四章 入れない部屋 触れない凶器・中
オーマ中佐の証言が確かなら、犯行は八時三十二分。
なお、スタンとジジが副指令の部屋に入ったのが九時ちょっと過ぎ(こちらは正確な時間を把握していない)。ほぼ同時刻に、ユハが食料庫で発見されている。
信じる信じないは別として、ぎりぎりではあるが、殺してから鍵をかけることは可能だ。
だがその場合、上級士官宿舎から誰にも見つからずに脱出する必要が生じる。不可能とは言わないが、かなりの離れ業になる。物音を聞いたオーマ中佐を含め、あの時一階には数人の士官がいた。運良く彼らに気付かれず、なおかつ周辺の兵士の目を盗んで脱出するのは、不可能なのではないだろうか。ましてユハは食料を食い荒らしている。その時間も考慮すれば、彼女には不可能だったと判断するほうが現実的だ。
「ところで、合鍵はないの? あったらこんなこといくら考えても意味ないでしょ」
スタンはすぐに答えた。
「ある。あるけど、全部副指令が保管している。それでその副指令は、死体発見の一時間前まで部屋にいなかった。副指令の部屋の合鍵は司令室にだけ置いてある」
「犯人は司令室から副司令室の鍵を持ち出して副司令室に侵入し、合鍵を持ち出してタオの部屋に侵入して」
「それからまた副指令の部屋に入って……? できなくはないだろうけど、現実的じゃないよ」
「なんでよ?」
「司令はこの所病気で伏せっていて、部屋から一歩も出てこないらしい」
断言できないのは、スタンが元からの第三駐屯地の住人ではないからである。当然、まだ司令には会っていない。
「そんなのが司令官で大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないと思いますけど。皇族の血縁者なんだとか」
能力よりも血統が重視される。帝政の悪い面の一つだ。もっとも、第三駐屯地の司令官は重要度の低い役職――と言って問題があるのなら、結構暇な職場だ。
「とにかく指令は違います。魔法も使えないでしょうし、体力的にも、今はお箸を持つのが精一杯だそうですから」
「じゃあ副指令が犯人」
「それも絶対ありません。副指令が部屋を出ていたのは、僕らを待っていたからなんだ」
スタンは任官のあいさつに関してと、遅刻の理由をざっと説明した。
「門で僕らの到着を待ち構えていたんだ。その後はずっと一緒にいたから、副指令に犯行は不可能です。それに、タオが部屋に戻ったのは、副指令が部屋を出てからだと確認できています」
ちっ、とユハは舌打ちした。犯行がずっと前に行なわれていた可能性を指摘するつもりだったのだろう。
「それでも残りの士官には殺害のチャンスがあったわ」
「あってもやらないよ」
「なんで?」
上級士官宿舎に寝泊りしているのは、最低でも少佐からである。彼らは一様に、第三駐屯地の放棄と、帝都への物資移送計画を知っている。実験小隊を率いて前線に向かう予定であったタオを、わざわざ殺す必要がないのである。正直な所、タオ一行は時間稼ぎの意味合いが強い運用を予定されていた。もちろん機密事項なので、スタンは説明しなかった。
そんなわけで、スタンの説明は笑えるくらい極端だった。
「ほっときゃ死ぬ予定の人間だったから」
「…………」
ユハは唖然とし、妙にゆっくりな瞬きを繰り返した。
しばらくそうしていたが、やがてうつむいて目を閉じた。
とりあえず、スタンの言葉を信頼できるものと仮定して思考を開始したのだろう。半目で視線を壁に向けたまま、独り言のように呟く。
「本当に現場に出入りできなかったか確認するのが第一ね。立ち番がいるのは二階だけ?」
「そう。本当は二階にも誰も立たないはずなんですけど、今、司令が寝こんでいるから臨時でそうなっているらしいです。一階は素通りできます」
そこまで即答して、スタンは当夜の状況を思い浮かべた。一応、関連すると思える情報は調べてある。
