喉元過ぎれば

『ラック、お前は俺の跡を継いで、冒険者として――――』

『――――貴方は英雄になるの。』


(…ああ、またこの夢か。)


 朦朧とする意識の中、これは夢だと言う確信だけが心に訪れる。

 頭に響くのは、幼い頃にかけられた親達の声。


 冒険者としてこの街に訪れ、『英雄』になれずに終わった、何処にでもいる凡人な父親。

 『異世界』という巨大な夢に目が眩み、娘に過大な期待を押し付ける母親。


 …まあ、これは幼い頃の話で、私のスキルが分かってからは無理な期待をかけられることも無くなったが。

 だが、あの表情だけは今でも夢に見る。

 失望、落胆、侮蔑が入り混じった親の表情。


 そんな反応に子供ながらに傷つき、幼少期は己のスキルを呪ったものだ。

 結局親に植え付けられた英雄への憧れは消せずにここまで来てしまったが。


 いや、正直言うと、今でも少し考えることがある。

『自分の意思を曲げなくても良いほど、強力なスキルだったら良いな』と。


(…まあ、スキルが戦闘向きじゃないから異世界を攻略出来ない訳で。当然、その報酬の『スキル進化』も望めない。)


 無理がある望みだということは、自分が一番良く分かっている。

 だからスキルと呼応するように、周囲の人間との間に『壁』を作って生きてきた。


 間違っても英雄なんて夢を見ないように。

 間違っても『羨ましい』だなんて思わないように。


 …でも、矮小な私はどうしてもこう考えてしまう訳で。


(あーあ、もっと力があったらなあ。)






(…あれ、ここはどこだろう。)


 目を開ける。視界に入るのは、白に少々の黒い模様が入っている天井。

 かの有名な、『知らない天井だ…』って奴である。

 どこで有名なのかは知らんけど。


 身体の上にかかっている布団から、私はベッドの上にいることが分かる。真っ白なベッドに、右側にはカーテンが揺れる窓。

 恐らくここは、来る途中に見えた医務室だろうと当たりをつける。


 ふと、左に寝返りを打ってみる。


「「…あっ。」」


 すると、椅子に座っている偉丈夫と目が合う。

 どうやらベッドの横に椅子を出し、私を見守っていてくれた様だ。


(あ、この人…。)


 短い銀髪に、右顎から顔の上部へ向かう巨大な爪痕、白シャツに黒いベスト。

 そして前髪で上部が隠れている黒目の三白眼には、何人も穢すことが出来ないであろう清廉な眼光。

 …そう、この人は――――


(私があの時見て気絶した人だ。)


 そうなのだ。

 あの時私が誤って見てしまったのは、扉を開ける彼の姿だった。

 だが、あの時に感じた恐怖は今はない。 


 視認した瞬間、本能に訴えかけてくる危険性。

 ぞわりと背筋を撫でつけるとか、冷や汗をタラリとかくとかそんなレベルじゃない。息が出来ない。

 人間なら、いや生物ならば確実に皆こう感じるであろう。

 詰まるところ、私があの時感じた恐怖は、生物の根源的感覚に訴える普遍的な暴力であった。


 その恐怖感が無いとは言え、思わず固唾を呑むくらいにはトラウマである。

 そんな男の人が起きたら目の前にいたのだ、多少ベッドの上で後ずさるのは許して欲しい。


 少しの微妙な間が流れると、唐突に彼が頭を下げる。


「威嚇するような形になってしまい、本当に申し訳なかった。あの時はこの眼鏡を付け忘れ、外に出てしまった。」


「め、眼鏡?」


 言われて見れば。

 今彼がしているのは角張った眼鏡。

 扉を開けたときには、この眼鏡はしていなかった様に記憶している。


「ああ。この眼鏡は、私の威圧感を抑える役割を果たしている。度は入っていないのだが…故に時々忘れてしまうのだ。本当に申し訳ない。」


 そう言うと彼は頭を直角に下げ、平謝りをする。

 その言動の節々から、誠実さと申し訳なさがヒシヒシと伝わってくる。


(…というか、見ただけで気絶した方が失礼だよなあ…。それも本人の目の前で。)


「いえ、こちらも失礼な真似をしてすいません。」


 ベッドの上で正座をして、こちらも頭を下げる。

 紳士的な対応には、きちんとした礼で返さねば。


「「…。」」


((…気まずい!))


 そして流れる微妙な沈黙。

 初対面で気絶という無礼をかました後なので、こちらから友好的に話しかけなければ…とは思うが。

 ぶっちゃけ何を話したら良いか分からん。

 普段マロンくらいとしか話して無いからなあ。


 この現状をどうしたものかと悩んでいると、ガラガラッという音が聞こえてくる。どうやら、医務室に誰かが入ってきたらしい。


「おっ、ラックさん、目が覚めたか。」


「ああ、はい。お蔭様で…。」


 姿を現したのはクライさんだった。

 恐らく、ここまで運んでくれたのはクライさんだろう。

 そしてナイスタイミングな登場、この状況では正直助かる。


「いやあ、まさかを気絶で済ますとは。ラックさんは結構肝が据わってるわ。」


「…まだコレ系統のやつがあるんですか?」


「あるにはあるが、アストロのを耐えられりゃ大丈夫だ。そいつは今日は外回りだから、さっき出かけてった。

…体調も大丈夫そうだし、一旦オフィスに来てくれ。」





「改めて、ここが俺達のオフィスだ。」


 クライさんが窓前の自分のデスクに手を突き、こちらを振り返って言う。

 今度は即死トラップがなく、難なくオフィスに入ることができた。


 作りとしては、前の職場のものとほぼ一緒だ。

 窓前に上司の席、そして若干の距離を取って他役員の席が二組ずつ対面で並べられている。その数は6個。デスクが丁度3組ずつ並んでいる。

 部屋内には、私、クライさん、アストロさんの3人。他の人は出払っている様だ。


…というか、クライさんが手を突いている所って…。


「クライさん、部長だったんですか!?」


「ああ、言ってなかったか。見れば分かると思うが、俺の役職は実務部部長ということになる。因みにここには課が無いから、課長は存在しない。」


 さらっと衝撃の事実を口にするクライさん。

 ということは、一人の部下の異動にわざわざ部長が迎えに来て下さったと言う訳で…。

 

「面倒掛けてすいません…。」


「失禁及び心停止よりはマシだ。見込みあるぞラックさん。流石、事務の方からこっちに志願しただけはある。」


 ああそうだ。気絶する前に聞こえてきたその情報。

 私は課長に飛ばされてこちらに来たはずだ。なのに、『自ら志願した』ということになっているのはどういうことか。


「あの、そのことなんですが。実は…」


 かくかくしかじか。

 ここに至った経緯を事細かに報告する。

 私が事情を説明するにつれ、クライさんの表情が険しくなっていくのは非常に怖かったが。


「…なるほど。つまり、俺達の部署が体よく制裁に使われてたってことか。」


「そ、そういうことになります。」


(こ、こわい…!)


 さっきのアストロさんの殺気ほどでは無いが、クライさんが現在放出している威圧感も中々のものである。

 というか、下手したら威圧感だけで人が死ぬ。

 今、私の心臓は超高鳴ってる。まっったく恋とかではない理由で。

 

「…あー、ラックさん。一応聞くが、この部署の但し書きにある、『命をかける覚悟』ってのはしてる?ちょっとばかし危険な業務があるんだが。」


 全力で首を横に振る。

 流石に命をかけるまでの覚悟はキまってない。

 というか、既に一回死にかけるチャンスがあったんですけど。


「だよな。…あー、道理でアイツらもすぐ戻った訳だ。それに、人事に男尊女卑思想が絡んでるってのも良くねえな。」


「クライ、この慣習はすぐに止めさせた方が良い。徒に命を散らせることになりかねない。」


 合点がいったかのように頷くクライさんと、至極真面目にクライに打診するアストロさん。

 というか、まともに話が通って無かったのか…。

 課長か人事課の悪意が透けて見えるな。


 ひとしきり二人が話し終えると、クライさんがこちらに向き直って言う。


「ちょっと待ってろ。今。」


 …え?


 女神様とは。

 この組織のトップにして、この都市『異世界都市ティアノス』を作り上げた超上位存在。滅多に姿を現さないが、ダンジョン、及び異世界の運営などの業務を日夜こなしている。

…の女神様?


 かなり上位…それこそ、総務部長、或いは統括部長が、面倒な手続きを経てしか謁見できず、もし女神様から文句が行ったら問答無用ですぐにクビが飛ぶと噂の…。


「え…女神様って、この組織のトップのですか?」


「ああそうだ。5分待ってろ。」


 さも当然のように言い放つクライさん。

――――本当に、とんでもない所に来てしまった…。

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