命救助に役立つ。
勿論、危険はある。だから無理強いはしない。…どうだ?」
――――これは暗に、命をかける覚悟を問われている。
ドクンと、心臓が大きく鳴る音がした。
唐突な緊張状態に、時間がゆっくり流れる。
勿論、彼等はプロだ。
私が行かなくても、何事も無く人は助けられ、平和は維持されるだろう。
そんなことは、クライさんも私も良く分かっている。
その上で、クライさんは私に聞いたのだ。
助ける対象に、万に一つもあってはいけない。
危険を完璧に排除する為に、人員は多い方が良い。
――――それは、私の能力を真っ直ぐに見て、その上での評価だ。
男尊女卑や、スキルの優劣、経験の差など関係ない。
平和を維持するために、人を助ける為に。
私の力が必要だと、そう言っている。
私の心の中で、『命の危険がある』、『いてもいなくても同じ』…などという言葉が反芻する。
これは生命を守るための本能的な抵抗なのか、或いは私の矮小さ故の葛藤か。
――――けれど、人の命を守るということは、正しいことだ。
ならば、私の答えは決まっている。
正しいと思ったことは撤回しない。これが私の性分だ。
「――――行きます。行かせて下さい。」
「良く言った。よし、そっちは頼むぞ二人とも。」
その瞬間、女神様が開いている本が光輝き、呼応して扉に紋様が現れていく。
青白く半透明だった扉が実体化していき、アストロさんの前の扉…16Cは木造のドアへと変化し、蔦がそれに絡まっていく。
対してクライさんの方は、石造りのドアへと変化し、重厚なものへと姿を変えた。
「――――創造完了。英雄達よ、今日も世界を救って下さい。」
「突入!」
アストロさんの大きな背中に続き、蔦が絡まった『扉』へ入る。
そして、次の瞬間には視界が塗り代わっていく。
そこは、風そよぐ大平原。
地面に敷き詰められた一面の緑が風に合わせて揺れ、青空に照らされてその身を輝かせている。
遠くには、牧場の果てを表す柵が薄らと見える。
(そうか、これが平原なんだ。)
…死ぬかもしれない場所に来たはずなのに、最初に浮かんだのは場違いな感想であった。
私は生粋のティアノス民。今まで、石で敷かれた道の上しか歩いた事がない。
勿論、外の世界にも、最初から諦めた異世界にも訪れたことはない。
なので、一面の草地というものを踏んだことがない。
――――だが、感傷に浸る時間はすぐに終わりを迎える。
「――――後ろか。」
アストロさんが私の身体を抱え、そのまま横っ飛びで『扉』から距離を取る。
次の瞬間、私達のいた場所は『扉』ごと棍棒に薙ぎ払われる。
轟音と共に扉が倒壊し、私達の目の前に現れるは人と牛が混じり合った魔物。
二足歩行で歩き、全身が剛毛で覆われ、牛の顔に頭には巨大な二本の角。
…一応、ティアノス本庁に入るためにはそれなりの学習を必要とする。
その中に、『既存、伝説の魔物』の分野も存在する。
かつての魔物が『隔離』されたのだから、それらが異世界やダンジョンに現れるのも必定。故に伝説を学ぶことは、ギルドの受付嬢として必須事項だ。
それらと符合させると、というかそうで無くてもかなり有名な魔物だが、あれは…。
「――――
(ダンジョン50階層以下に出現する、超強力な魔物…。真っ正面から戦えば、熟練した冒険者、或いは他の異世界を攻略済みの英雄でも苦戦は免れない。
――――これが街に放たれたら…。)
想像したくも無い。手練れの英雄は日中ダンジョンに潜っていて、そうそう対応できる人材はいない。
鎮圧されるまでに膨大なティアノス民が犠牲になるだろう。
「ああ。伝説にも名高い強力な魔物だ。ラック嬢、あそこの建物に救援対象がいると思われる。私と距離を取りつつ、あそこに向かって生存を確認してほしい。」
アストロさんは私を下ろすと、巨人の後ろに見える家を指差して言う。
どうやら、私達が出た扉の後ろ100メートル程が牧場の母屋だったようだ。
柵で区画された牧場内には、牛たちが暴れている。
…そして、ミノス・ジャイアントによって破壊された柵から逃げ出したもの、既に惨殺されたものが見受けられる。
「魔物の相手は私が引き受ける。その間に横を走り抜けて欲しい。」
「…!?分かりました。」
(あ、あの巨体の横を…。いや、一度決めたんだから怖くない!いける!多分!
