六章 解決編(その1)
スタンが意識を取り戻すのに、一週間ほどかかった。
ユハは再び拘束された。例のようにミスリル銀製の手かせと、今度は足かせもつけられ、おまけに二十四時間体制の監視がついた。あれだけのことをしでかしたと言うのに、今回も薬物による無効化は行われなかった。病室に担ぎ込まれたスタンが、「意識のはっきりしている状態のユハから証言を取る必要がある」と言ったからである。
その場で処刑されても文句は言えないようなことをしでかしたにしては甘い対処だが、これは、人質だったはずの司令が無事だったことが大きい。司令はユハが陣取っていた真下――本来の司令官居室の隣の部屋に移されていただけだったのである。屋上にあった縛られた人間の姿は、関節技訓練用の木偶人形だったのだ。本物の司令は縛られはしたものの、ロープの跡も残らないほど無傷で発見された。ユハは司令に「目的さえ達成すれば誰も死なせない」と言っており、事実、スタンとシェーン以外の負傷者――数はともかく、怪我で済んでいる。その二人にしても、タオの部屋にいたことをユハが知っていたら――巻き添えにする危険を知っていたら――それなりの対処をしていたと見て間違いない。
甘いと言えば甘いのだが、軍人とて人間。年端もいかない少女を銃殺するのは忍びなかったのだろう。
一週間の間に帝都との連絡が交わされ、いくつかの命令変更があった。
司令は辞職を願い出た。後任は副指令が昇格した。階級はそのままである。
第三駐屯地の放棄が早まった。雪が降る前の完全撤退が指示され、物資移送計画は、撤収計画の第一弾に変更された。
「私ばかりが働いている気がする」
とは、相棒がダウンしたうえに仕事量が増加したジジの漏らした一言。それでも引越し準備は着々と進んだ。後は出発を待つのみである。
実験小隊の今後は留保された。当面の間は帝都防衛隊の外郭部隊に組み込まれるらしい。
騒ぎの中、何人かの脱走兵があったが、捜索は形ばかりしか行なわれなかった。それどころではない、というのが実情だろう。
意識を取り戻したスタンが話せるようになるまで、さらに二日かかった。
シェーンはまだ目を覚まさない。肉体的にも精神的にも、死の淵ぎりぎりまでいっていたのだ。魔法の酷使も大きい。
衛生兵のエミリーが、シェーンにつきっきりで看護した。怪我が治ったら二人で退役する、と彼女は宣言し、誰も止めなかった。シェーンが兵士としては使い物にならないことは、誰の目にも明らかだった。彼の右足はもう、ない。
†
ある日のことである。
スタンは隣のベッドを、ちょっとだけうらやましく思った。シェーンの世話をするエミリーのかいがいしさといったら、型にとって看護学校の教材にしたいくらいのものだったのだ。
「足一本なくしたのだ。看護されて当然だろう」
「そうでもないと思いますけどね。美人の看護は別格ですし」
スタンは見舞いに来ていたジジを見上げた。ジジはにこりともしない。ちなみにエミリー一等兵は、休憩時間で席を外している。
「私の泣き顔が見たかったら死んで見せろ。どうだ? 釣り合うか?」
「ええ」
臆面もなく答えられて、ジジは言葉に詰まった。そっぽを向く。無表情は維持していたが、微妙に赤い。
「……もうしばらく入院していろ」
「残念ながらその必要もないらしいです。まだちょっと血が足りませんけど」
「あれだけやったのにまだ……」
「え?」
スタンは何気なく聞き返したのだけだったが、ジジの顔が見る間に赤くなった。
「忘れろ」
「え?」
念押しはなかった。多分無意識なのだろうが、ジジの手が腰に伸びているのを見て、スタンはそれ以上の追求を放棄した。入院が長引くのは困る。いや、この世から退院させられるかもしれない。
「それより遅いですね」
「凶悪犯罪者だからな。簡単には出せないんだろう」
「これで魔法使いに対する法規制とかかかったりするんですかね?」
「さあな」
起き上がれるようになったスタンは副指令――この時点ではまだ副指令である――に、タオ殺害事件に関する報告を要求された。スタンが帝都に戻る前に聞いておかなくては、事後処理が出来なくなるからであろう。負傷がなくても、スタンは物資と一緒に帝都に戻る予定だったのだから。腕を折ってしまった関係で、書面による報告はしなくてよくなった。スタンが口頭で説明し、事務官がそれを書き取ることになっている。
スタンはその席に、ユハを同席させて欲しいと頼んだのである。
彼女がいなければ、謎は解けなかったとの理由で。
この要求を副指令が受け入れなければならない理由は何一つなかった。しかし、ユハが協力的であったことが大きく影響した。つけ加えるなら、副指令は、スタンが犯人にトリックをつきつけるつもりなのだろうと思っていたのである。
「あ」
ドアが開く。
手かせ足かせを二つずつつけられた小柄な少女が、両脇を屈強な兵士に、前後を実験小隊のサイモンとリリに囲まれて姿を現した。少し離れて副指令が入ってくる。その隣に書記官らしき女性兵士。
「大所帯ですね」
スタンが言った。警護兵は反応しない。ユハが肩をすくめた。鎖が盛大に音を立てる。
「表にこの十倍、取り囲んでるよ。全員完全武装。あたしがなにかやったら、まとめてふっ飛ばすんだって」
「そりゃまたひどい対応」
「仕方あるまい」
副指令が言った。
「そんなことはしないと本人が言っても、周囲は納得せんよ。あれを見せられたら特にな……」
あれ、と言うのは言うまでもなく、ユハの使った極大魔法である。帝国はもちろん、連合中の魔法使いを探しても、あれだけの術を使える人間は少ないだろう。さらに驚くべきは、極大魔法で「誰も殺さないような」制御を行ったユハの能力である。
「初日は手を抜いていた?」
スタンはまず、それを確かめる気になった。
「別に。あの時はあれが全力。色々条件があるのよ。今はあんな真似出来ないから安心して欲しいんだけど……」
当然だが、副指令はそれを無視した。
「デルタ少尉。なるべく時間はとりたくないんだが」
「あ、失礼しました。すぐ済みますから」
スタンは一度目を閉じて深呼吸した。ちらりと、隣のベッドを見る。
「タオ・マリチ・ロアンは自殺です」
「え?」「へ?」「あ?」
複数の声が重なって、実際はなんだかわからない音になった。
「……自殺? あの状況でか?」
「ええ。散々考えたんですけど、それ以外に説明出来ません」
「しかしそれでは……」
「状況を単純にまとめましょう。
一、凶器には祝福がかけられていたので、犯人は現場に入らないとならなかった。
二、しかし、現場に潜入する人間も、逃げ出した人間も目撃されていない。
三、鍵のこと、時間的余裕も考えると、誰も出入りしていない公算が高い。
魔法による遠隔操作なら目撃される心配はありませんが、その場合、最初の条件に矛盾します」
「どこかの観察が間違っているのよね」
ユハが合いの手をはさむ。スタンはうなずいた。
「だから自殺です。魔法を使えば、自分を後ろから刺すなんて簡単です」
「しかし、自殺だとしても……」
副指令が難しい顔でつぶやく、魔法関連の議論になるとついていけないから不安なのだろう。
「神剣には魔法がかけられない、ですね? それはとりあえず置いておきます。間違いのない出来事だけを見ていきましょう。あの日、オーマ中佐が壁に剣が当たる音を聞いています。その時点で犯人が屋内にいたとすれば、その後、部屋に鍵を――魔法で、ですよ。合鍵は副指令の部屋にしかなかったんですから、魔法以外に施錠の方法はありません。――かけて、逃げたことになる。ユハの説明によると、あの鍵はプロでも三十分かかる代物だそうです。ところが廊下に三十分もいたら、今度は侵入者騒ぎでかけつけた伝令の兵士に見つかってしまう」
「殺害直後に逃げたのでは? 鍵は建物の外からかけた」
「それも考え方の一つですけど、音も聞かずに開錠、施錠するのは難しいとのことです。針金ではなく魔法を使ったとすれば、ピッキングの肝となる「感触」に頼れなくなりますから。離れて行ったとしたら、「音」も当てにできなくなるでしょう。魔法で職人並みの器用さを発揮できたとしても、目隠しして耳栓を付け状態では、本来の技能は活かせません。
だから、その方法は事実上不可能だと考えられます。この鍵の状態だけ考えても、外部の人間が処理できる限界を超えています。つまり、観測の二番と三番は正しい」
少し待ったが、反論はなかった。スタンは唇をしめらせてから続きを言った。
「この条件を満たす犯行可能人物はたった一人、死んだタオ本人だけです。鍵もタオ本人がかけたと考えるのが自然なんです。……一応確認するけど、物質をすり抜ける魔法なんてないよね?」
