四章 入れない部屋 触れない凶器・前

 独房に入ってすぐ、スタンは殺気を感じた。

 確認するまでもなく、目の前の少女が放っている。

 裏切り者。

 言葉は一つもなかったのに、そう言われていると感じた。


「……」

「どうしたの? 何かあった? 看守に虐待されたとか、嫌がらせを受けたとか」


 ユハはぶんぶんと首を振る。しかし、視点は動かさなかった。

 スタンはわずかに下がった。

 隙を見せたらやられる、と遅れ馳せながら気付く。ドアの鍵は開いている。密室での取り調べは、虚偽の自白を促す恐れがあるので禁止されている。脱獄には絶好の状況だ。


「……ご飯」

「は?」

「ご飯は?」


 言葉の意味は理解できるのだが、ユハが何を言おうとしているのか、全く理解できなかった。

 思考が鈍っている? のではないはずだ。状況に見合った言葉ではない。


「………あのさ、僕は食事係じゃないんだけど?」

「面白いこと教えてあげようか?」


 ユハは精一杯の凄みを込めてそう言った。

 スタンは本能的に、ここで引いてはいけない、と察した。


「僕も君に聞きたいことがあったんだ」

「ミスリルってね、魔法を「減衰」するしか能がないのよ。本質的な魔封じにはならないの。魔法がまったく使えないわけじゃない」

「それで?」

「朝も昼も無視されたんだから、晩ご飯くらいは食べさせてよね」


 スタンは笑った。なんだ、そう言うことか。

 その笑みがユハをますますいらつかせたようで、ユハは凄みを込めてこう言った。


「その胸ポケットの中身を動かすくらいは、今のあたしでも十分できる」

「弾は入ってないよ」


 かちん。

 何の前触れも無く、スタンの胸で金属音がした。やるとは思っていなかった。


「殺人未遂」


 スタンはどうにか笑顔を維持することに成功した。ゆっくりとポケットに手を入れ、中身を取り出す。

 ドアノブだった。確かに弾丸は入らない。今度はユハが当惑する番だった。突飛さにかけてはスタンも負けていない。


「……何よそれ?」

「証拠物件そのいち」


 よく見れば、ドアノブには錠の部分が丸ごと、ドアに埋めこまれているはずの部分までくっついていた。スタンは続けて鍵を取り出す。殺害現場にあったものだ。こびりついた血もそのままにしてある。証拠とは「それがそこにあった」だけでは意味がない。「どんな状況で、どのような状態にあったか」が重要になる。


「ドアごと持ち歩くのは大変なんで」


 さすがにこれにはユハも呆れた。張り詰めていた緊張感がぐずぐずに溶けた。


「バカ?」

「自分でもそう思うんだけどさ、上級士官の部屋でばたばたやってると小言言われるんだよね。だったら持ち歩いたほうが早いでしょう」


 ユハはつられて笑いかけ、慌てて表情を引き締めた。


「聞きたいことがあるって言ったわよね? ご飯食べさせるまでは何も言わないんだからねっ」

「あっそう」


 なんとなく、主導権を渡したくなくてスタンはそう答えた。

 ユハはスタンをじっと睨んだ。スタン笑顔は変わらない。

 睨みが注視に変わり、注視が観察に変わり、観察がただの「見る」に変わる。そしてユハは視線をそらした。平行して、表情が厳しいものから、次第に苦しいものへと変化していた。


「……降参。おねがいなんか食わせて」

「女の子なんだからそういう言葉は……。ちょっと待ってて」


 スタンが出て行く。ドアは開いたままだったが、ユハは逃げなかった。あの男は信用しても良い。そんな気にさせられていた。

 スタンは五分ほどで戻ってきた。そんなに早く料理ができるはずはないから、看守か誰かの分を取ってきたのだろう。

 ユハはスタンが置いていったドアの錠を見ていた。ユハはまず、チェーンを金具から外した。チェーンの先にはバネをしこんだ部品がついていて、受け側に押し込んだ後、溝に沿ってスライドさせる機構になっていた。チェーンが溝の奥に達すると、ゆるいロックがかかる仕組みだ。力任せに引き抜けないこともなさそうだが、ドアが壊れてもこの部分が無事に残ったところを見ると、案外丈夫なのだろう。

 肝心の錠の内部は、独房が薄暗いせいでよく見えなかった。


「……めずらしい。両側に鍵穴がついている。別々の鍵?」

「鍵は一本で両側に対応。……それね、緊急用なんだって」


 スタンの説明によると、帝国軍は士官を独房に入れない慣習なのだそうだ。では、彼らを拘束しなければならない状況が発生した場合はどうするかと言うと、


「居室にそのまま監禁される」

「軍人も大変ね」


 大変なのは自分の命だ、とユハは思い出す。


「殺す気なんでしょ?」

「誰を?」

「あたしに決まってるじゃない。自白なんか取れなくても、書類上あたしを犯人にしてケリつけるのが早道じゃない」

「……ああ」


 その案は頭の隅にあったが、検討の対象外だった。


「君じゃないと思うんだけどねえ」

「どうして?」


 ユハは逆に問うた。スタンは一度せきをしてから、話し始める。


「帝国に限った話じゃないけど、魔法が使えるというのはそれだけで特権的な能力だよ。僕だって、ここにきて初めて魔法使いを見た。一般に素養のある人間は少なくないかもしれないけど、ちゃんと扱える人間はどんな国でも大事にするはずだ。こんなちゃちな暗殺任務になんかつかせない」


 ちゃちな、とスタンは言うが、それは内部から見ての判断である。敵国の諜報機関が、実験部隊を過大評価していたとしたら、やはり、魔法が使える人間を送り込んできただろう。しかし、全体の戦況を分析すれば、「そんなことをしなくても帝国の崩壊は時間の問題」なのも確かなのだ。