「けど、隣の宿舎、あ、僕らが寝てる場所なんだけど、そっちの出入り口で立ち話をしていた士官がいたんだ。上級士官宿舎の入り口も、そこからよく見える」
「そっちは完璧なの?」
「どうかな。僕らが出入りしたのは見ていたよ。少なくとも人間サイズのものを見落とすほど目は悪くないと判断していいんじゃないかな」
スタンはそこで笑った。
だが、心中は曇っていた。
考えるほど、事件の奇妙さが目立ってくる。
本来、魔法が使えれば現場に入る必要はない。
だが、凶器は魔法では動かせない。
細剣がタオに刺さっている場面は何人もが目撃しているので、別の方法で殺害された可能性はあり得ない。凶器はあの《神剣》以外にないのだ。
タオが犯人を目前にして、机に向かっていたのもおかしい。
犯人が顔見知りだとすれば不自然ではないが、それなら外部犯の仕業に見せかけるはずだ。間違っても、密室など作らない。逃走経路がなくなってしまっては、必然的に、捜査の目はトリックに向かう。偽装工作がばれる危険性が増す。
無理を承知で、犯人は「魔法が使える外部の人間で、手ごろな武器をもっていなかった」と仮定してみる。だったら魔法で殺せば良い、となってしまう。
それにどちらの場合でも、犯人は合鍵を使えなかったのだから、タオの部屋に鍵をかけるため、廊下で三十分も魔法に集中していなくてはならない。
プロの泥棒がそうするように、「鍵が作動する音」を聞く必要があるからである。さらに、その作業に必要な魔法の能力を持っていて、かつ現場にいた人物はただ一人、殺されたタオだけなのだ。
「魔法が使えるのを隠している関係者、いないの?」
そう問われて、スタンはシェーンを思い出した。
元マリチ教総本山の僧兵頭。魔法が使えても不思議ではない。加えて、立場的にもタオと近かった。疑うには十分かもしれない。
「……見つけていたらとっくに尋問しているよ」
「自殺じゃないの? そっちで報告書作ってあたしを解放してくれるなら大歓迎」
「残念だけど自殺はできない。自分の背中に剣を刺せる人間はいないよ」
もちろん、魔法抜きで、である。なんからの仕掛けがあれば不可能とは言わないが、現場からそれらしいものは見つかっていない。床の隙間に剣を立てれば可能だが、死体の姿勢はそれと矛盾する。《神剣》は何の支えもなく、タオの体に突き刺さっていたのだから。
「不可能犯罪。立証不能。で、容疑者は不起訴」
「それができたら楽なんだよね」
「できるでしょ? 帝国法じゃ『疑わしきはシロ』だもの」
「軍には体面があるの。犯人を捕まえて処罰しないと沽券に関わる」
「くだらない」
ユハは呟いた。言葉に反して、顔はそれほどつまらなそうでもなかった。
「魔法がありと仮定して……ううん。どこかに必ず魔法が使われてるとして」
「どうしてです?」
「そうじゃないなら、あたしが考える必要ないもの。普通の方法で殺したのなら、普通の人が考えるのが一番早く正解にたどり着くっしょ?」
なるほど。犯人の置かれた状況、心理を把握できたほうが良い、と言いたいのだろう。なかなかに合理的な判断だ。
「で、魔法が使われていたなら、犯人は実験小隊の誰か。あるいは複数犯。どう?」
「続けてください」
「動機はこの際考えないでおく。あんたも色々調べてはいるんでしょうけど、伝聞ってあてにならないからあたしには言わないでね」
スタンはうなずいた。実は、まだ表面的な情報しか持っていなかったので、動機の面から追及すると言い出されたら困ってしまっただろう。
「……四人掛かりだったら、魔法の効果も大きくできるのですか?」
「できる、かな? あたしは試したことないけど、干渉防止の式を抜いてしまえば、他人の魔法の影響を受けるようになるから、効果を重ねられるはずだわ」
さらっと言われたせいか、スタンは今ひとつ飲み込めない様子。
