三章 神剣、祝福、不可能犯罪?・後

「問題は」


 そう言っておきながら、スタンは言葉をつながなかった。トレイの軽量化――より正確に言うならトレイの上にある食物の消費に専念している。朝飯だ。一昼夜明けたが、捜査はほとんど進展していない。

 三十秒たった。

 ジジは反応を見せない。ひたすらマイペースにフォークを動かしている。

 仕方がないので、スタンは仕切り直しをはかる。


「問題はっ!」

「魔法を使えば外部から誰にも気付かれずに殺せるものの、凶器は魔法以外で動かさなければならなかったこと。つまり、犯人は現場に入っていると考えられる。しかし現場には鍵がかかっていた。よって、現場に侵入するのは不可能。結論、これは不可能犯罪であるように見える」

「……わかってるんなら」

「二人とも理解していることを確認する必要がある?」

「ある」


 無いような気もしたが、あることにしないと話が進まない。


「ところで不可能犯罪に『見える』ってことは、ジジはそうじゃないと考えているワケだ」

「不可能犯罪は実行不能だから不可能犯罪だ。事実としてタオが死んでいる以上、殺害は可能だったと考えるしかない」

「ようするに、見落としがある?」


 ジジはうなずいた。だったら最初から簡単に言ってくれれば楽なのに、とスタンは思う。


「……とりあえず、凶器の特定はできているよね。死体の傷とも一致するし、二回刺したようなような痕跡も無かった」


 そして、凶器を魔法で操るのは不可能。となると考えられるのは、


「犯人は現場に入っている。いや、入らなければ実行不可能。どうにかして入る方法を考える必要がある」


 ジジが先ほどと同じことを、見方を変えて表現した。推理の基本「犯人の立場に立つ」。


「鍵よ」

「鍵には何のしかけも無かった。《祝福》もかかっていなかったのだから、魔法で鍵を操って内側からロックするのは簡単だね。ドアチェーンも同じ理屈で問題にならない」


 スタンはつぶやくように言った。しかし、即座に自分の意見への反論を思いつく。


「でも、鍵についていたプレートの裏側はきれいだった。表には血飛沫がついていた。つまり殺害前から鍵はあそこにあった」


 これは、犯人が殺害後に魔法を使って鍵を動かしたとする説明と矛盾する。


「魔法なら鍵などいらないのではなかろうか? 錠を直接動かせば、あるいは別の……」


 ジジがそう言った。珍しくも疑問形である。自分たちが魔法に関して無知であることを、自覚しつつあるのかもしれない。


「誰かに確認させよう」

「そうだな」


    †


 しかし、日中はほとんど何もできなかった。

 一応の進展はと言えば、殺害時刻がはっきりしたことが挙げられる。

 タオの隣室の住人、オーマ中佐を捕まえることができ、物音を聞いた時刻の確認が取れたのだ。


「八時三十二分」

「間違いなく? 寝ぼけていたりはしてないですか?」


 スタンが念を押すと、オーマは肩をさすりながら顔をしかめた。


「上官に対してよくそういう態度が取れるもんだ。別にいいけどな。俺もさあ、ケガで前線離れてからそう時期が開いているわけじゃないんだよ。何かあったら飛び起きる。状況と時間を確認する。作戦に支障が出るかどうか、即座に判断する。そういう習性がしみついてんのよ。ついでに時計はきっちり合わせておく。指揮官が遅刻したら示しがつかない」

「はああ」

「じゃなくても。八時半に寝てたら仕事が片付かない」


 もっともだった。階級とは責任の現われであると同時に、割り振られる書類の量の目安でもある。


「一応廊下に顔も出したけどな、誰もいなかったし、すぐ仕事に戻った」

「その後に犯人が逃げた可能性は……」

「悔しいが、ある。でも無理じゃないのか? あの後すぐだろ? 例の侵入者騒ぎ。不審者がいたら一発だぜ」


 その通りだった。期待していた外部犯につながる目撃証言は出ていない。

 スタンは礼だけ言って、オーマの部屋を辞した。


    †


 夕方になって、葬式が始まった。

 魂が天の入口を目指すにあたって、同じく光を放つ太陽のまぶしさにくらまないように、死者が迷わず登っていけるように、葬式は夕方に始めるという風習が帝国にはある。夜間に行わないのは、社会的な都合である。夜中に出歩くのは誰だって嫌だ。余談だが、この方式は宗派を問わず浸透している。

