五章 魔法少女の大暴走・前

 軍事基地における物資の消失は、特にめずらしい事件ではない。

 帝国に敵対している某国では、演習で使った空薬莢まで拾い集めて管理しているらしいが、普通の国家の普通の軍隊では、末端の備品が現在どの程度そろっているか把握しているほうが珍しい。これは命令から実際の補給にかかるまでの時間差や、不測の事態に対処するための消費、食料が腐ってしまったなどという予期せぬ問題が相互に影響しあって発生する――

 のならいいのだが。

 ところで、軍人でもないのに軍用品を用いている人間というのは、探してみると結構多い。

 鹿狩りで仕留めた獲物を解体していたら対人ライフルの弾丸が出てきた――なんて話は帝国でなくてもざらにある。この程度ならまだかわいいほうで、スパイが潜入国の制服を持っているのも、深夜の連続殺人にコンバットナイフが用いられるのも、出所不明の名馬が束になって売られているのも、怪しげなクラブのお姉さんが妙にリアルな階級章をつけているのも全部、

 どんな部隊にも一人や二人いる不埒者が主な原因である。

 軍人だって人間だ。頭の悪い奴もいる。ずるがしこい奴もいる。目先の金に惑わされても何の不思議もない。

 装備品の横流しは日常茶飯事だと言っても過言ではない。

 横流しする当人としても、本当に必要なものは裏に流さないぐらいの節度は備えている。いざ実戦で困るのは自分だからである。

 だから、軍隊では普段何か足りなくても、表面上は何事もなく過ぎていく。

 困るのは、物資を点検しなければならなくなったときである。

 そんなこと言ったって私がなくしたのと違うんだからさあ、なんて寝言は通用しない。物資をなくしたやつが悪いのではなく、なくなったと気付いたやつが悪いのである。なぜだかそういうことになっている。

 困っているのはジジである。


「……ふ――――――……っ」


 肺の空気全部を使ったため息。

 足りないものをいちいち列挙する気にはなれない。

 あるものをかき集めて積み込むのみ、と割り切った。


「とりあえず運び出せ。リストアップは広い所でやる」


 言うまでもない指示を下して、ジジは倉庫から出た。

 空が高い。空気も澄んでいる。煙草が吸いたくなったが、あいにく勤務中である。そうでなくても、嗜好品の備蓄は絶望的だったと記憶している。監督役がちょろまかすわけにもいかないだろう。

 でも一本吸いたいな、と思った直後、どこかで爆発音が響いた。

 幻の煙と酩酊感を追い出し、ジジは即座に戦闘態勢を取る。ほとんど時間を置かず、倉庫に入っていた兵士たちが飛び出してくる。


「なんですか今の?」

「わからん」


 続いて二度目の爆発。先ほどより大きい。震動の方向をたどることができた。土煙も見えた。

 士官宿舎だ。

 二つあるどちらかは判別できない。爆発に付き物の黒煙が上がらないのだ。


「作業は中止! 警備班がくるまで付近の警戒! 不審者は容赦なく撃て!」

「少尉は?」

「状況を確認してくる!」


 言うなりジジは駆け出していた。

 三度目の爆発はなかった。その代わりに、四方八方で半鐘が鳴り響く。第三駐屯地全体が非常体制に移行しつつあるのだ。その対応の早さに感心するより、不安が先に出てきた。食料庫の侵入者――ユハとかいったか――の時ですら、発見から警備の出動、周辺の警戒が完成するまで十分近くかかったのだ。これは不手際ではなく、現場で処理しようとした結果である。であれば今回は、発端が中枢に近い場所だったのではないだろうか。

 その予想を見事に証明するものが、ジジの眼前に現れた。

 殺人事件の現場でもあった宿舎の屋上に、ユハがいたのだ。

 宿舎の半分が崩壊していた。そこが、司令の部屋が存在した場所であると、ジジは即座に気付いた。さらに言うなら殺人現場の上でもある。

 そして屋上には、目隠しと猿ぐつわをかまされた老人の姿もあった。横倒しになって、半分以上が瓦礫に隠されていたのではっきりしないが、手足も縛られているようだ。状況からして司令に間違いない。