「あ。魔法式には、他人の魔法の影響を受けなくする為の部分が最初から組み込まれているのね。だから、本来は同じ物体を対象にして、二つ以上の魔法をかけることができなくなっているってワケ」
「かち合ったらどうなるんですか?」
「大量の魔力を使ったほうが勝つわ。この場合、結果は引き算にならない。勝ったほうの放った魔法が一方的に効果を現すようになってる」
「強い魔法使いが勝つんですね?」
「そうじゃないって」
覚えが悪い生徒に対するように、ユハはちょっとだけ眉を吊り上げた。
「魔法使いの力量じゃなくて、その魔法にどれだけの力を使ったか、で決まるの」
魔力の保有量は、必ずしも魔法の威力とは一致しない。中程度の魔法を連発できる魔法使いと、強大な魔法が一回だけ使える魔法使いがぶつかった場合、勝つのは一発屋だ。もちろん、その一回を外してしまえば、その限りではない。つまるところセンスの問題。
「ただ、一般的には式がおかしくなるから暴発して終わりじゃないかな。御者が二人いる馬車みたいなもんよ。……話がそれちゃったね。んで、今回の場合は、と」
ユハは鍵を手に取った。
「協力して鍵開け――鍵閉めだっけ? やることはいっしょだけど――をしたら、作業速度を上げられるかどうか、よね?」
「そうですね。仮に五分で閉められるとしたら、実験小隊の犯行は時間的に十分可能です」
ユハは鍵穴をじっくりとのぞき込んだ。片目を閉じて、望遠鏡に夢中になる子供のようなかわいらしさがあった。
「……四人で、部品ごとに役割分担したら……。三分でいけそう」
「本当ですか?」
「うん」
鍵を下ろして瞬きを三回。
「四人とも鍵開けが得意で、しかもお互いの魔法がかち合わないように調整していたら。もちろん、その場合は事前に鍵のつくりがわかってないとダメよ」
スタンはがっくりと肩を落とした。
散々講釈しといてその結論かよ――とは、思っても言わない。
「だから魔法を使う以前に必要な知識って結構あるんだってば」
「……魔法って、不便ですね」
「最初からそう言ってるのに」
仮にも神職に携わる人間が、盗賊まがいの特技を持っているとは考えにくい。一人くらいならいるかもしれないが、それが四人、そろって同じ場所に集う――おまけに共通の恨みを持つ相手がいる――などとは、どんな優秀な劇作家でも理由付けが不可能だろう。
「実験小隊共犯説は捨てたほうがよさそうですね。犯行後、四人で移動するのも怪しさ爆発ですし……」
そもそも、誰もそんな姿は見ていない。
「じゃ、単独犯の?」
「考えがあるならどうぞ」
そう答えたスタンだが、期待は全くしていなかった。
「その場合やっぱり、忍び込んでぶっ刺して走って逃げるしかないわよね」
「にこやかに言われても……」
スタンは頭を抱える。
振り出しに戻る、と、頭のどこかに書き込まれたような気分だった。
「と言うか、関係者全員順番に呼び出してねちねち締め上げるのが一番早いんじゃないの?」
「尋問ですか? 指揮官の許可がないとできないんですよ」
「今、あたしが受けているこれはなんなのよ?」
ユハが頬を膨らませる。
言うまでもないことだが、ユハは最有力容疑者なのでこういう扱いを受けている。雰囲気は尋問には程遠いが。これがスタン以外の人間、根っからの職業軍人によるものであったなら、まるで違ったものになっていただろう。軍の尋問からは人権という言葉が抜け落ちている。スタンがユハを真犯人だと思っていたら、今ごろユハは薬で錯乱していたかもしれないのだ。
そんなことは口に出すことではない。
だから、スタンはこう言った。
「食後の雑談」
ユハはけらけら笑った。信用は勝ち得た、とスタンは思った。信用だけ、かも知れないが。
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