「ないわ」ユハが即答した。「魔法を使っても『存在』は無視できない。それが出来たら楽なんだけどね」
実験小隊の二人がうなずいた。それを見て、魔法が使えない人々もユハの証言を信用したようだ。
「そもそもそんな魔法があったら、暗殺者の天下ですよ。戦争なんてやっている意味がなくなります。それに関連して次の疑問。
……犯人は部屋の外から仕掛けたにも関わらず、タオを一撃で仕留めています。もし一撃でないとしたら、もっと騒ぎになっていたはずですよね。でも、オーマ中佐が聞いたのは、物音が一回だけ。犯人は剣をびゅんびゅん振りまわしても、タオと格闘をしてもいない。これまた自殺だと思える証拠の一つです。自分を刺すんですから、当然無抵抗です。
と言うわけで最初の疑問に戻ります。
魔法が通用しないはずの神剣を、犯人はどうやって動かしたのか」
問いは、ユハに向けられてのものだった。
「剣に紐かなにかを縛っておく。それを操ってタオを刺す。凶器が特定されている状況で、魔法を使って殺す方法は、あたしもそれしか思いつかなかった」
「同じ方法で誰でも殺せたのではないですか?」
サイモンが問いを発した。
「それはありません」
「根拠は?」
「後でお話します。ところで、神剣に結わえておいた紐はどこにいったんでしょうね」
誰も答えない。それでも、スタンは一同を見まわした。
「ここから先は完全に推測になりますけれど、紐じゃなくて細い糸をより合わせた物だと思います。それに油をしみ込ませて火をつける。燃え尽きるまでの間に魔法をかけて動かし、自分を刺すわけです。順番は逆かもしれない。多少の燃え滓や煤が落ちていても、夜間で暗かったから気付かなかった。遺体を運び出したりしている間に、踏まれてわからなくなってしまったのかもしれない」
「しかし、まだ外部犯の可能性は否定出来ない」
黙って聞いていたジジがそう言った。スタンは期待通りの反論が出たことに喜ぶ。
「重要なのは、タオが一撃で死んでいることです」
「ああ。なるほど。確かに他殺では考えにくい」
ジジが納得し、ユハもうなずいていた。副指令たちはまだ得心がいかないようだった。
「報告書に書けるように説明したまえ」
「失礼しました。つまりですね、犯人は、タオがあそこに座っていたと知っていなくてはならないんです。そうじゃないと一撃で仕留められない。家具の配置は事前に調べられますけれど、犯人が誰であろうと、密室内の人の位置を、『その瞬間』の情報として知ることは出来ないんです。
もし本当に他殺だとしたら、もっと深夜になってから行動を起こしたはずです。真夜中になればタオは絶対にベッドの上にいますから。
それをしなかったのは、タオが自殺したからだとしか考えられません。糸につけた火がベッドに移るのを恐れたのかもしれない、とも考えられますね。他人に迷惑をかけない死に方を選ぶのは、自殺者の心理としてそれほど不自然なものではありません」
いくつかの唸り声が唱和した。納得は出来るのだが、幕切れとしてすっとしないのであろう。
「……動機は?」
「そこまではわかりません。机の血溜まりに沈んでいた紙のどれかが、遺書だったのかもしれません」
「……そんなところだろうな」
副指令は苦そうな息を吐いた。ユハ犯人説は、実は先週の騒ぎで捨てていた。あれだけ無軌道な行動に出る人間が、密室殺人などという緻密な犯罪を行なえたとは思えなかったのである。
ユハが手を叩いて飛び上がった。
「やった! これであたしは無罪よね?」
「殺人に関しては、だ」
「え?」
「不法侵入も施設破壊も現行犯だ。言い逃れはできん」
「そんなぁ」
「心配しなくても殺されないよ」
スタンは穏やかに言った。
「帝都に報告がいっているのでしょう? この子は、リスクに見合った戦力になると判断されているんじゃないですか? 事件のもみ消しと引き換えに軍で使いたいんじゃないですか?」
副指令は顔をしかめたままうなずいた。
「一級機密だ。誰にも言うな」
ユハは喜んで良いのか泣くべきなのかわからなかった。
とりあえず、自由の日々にはさよならかもしれない。
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