「それに君は若い」

「ちびで悪かったわね」

「将来性があるってこと。使い捨てにするには惜しいでしょ?」

「……客観的な判断として、ってことね」

「うんまあ」


 多少は社交辞令でも言えよ、とユハは思う。

 違う。それは重要な問題ではない。


「そうするとさあ。あたしが無実だとわかればいいのよね」

「そうとも言えないかな。処刑命令が出るとしたら多分、君が言う通り、誰でもいいから怪しいのを始末して事件にけりをつけるしかないときだろう。残念だけど、そうなるまであんまり時間はないかもしれない。スパイの噂とか撤収の準備でこの基地ごたごたしていたらしいから。殺人事件なんて余計なものに、真面目に取り組まないだろうね」

「サイッテー」

「軍隊だからね」

「じゃあさあ、あたしが事件を解決したら?」

「え?」

「さすがにそれなら殺されないでしょ? むしろ金一封?」


 どうかな、とスタンは思った。首を突っ込むほどに、口封じされる危険性は高まるかもしれない。

 まあいいか、とスタンは思った。どうせ自分の命じゃないし、判断を放棄してしまおう。


「じゃあ、君の意見を聞こうかな。まずはそのドアなんだけど、鍵を使わずに開け閉めできる?」


 ユハはドアの残骸(?)を見た。


「……十五分かな」

「できるの?」

「道具があれば」


 ユハのなくした鞄には、それ用の道具がひと揃え入っていたのだ。


「そうじゃなくて、魔法で開けられるかどうかなんだけど」

「それなら……三十分弱かな?」


 どうして時間が増えるのか、スタンは疑問に思った。ユハはその疑問が発生するのを予想していたようで、人差し指を立てた。


「説明しまっす。まず、《鍵開け》の魔法は存在しません」

「ウソ?」

「嘘ついてどうするのよ。あ、今、開けられるって言ったばっかりだもんね。ちょっと常識的に考えてみて。魔法があるのはみんな知ってる。もちろん、お金持ちも鍵屋も知っている。でも、世間一般の金庫はミスリル銀でできていない。なぜ?」

「ミスリルが希少だから」

「中身より高い財布はないけど、中身より安い金庫もないわよ」


 どんな法則だ、と思ったが、意外に説得力のある言葉にも聞こえた。


「魔法を使える泥棒がいないからかな?」

「いないわけじゃないけど、少ないのは確かね。他には?」


 スタンは十秒考えて諦めた。


「教えて」

「魔法の本質的な問題よ。……『魔法は結果だけをこの世に現すものではない』。たとえば、物体を凍結させるには熱を奪う必要があるってこと。水が元々持っている熱量をそのままに氷の状態に変えることはできない」

「鍵を開ける為には「鍵が開いた状態」を作るのではなく、錠の内部の機構を、本物の鍵がそうするように動かす必要がある?」


 ユハはにっこり微笑んだ。


「飲み込み早いね。この鍵は結構複雑だから、プロの泥棒でも初見だったら十五分はかかると思うのね。慣れた道具でそれ。魔法で同じことをする為には、鍵開けの技能を持っているほかに、魔法にも集中しないといけない。だから余計難しい。この一連の手順を《鍵開け》の魔法と呼びたければ呼んでもいいんだけど、あたし的には《ボトルシップ作成補助魔法》だとしか思えないわね」


 鍵の種類ごとに手順が変わるのだから、一つの動作として固定できない。だから《鍵開けの魔法》として完成した呪文は作成できない。ユハの説明を要約するとそうなる。


「逆説的には、特定の種類の鍵専用の《鍵開け》魔法は作れるってことよ。でもそんな、事前に種類がわかっている鍵なんて自分の家にしかないわよ? だったら合鍵一本作ればいいだけでしょ? 魔法って全般的に、他の手段で代用したほうが簡単なのよ。

 じゃあなんで、各国の軍隊はこぞって魔法を使い始めたか。

 それはね、エネルギーの問題を解決できるから。投石器を用意しなくても岩を遠くに飛ばせる。火矢を射込まず、敵陣に直接火をつけられる。無手で潜入し、破壊工作ができる。そんなところじゃないかな」


 話がそれたな、と思ったのだろう。ユハは一度息を整えた。


「……あたしだったら建物ごと崩すわね。士官宿舎って敷地の真ん中にあるごっつい石造りの建物でしょ? 圧殺するのが断然早い」


 にこやかにそんなことを言う少女に、スタンは恐怖を感じなかった。

 その逆だ。やはりこの子は犯人ではない、と確信した。

 笑いながらこんな話をできるのは「実戦」の空気を知らない人間――命の重さを学習していない人間だけだ。言うなれば甘ちゃん。知識はともかく、それ以外の部分は見た目通りの子供なのだろう。そうでなければ何もかも超越した人間だ。もっとも、そうなるには百年あっても足りないだろう。


「それで、鍵がしめられるとどうなの?」

「ちょっと待って……」


 自分でも情報を整理する必要があると感じて、スタンはわかっていることをユハに伝えた。

 凶器には魔法が通用しない魔法がかかっていたこと。

 その一方、部屋の鍵は魔法でも使わないとかけられない状態であったこと。

 不審者はユハしか発見されていないこと。

 現場から逃走する不審者を誰も見ていないこと。――これが矛盾の要因だが、犯行時間がどのくらいあったかで説明可能だろう。


「だから鍵か……。ね、死んだ時間ってわからないの? そこからあたしが発見されるまで、三十分以内ならあたしは無罪ってことにならないかな?」

「その計算自体が容疑者から出てきたものだとさ、信じては貰えないんじゃないかな」

「とりあえず聞かせて。わかってるんでしょ?」


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