 第三駐屯地で魔法が使える人間は、死んだタオを含めてもわずかに五名。残る四人はもちろん実験小隊の面々で、上官の葬儀に参列していた。

 犯人を探すと言う大義名分がスタンたちにはあった。しかし、被害者の家族(のようなもの)に、葬式よりも捜査を優先しろ、と命令するだけの権限も冷徹さも持ち合わせていなかったから、その場では何も聞かないことにした。

 練武場の中央に櫓が組まれ、黒い布に包まれた棺桶が乗せられた。

 実験小隊のメンバーはマリチ教式の葬儀を望んだが、それは叶わなかった。用意が無かったこともあるが、隊員それぞれの信仰を考慮していては、作戦会議よりも、葬式の段取りで軍は手いっぱいになってしまうだろう。兵士は死を前提に働いている。残酷で不自然な職場だ。

 棺桶が炎に包まれた。

 ガブリエルが目を閉じて歌い始めた。実験小隊の残りの三人が唱和する。

 本来は軍歌で送る場面であるが、仕切っていた兵士は何も言わなかった。

 公用語とは微妙に異なった発音。所々に、今は使われていない古い言葉が混じっていた。

 スタンは少し離れて、それを見ていた。

 正確には、実験小隊のメンバーの様子を見ていた。葬儀の輪の隅に、シェーンが加わっているのを見つけた。彼が一番やり切れなそうな顔をしている。

 ジジが小声で告げる。


「彼らは、タオと同じマリチ教の信者だが、出身は必ずしも一致しない」

「どこからの情報?」

「履歴書」


 ジジはあっさり答えた。軽く曲げた人差し指で、実験小隊を指差す。


「タオは総本山の出身。あのうるさい中年が京北教会。その隣も京北のリリ・シャン。残りの二人は総本山だが、一人は準神官、もう一人は僧兵。それぞれ名前は、サイモン・ヨーンとハンス・ガーフィールド」

「出身教会が男女別だね」


 ほとんど意味のない答えに、ジジはうなずいた。


「元来、マリチ教は女人禁制だったそうだ。現在それを守っているのは総本山だけだとか」

「それも履歴書に?」

「バカかお前は」


 その声が少し大きかったので、周囲にいた兵士の何人かが振り向いた。スタンはぎこちない愛想笑いをばら撒いてごまかす。


「今朝、あれに聞いたのだ」

「あれ?」

「シェーン・ケイジ」


 スタンはシェーンを見た。その顔からは、何の感情を読み取れなかった。


「私見だが、奴は怪しい。孤児院の出身だと言ったのは嘘ではないようだが。軍人になる直前は何をやっていたと思う?」

「知っているなら教えて」

「マリチ教総本山の、僧兵頭だ。あの歳で勤まる仕事とも思えないが、事実だ。職務は神官の身辺警護。タオとは旧知だったはずだ。なのにあの落ちつき。知人が死んだ後とは思えん」

「意識して事務的になっているだけじゃないのかな?」

「それだけともな……」

「退職の理由は?」


 ジジは一瞬、呆れたような目をした。多分、履歴書を読めばわかることなのだろう。一身上の都合とか何とか。


「そこまでは書いていない。が、将来安泰な仕事を捨てて、負けるとわかっている軍隊に志願するか? 志願は三年前だ」

「相当な理由があった」

「かも知れない。何か問題を起こしていると、私は踏んでいる」


 黒煙が空を目指す。

 夕日よりもなお明るい炎が、シェーンの瞳に照り返していた。



 葬式の見学を途中で切り上げて、スタンたちは上官の元へと向かった。

 輸送物資の検査に立ち会うためである。

 元々スタンたちは、このために第三駐屯地にやってきたのだ。

 集められた人員のほとんどは、具体的な輸送先や戦略を知らされていない。

 帝都に物資を集める、と言うことはつまり、首脳部は徹底抗戦の構えであり、前線を放棄する、と言うことでもある。そんなことを知らせてしまったら、現状の防衛戦すら崩壊するのは目に見えていた。