というか、アレを一人で!?)
思わず腰が引けそうになったが、自分で決めたことだ。思いっきり頬を叩いて自分を奮わせる。
そしてアストロさんは私が頷いたのを確認すると、巨人に向けて悠然と歩みを進める。
「私はアストロノート=シルバーストーン。貴殿はミノス・ジャイアントとお見受けする。
――――僭越ながら、私が相手をしよう。」
その歩みに恐怖など一分もない。
瞳に宿る清廉な輝きは決して陰らず、3メートルは下らない巨体に向けて戦線を布告する。
私から離れていくその背中は、彼の魔物の巨体に負けないほど大きく見えた。
勿論、牛を見境無く惨殺するような魔物に知性などあるはずもない。
無抵抗に近付いてくる
…アストロさんの殺気を受けていなければ、ここで私は漏らしていただろう。
あれを味わった今、こんな殺気そよ風の様なものである。
「Gaaaaa!」
ミノス・ジャイアントは、手に持った棍棒を力一杯アストロさんに振り下ろす。
3メートルを超える巨体から放たれるそれは、石の扉を軽々粉砕する程の威力。
スピードも目に追えない程迅い。
――――そんな死の一撃に対し、アストロさんは…
難なく右手で受け止めた。
その衝撃でアストロさんの足は地面に沈み込むも、全くダメージを受けた様には見えない。
…ど、どっちがバケモノなんだろう。非常に失礼な事であるが、頭の中にはそんな疑問が浮かんできてしまった。
「今だ!」
「はい!」
アストロさんに促され、全速力で走り出す。対象の家までは目算100メートルほど。
必死に足を動かし、少女時代以降まともに使っていなかった筋肉を酷使する。
そして数メートルの距離を開け、アストロさんが一撃を受け止めている脇を走り抜けようとするも…。
「Guaaaa!」
棍棒を離したミノス・ジャイアントがこちらに向かって拳を振り下ろす。
『あっ、死んだわ私』と思ったその時。
「相手を間違えるな。お前の相手は私だ。」
だが、一瞬にして回り込んだアストロさんが両腕を十字に組んで受け止める。
そこから一ミリメートルも微動だにせず、私と巨人の間に立ち塞がる。
「ありがとうございます!」
そして私は足を止めること無く、母屋に走り続ける。
やがて母屋はドンドンと近付いていき、その入り口に至る。
「救援です!行方不明者、負傷者はいませんか!」
するとガチャリと扉が開き、不安そうな表情の老人2人が建物内にいるのを確認する。
「ああ。2人ともいる。怪我もない。魔物は――――」
「分かりました。お二人はそのまま建物の中にいて下さい。」
生存を確認出来た所で、二人に背を向けて息を大きく吸い込む。
「無事です!外傷ありません!」
そして、私の声がアストロさんに届いた瞬間、遠く離れた場所でありながら極大の殺気が叩き付けられる。
よく見ると、ミノス・ジャイアントの攻撃を受け流しながら眼鏡を外して胸元にしまったらしい。
ミノタウロスは急激に強まった殺気に面食らい、思わず後ずさる。
急な姿勢変更に体幹が崩れ、ボディががら空きになった所で――――
――――アストロさんがボディにアッパーカットを叩き込んだ。
「…は?」
その後の光景は、思わず目を疑うモノだった。
まず、パァンという音と共に、巨人の体躯が衝撃に耐えきれず爆発四散する。
次に、拳の風圧が周囲に伝播し、近くにいた牛たちが少し吹っ飛ばされる。
最後に、舞上げられた血液が雨となって降り注ぎ――――上空の雲が、拳の部分だけ円形に消し飛ぶ。
(…ああ、なるほど。私を離れさせた理由って、生存確認だけじゃなくて…。
アレに巻き込まない為でもあったんだ…。)
本当に、どちらが化物なのだろうか…。
血塗れになったアストロさんを見て、失礼ながらそう思ってしまう私であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます