地獄の門

 翌日。今日も受付嬢のローテーションは入っていないので、総務課オフィスにて。朝早く来て自身のデスクに座り、腕を組んで脳を回す。


 まずは実務部への悪評を、ここに書き連ねておこう。

 曰く、一日で年間経費の四分の一を吹っ飛ばす穀潰し。

 曰く、精神崩壊のプロフェッショナル。

 曰く、気に入らない奴を入れると、足を嘗めてでも配属を戻して欲しいと嘆願する様になる便利な洗脳部屋。


 …なるほど。これは酷い。

 マロンから聞いた情報と、夜の間自分で動いた結果がこれだ。

 部署内の評価も、軒並み『クズ共の集まり』『掃きだめ』『ゴミ捨て場』などと惨憺たるものである。


 その原因は、部署に入るのに簡単な面接だけで良いという簡易さによるものだ。

『ただし、命をかける覚悟のある者に限る』などという物騒な文言が書かれていたが。


 何にせよ、それがエリート達の恰好の標的になっているらしい。自分より下の立場を見ると攻撃したくなるのが高慢な人間の常。

 要するに、体の良い人柱という訳だ。


「まあ昨日の今日だし、すぐに異動と決まった訳じゃ…」


 時間帯が遅くなり、出勤してくる人も増えてきた所で顔を上げる。

 希望的観測は、いつだって私の味方だ。

 味方だが…ピンポーンという音と共に、唐突に建物内に放送が鳴り響く。


「えー、管理部総務課のラック=ゲンティエナさんにお知らせです。トイレを済ませた後、一階ホールに来て下さい。もう一度繰り返します。」


「ラック=ゲンティエナさんは、、一階ホールに来て下さい。」


(昨日の今日かぁー…。)


 少しの間希望に縋っていただけだというのに、現実は非情である。

 あの課長、普段の仕事は遅い癖にこういうときだけ積極的になりやがったな。


(というか、トイレ?なぜトイレ?)


 荷物をまとめている間、放送で気になったことを考える。

 劇場で何かを見るわけでもないし、トイレに行けないほど長時間拘束される理由が思い当たらない。


「…プッ。ラックの奴、『掃きだめ』行きだってよ。」

「しかもトイレって、まるで子供扱い…。」


 席を立ってオフィスを離れると、現段階では同僚である奴らの声が聞こえてくる。

 安定した道筋を外し、すぐにここから消える者にかける優しさは無いらしい。

 まっこと合理的な感情の持ち主である。


(…まあ、彼女達みたいに割り切れる訳でもなし。性分なもんは仕方ない。)


 などと考えていると、でっぷりと太った腹を揺らし、目の前から歩いてくるバカ課長。

 その顔には意地の悪い笑みを浮かべ、細い目には侮蔑の光。


 ふと私の悪口を言っていた方々を見てみると、課長に媚びた目線を送っている。

 うるうると瞳を揺らし、口角を上げる。

 ナチュラルに見せかけた、完璧に計算された『好意的な表情』だ。


(…すっげー。道理で私が攻撃されるハズだわ。皆かわいがりたくなる顔してるもん。)


「放送で呼び出された気分はどうかな、ラック君?」


「これはバ…、課長。おはようございます。ええ、今し方現実に打ちひしがれていた所です。」


 いつの間にか近付いてきた課長に率直な心情を伝える。どうやらこの職場において、元から私は場違いだったようだ。


 あとついついバカ課長と言いかけてしまった。危ない危ない。

 バで止めても最終的にはバ課長となり、バカと言ってしまうのは許してほしい。


「そうだろうとも。だが、君の異動は決定した。から、そっちでも楽しくやり給え。」


「ありがとうございます。では、放送に呼ばれているので失礼します。」


 顔を見ると昨日の怒りがぶり返して来そうなので、早々に会話を打ち切る。というか、顔を見た段階でもう血が半分昇り掛けている。

 殴らない内に早く行ってしまおう。

 