 戦争って残酷だな、とスタンは他人ごとのように思った。


「サボっているとどやすぞ」


 背後から声をかけられて、スタンは心底驚いた。ぼーっとしていたのは確かだが、他人の不用意な接近に気付けないほど弛緩してはいなかったつもりだ。

 スタンは拳を握りながら振り向き、その姿を認めて、警戒を解いた。


「なんだコーキーさん。驚かさないで下さいよ」

「中尉と呼べ。全くお前は……」


 その後に続く決まり文句を、コーキーは奥歯ですり潰した。言って通じる相手ではないと、長年の付き合いでわかっている。


「大方の話は聞いたがな、そんなことより大事なことがあるだろう。ん?」

「そりゃまあ、わかります」


 スタンはちらりと、作業の続く集積場を眺めた。大量の木箱には殴り書きされた略号が並び、知らない者には中身が何であるかわからない。積んでいる当人が知らないはずはないのに、とスタンは苦笑した。オイル缶の上に、大砲用の火薬が乗っていたのだ。


「コ……中尉、あそこ」

「ん? ああ、何やってんだか。おい! 適当に積むなと言っただろう!」


 怒鳴られた兵士が直立して「申し訳ありません!」と怒鳴った。それから木箱のチェックを始める。軍人は上官への返答を最優先する生き物である。

 配置手順に関してちょっとした確認と混乱があった。命令書の一部に矛盾する指示が入っていたようだ。コーキーは一度そちらに行き、適当な指示を出し直した。


「予定通り出せるかどうか怪しいもんだ」

「それをどうにかするのが仕事ですよ」


 スタンの正論にコーキーは喉を鳴らした。


「お前の言うとおり。だから、人殺しの一人や二人放っておけ」

「……さらっと言いますね」

「俺は無関係だからな」


 コーキーはもみあげとつながったひげをいじくりながら続けた。


「お前はどうしてそんなに気にする? 容疑者もいるんだから、面倒な真似してないで適当な報告上げちまえよ」


 その通りなのだ。スタンもコーキーも、数日のうちには第三駐屯地を離れる。スパイがいようが人殺しがいようが関係ないのだ。

 この時点でスタンが気にしていたことが、二つある。

 正確には、二人いる。

 一人は目下、最有力容疑者として囚われている少女、ユハ。彼女を犯人とする報告書をあげてしまうのが、事件の最も早い――そして、望まれている決着であることは、指示されなくても理解できる。

 ちょっと忍びないな、と思うだけで、やろうと思えばその報告書は今日中に提出可能だ。しかしその一方、「あの子ではない」という根拠のない感触を、スタンは持っていた。

 もう一人は、犯人である。

 ユハが犯人ではないと仮定しての話だが。

 不可能犯罪に思える状況を作り出した頭脳の持ち主が、この基地にいる可能性は高い。

 ジジが指摘した凶器の問題――暗殺者なら自前の道具を持っている――を、スタンは別方向から捉えていた。

 犯人は初めから『神剣』を使うつもりだったのではないだろうか。

 凶器から犯人をたどれなくする方法は二つある。極めて入手経路のわかりにくい道具を選ぶのが一つ。しかしこの場合は絶対ではない。「たどられにくい」は、逆に言えば「たどれる」だ。時間と人員を投入すれば、見つけられない凶器などない。二つ目は現地調達である。こちらの場合、元々その場にあったものなのだから、凶器から足がつくことはあり得ない。

 それを見越しての犯行だとしたら……


「犯人は、あそこに剣が合ったと知っていなければならない……」


 それは、内部の人間の犯行を意味する。もちろん偶然の可能性も否定できない。衝動的な殺人を偽装した結果かもしれないが、それらをいったんすべて捨てる。

 外部犯が素手で入り込んだ、と考えてみる。

 素手で仕事を行なう暗殺者もいないわけではないのだ。しかし、その場合は根本的に武器が要らなくなる。

 犯人には武器が必要だったのだ。

 間違いない。

 それが《神剣》でなければならなかったのか、その場にある武器なら何でも良かったのか、までの判断は今はできない。

 もしかしたら、手持ちの武器を落としてしまった等の、つまらない理由かもしれない。

 それでも、そこが考える突破口ではないかと、スタンは思った。

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