 あちこちから続々と隊員が集まってくる。そのほとんどは「とりあえず駆けつけた」だけで、きちんとした装備をしている者は少なかった。制服のボタンがとまっていない隊員までいる。勤務時間外だったのだろう、とジジは珍しく、好意的に判断した。

 バラバラと走ってくる人の群れの中に、コーキー中尉の姿があった。


「コーキー! どうなってる!」

「俺にもさっぱりだ! スタンは?」


 二人は顔を見合わせる。


「中尉!」


 コーキーを見つけた警備隊員が駆け寄ってきて、二人の会話を中断させた。コーキーは手早く指示を下す。


「済まん。こっちが優先だ。スタンを見つけてきてくれ!」


 コーキーはそう言って歩き出した。その周辺に警備隊員が次々に集まってくる。その度、コーキーはうなずきながら指示を出していく。さながら、やり手の実業家のような光景だった。ジジはそれを確認せずに走り出す。

 今日の積み込み作業を行なう予定の空き地に出たが、スタンの姿はなかった。それどころか、兵員の姿もまばらだ。ジジは適当な兵士を捕まえた。


「スタ……デルタ少尉は来なかったか!」

「見ておりません!」


 互いにケンカを売るような怒鳴り声を交わす。周囲の喧騒が激しくなってきている。


「仕事もしないであいつは何を……」

「何があったのでありますか?」

「司令が賊に捕まった」


 兵士が絶句した隙を突いて、ジジは宿舎のほうへと駆け戻る。求められたって説明できるほど、まだ誰も状況をつかんでいない。



 時間の経過と共に、混乱は深まっていった。

 しかしそれは「何が起こっているのかわからない」と言った類のものではなく、「なんでこんなことをしているのか理解不能」なものだった。

 騒ぎの首謀者は宿舎の屋上に陣取っている。

 副指令はそれを苦々しく睨みつけた。


「そもそもどうやって逃げ出したのだ。看守は何をしていた」

「看守は全員治療中です。あの子供、見た目以上に腕が立つようです」

「生きているなら問題ない。すぐ行って状況を報告させろ」


 きつく言われて、伝令の兵士は身を縮めた。彼としては、わかっている状況を少しでも報告しようと思っての発言だったのである。それでも敬礼して、医療施設方面へと走っていく。


「責任者はもっとどっしり構えないとまずいですぜ」


 見かねたのか、ガモン大佐がそう言った。たまたま会議があったおかげで、宿舎の崩落に巻き込まれた将校はいない。副指令たちはもう一つの宿舎を盾にする位置に、仮設の本部を構えている。屋内に本部を置くのはためらわれた。まとめて生き埋めにされる危険が大きい。


「それで、なにか手はあるのか?」


 副指令が言う。突入専門の特殊部隊でもいれば話は簡単なのだが、あいにくそんな部隊は駐留していなかった。仮にいたとしても、人質を抱えた魔法テロリスト――そんなものが存在するなら――に対処できる訓練など、どの国でもやっていない。

 警備は通常以上の即応性を発揮して周辺の警戒、各施設の確認に動いている。ユハが騒ぎを起こすのは二度目だ。経験が能力を高めた好例だろう。いや、民間人の子供一人に大騒ぎしている時点で問題ではあるが。


「副指令」


 将校の一人が合流した。その後ろに、実験小隊の四人が従っている。


「来たか。……あれをどうにかできるか?」

「正直言って、私たちではどうにもならないかもしれません」


 サイモンが答える。副指令の顔にかすかに「絶望」の二文字が浮かぶ。


「どういうことだ?」

「単純な力の比較です。あれだけの大技を繰り出せる魔法使いは、総本山にも数人とおりません。タオ様が存命であれば……」

「言うな。……持久戦をしかけるか」


 正直、それも辛い。病身の司令の体力がどこまで持つのかわからないのだ。以前のように銃撃をしかけ、ユハの消耗を狙う作戦も、流れ弾の危険を考えるとうまくない。


「方法、わかる」


 突然、リリがそう言った。


「救出作戦があるのか?」

「違う。逃げる。どうやった。わかった。話、聞いたから」

「カンビア人か」


 リリの言葉に妙なアクセントがあることに、副指令は気付いた。生まれを指摘されて、リリはむすっとした顔でうなずく。カンビアは帝国に敵対する国家の一つだ。

 リリによる文法の頼りない説明と、魔法について詳しくない副指令の要領の得ない質問が何度か繰り返され、わかったのは次のようなことだった。

 ミスリル銀は魔法を減衰するだけなので、着用者はごく小さな魔力なら発揮することができる。また、効果は落ちるが、ミスリル銀にも魔法はかけられる。つまり、鍵穴を溶接でもしない限り、対魔法使い用の拘束具は完全には機能しないのである。

 いまさらそんなことを、と副指令は思ったが、実験小隊の面々は今まで拘束具のことなど知らなかったのだから仕方がない。魔法使いの拘束に薬物を使わなかったのは、完全に看守のミスだ。これに関して後の処罰はあったようだが、個人的には、幼い少女に投薬しなかった看守の良心を支持したい。


「それより問題は、」

「なぜ逃げないのか、ですよね」


 そう。出力に関してはユハが最強なのだから、拘束を解いた時点で強行突破を図ることもできたであろうし、それがもっとも生存確率の高い選択だったはずだ。


「リベンジマッチだったりして」

「大佐。ふざけている場合ではない」


 副指令が苦虫を噛み潰す。それに、雪辱を晴らす以前に「なぜ前回は低出力の魔法を乱発して力尽きたのか」という疑問も生まれる。


「魔法でどうにかならないのか? 正面切って突っ込む必要はないだろう?」


 士官の一人がそう言った。ガブリエルは痛切な表情で答える。


「魔法だって万能ではありませんから」

「貴様らは何しにここにいるのだ!」


 士官が怒鳴った。手が出せないことで苛立っている。しかしガブリエルも負けていなかった。


「そちらこそ何を勘違いしているのですか! 私たちはあなた方に魔法への対処法を教える為に来ているのです! 伝説の勇者が必要なら舞台をご覧になったらいかがですか? 色男が大勢おりますわよ」

「愚弄するか!」

「よさんか馬鹿者!」


 士官とガブリエルの口論を止めたのは、副指令ではなくオーマ中佐だった。


「貴様は外周の警備に回れ! 血の気が多いだけのバカは犯人を刺激する。ガブリエルさん、部下の非礼をお詫びする。……あなたの言う通り、我々はまだ、魔法に関して素人も同然です。あなたがたの協力無しには、無駄な犠牲者が出るでしょう。なにか考えがあったら教えていただきたい」

「こちらこそ、申し訳ありません」


 こういわれては、ガブリエルとて反抗的な態度は取りにくい。ものは言いようである。

 魔法使い四人が小声でやり取りを始める。軍人連中は邪魔をしなかった。口を挟もうにも、専門用語の意味を尋ねるだけに終始すると知っていたからである。「タオ様がいれば」と聞こえるたび、将校の士気がじわじわと削られていく。

 そんな時だった。


『聞こえる?』


 妙にお気楽な声が、とんでもない大きさで響いた。口調だけなら普通の話し言葉のそれなのだが、耳をふさいでちょうどよくなるほどの大音声のおかげで、現実味の薄い声に聞こえたのだ。確認するまでもなく、ユハの声だ。


『っととと、大きすぎた。……あ、ああ、あ。よし』


 声が少し小さくなった。と言っても、起床ラッパの五十倍はうるさい。


「魔法で声量を調節しているのか?」


 副指令が喉を叩きながら訊ねた。


「人体に直にかける魔法はありません。恐らく、声が生み出す空気の震動を増幅しているのだと……」

「過程はどうでもいい。魔法なのだな」

「そういう意味では、魔法の声です」


 ハンスは不満気味に答えた。結果だけを求めていては、いつまでたっても魔法を理解できないのだと言いたいのだが、状況を考えて控えた。


『要求は一つ。殺人犯を逮捕し、あたしを釈放すること。タイムリミットは日没まで』

「……は?」

『あたしは無実。でも、いきなり逃げたらあたしが犯人だって言っているようなものでしょ? だから犯人を見つけてから出て行こうと思って』


 意味が理解できた人間のほうが少なかったのではないだろうか。殺人の容疑者として囚われていた人間と、眼前の少女をつなぎ合わせることすらできない人間がほとんどだった。それでも、先日の捕り物に加わった警備隊員や、副指令をはじめとする将校は、ユハの言葉を理解した。

 この瞬間の彼ら全員の心理を、一行で表すことができる。

 ――あのガキ、バカじゃねえの?

 はっきり言おう。殺人一件よりも、軍施設の爆破のほうがよほど罪が重い。その上、司令官を人質にとっての篭城などやっているのだから、たとえ殺人が無罪であっても、先の不法侵入と加えて、未成年であることを考慮しても、禁固三百年は堅い。


「……話す?」


 リリが言った。


「こちらの声を向こうに届けられますけど、やりますか?」


 サイモンが詳しく言った。


「一般兵に聞かれないようにできるか?」

「位置を特定されますが?」

「構わない。それでまず、向こうにも大声で喚くのをやめさせる」


 リリがうなずき、指先を宙に泳がせながら呪文を唱えた。



 やっと来たわね、とユハは思った。即座に魔法を切り替え、空気の震動に指向性を与える。


『壁が邪魔で話しづらい。誰か中継に出て』

『撃たないだろうな』

『そっちこそ。盾にするものがない分、こっちが不利なのはわかってる?』


 その言葉が効いたわけではないだろうが、隣の宿舎――と言っても、二十メートル以上離れている――の脇に、浅黒い肌の女が現れた。女が手を振った。指を二本立てる。友好の印では、もちろんない。同調を促す合図だ。


「ユハ、と名乗っていたか?」


 普通の音量でそう聞こえた。あの女、そこそこにできるな、とユハは思った。魔法で難しいのは大出力を得ることではなく、正確な調整を行うことである。


「覚えてもらって光栄。そこに資料があったりしてね」


 驚く気配が伝わってきて、ユハは思わず笑いそうになった。逆に、自分の感情を声に乗せないように注意し直す。


「ここの副指令を努めている、ベルナー・ノックだ。そちらの要求は理解している」

「そう?」

「可能な限り希望は叶えよう。逃走の足が必要か?」

「わかってないわね」


 ユハは少し間を取った。


「無罪ってことにするから逃げていいよ、とか言われたいんじゃないの。どうせ追っ手をかけるつもりでしょ?」

「……」

「えーっとね、事件を調べてる人いたよね? その人は、あたしは無罪だろうって言ってたのに、今日になったらいきなり別の人が来て『処刑するから遺書を書け』だったのよ? これっておかしくない? 捜査方針の変更があったわけ? あんたの命令?」


 副指令を名乗った男は、長い沈黙を返してきた。


「そんな命令を出した覚えはない」

「嘘? このじーさんもそんなこと言ってたけど。じゃあ誰が、何の権利があって処刑命令を出してるわけ? あたしの命ってそんなに軽い?」

「信じてもらえないかもしれないが、嘘ではない。そもそも、まだ中間報告すら受け取っていないのだ。仮に結果が出ていたとしても、君の身柄は帝都に移送されることになっていた。ここには裁判所がない」

「信じられない」

「とにかく処刑命令は出ていない。一つの基地が勝手に判断を下すことも許されていない。……司令を解放して投降してくれないか?」

「あたしが殺されることはないのね?」

「帝国騎士の誇りにかけて」


 そんなものを大事にしていたから戦争に負けるのだ。思いはするが、国政よりも自分の命がユハは大事だ。迂闊に他人を信じてはならない。


「投降はできない」

「なぜ!」

「まだ要求があるから」


 ため息のような音が伝わってきた。


「……言って見ろ」

「スタンを呼んで。ちょっと思いついたことがあるの」

「わかった。手配する」


 一回目の交渉はそこで終わった。



 この後、スタンは意外な所から現われ、さらなる混乱を巻き起こすのではあるが、時系列に従っていては事件の全容を理解できなくなってしまうので、いくらか時間をさかのぼることにする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る