 課長の脇を通り抜け、足早にオフィスの出口へ向かう。


「戻ってきたいと言っても許してやらんからな。覚悟しておけよこの無能女が。」


 後ろから聞こえてくる罵声に、キレそうになりながらオフィスを出る。

 今更ながら、私の煽り耐性は非常に低いということをここに付け加えておく。







 ギルド本庁、一階ホール。

 白を基調としたタイル、壁、上階へ向かう階段。玄関口に設けられたこの場所は、新たな移住者の受付や、その他事務対応を行う場所である。


 私は、今し方そこにあるトイレで用を済ませ、手を洗って出てきた所だ。


「ん、あれは…。」


 呼び出された場所にいたのは、髪がボサボサで、黒いスーツを着崩した男の人。年齢は30歳後半といった所だろうか。


「…お、来たか。君がゲンティエナさんだな。」


「はい。私が、ラック=ゲンティエナです。ゲンティエナは長いので、ラックとお呼び下さい。」


「分かった。俺はクライ=レンと言う。呼び方はクライでいい。

 …じゃあラックさん、これから実務部のオフィスへ行くから後を付いて来てくれるか。」


 そう言うとクライさんは、本庁の片隅、実務部のオフィスに向けて歩を進める。


(…地図に載ってるから、直接行っても良かったんだけどな。飛ばされた事情が事情だけに、問題児だと思われているのだろうか。)


 …まあ、勢い余って上司と衝突する部下は問題児かと問われれば、問題児に違いはないのだが。

 だが私は間違ったことをしたと思っていないし、後悔はない。

 いや、その場の感情に動いたことと、頑張ってきたことが水泡に帰したことに対し、少しの後悔があるが。


「…ああ、俺がここまで迎えに来たことが不思議か。別にラックさんを問題児扱いしてるって訳じゃないんだが…。幾分、事情があってな。」


「え、私そんなに顔に出してましたか!?」


「いや、前回は直接聞かれたってだけだ。一回前の奴は好奇心が旺盛だった。…心臓は弱かったがな。」


 なるほど。私以前に『地獄送り』にされた人からの経験則か。読心のスキルでも持っているのかと思った。


「こう…事前に心の準備が必要なんだ。初見の奴が俺達のオフィスに入る為には。」


「入るだけで、ですか?」


「ああそうだ。というか、それが最大限の難関だ。今まで二人ウチに異動されてきたが…。」


(送られた人数が二人、それであの悪評…。何が起こるのか怖いのが半分、興味が半分…。)


 いや入れないって何ですか。

 直前にアスレチックか何かあるのだろうか。或いは、到着するまでに彼等彼女らが嫌になって逃げたか。

 クライさんは逃亡防止の抑止力として来た…のかな?


 1階、入り口から見て本庁の左。

 本庁に併設されている小さな棟に渡り、その2階へ。


 1階はどうやら受付と待合室になっているようだ。で、2階には事務室…オフィスと教室。


 クライさんは事務室前の廊下で一旦止まる。

 正面には、これまた真っ白な扉。ドアノブが付いていて、引いて開けるタイプだ。


「…さて、トイレは済ませてきたか?」


「は、はい。」


 ドアの前で、真剣な表情で聞いてくるクライさん。


「一応書類も確認したが、心臓に疾患も無いな?」


「…はい。今のところ健康体です。」


「よし。」


 果たしてこの問答に何の意味があるのだろうか。

 クライさんが非常に深刻な顔をしているので、冗談と言う訳ではないだろうが。


「それじゃあ、覚悟を決めろ。これから入る部屋には、一人と一個、奴がいる。ちなみに一つ前の奴は、ここで心停止した。」


「…え゛。」


「その場で電気流して応急救護で動かしたので何とか助かったがな。そして一人目は失禁した。」


「待って下さい!それは明らかにヤバいでしょ!中に何があるって言うんですか!」


「いや、覚悟を決めれば大丈夫だ。何、すぐに慣れるさ。

 じゃあ開けるぞ。いーち…」


 爆弾情報だけ投下して、ドアノブに手を掛けてゆっくりと回し始めるクライさん、いやクライ。

 必死でその手を引き剥がし扉から一歩離れる。


「ちょっと、まだ私死にたくないですよ!」


「大丈夫だって。直ちに死にはしないから。心臓が止まっても動かすから。」


「直ちに健康に害ありまくりでしょうが!あの前情報から『大丈夫』って判断できる奴はいません!いたとしたらマゾだけです!」


「分かった分かった。そう詰め寄るな。

 …どうしても嫌だってんなら仕方ない。じゃあ折角すまんが、今回は説明不足だったってことで――――」


(あれ、今情報の食い違いが見えたような…。)


 クライさんの両手を握っての必死の訴えが通じた様だ。頭を掻いて、残念そうに引き返していくクライさん。

 しかし、聞き捨てならない情報が聞こえた。


――――だが、それを問い詰めようとした所で、ガチャリという音が聞こえてきた。


「「あっ。」」


 これは扉が開く音だと判断した時にはもう遅い。

 無意識に扉の奥を見た所で――――猛烈な殺気と恐怖感、という強迫観念と共に私の意識は途絶えた。

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