三章 神剣、祝福、不可能犯罪?・前

 三人は上級士官用の宿舎を出て、隣の建物に移動した。シェーンの説明によると、ここは元々来客用の建物だったのだが、同様の機能を持つ新しい建物ができたおかげで、単なる物置に利用されるようになったらしい。そう言われて見ると、なんとなく芸の細かい作り――柱に模様が刻んであったり、入り口の上に帝国の印が浮き彫りになっている――が目に付いた。言われなければわからない程度のささやかな趣向ではあるが、実用一点張りの建物ばかりではない、ということか。実用に徹していないから物置にされたのだと、うがった見方もできなくはない。

 タオの遺体は一番奥の部屋に安置してあった。生前の居室と奇妙な一致を見たが、故人の趣味ではない。ここが一番冷える部屋なのだろう。季節も幸いして、遺体の臭いはそれほど気にならない。遺体の搬入作業にはシェーンも加わっていたそうで、線香を用意するのを誰もが忘れていたと言った。


「午後には焼きますから、調べるなら今のうちに徹底的に、だそうです」

「誰が?」

「副司令ですよ」

「へえ? 副司令が犯人だったりして」

「冗談でもよしてください」


 シェーンは生真面目に答えた。

 スタンとて真面目な意見でないことは重々承知している。

 遺体を焼くのは証拠隠滅のためではない。疫病防止のためである。

 人体というものは、思っているより多くの病原菌を抱えている。ただ歩きまわるだけでも、地面や空気から細菌がくっついてしまうのだ。生きている間は生体の活動がそれらを抑止しているが、死んでしまった人間の体は、病原菌から見れば格好の繁殖地だ。場合によっては鉄砲玉より一つの死体の方が、多大な被害をもたらすのだ。疫病の発生が理由で終戦に至った事例も、過去には少なくなかった。かつてそれらは「死者の呪い」や「死神の招き」と呼ばれていたが、医学と細菌に関する研究がある程度進んだ段階で、まっとうな自然現象と認知されるようになった。国際法にも「兵士の死体を野ざらしにしないように」と明記されている。そんな法律を作る前に戦争をやめるべきなのも確かなのだが、スタンたちのような下士官がどうにかできる問題ではない。だからスタンは考えなかった。

 重要なのは、どのような意志が働いた結果、彼が死体になったのか、である。

 つまり、「誰が、どうやって」――彼を殺したのか。

 死体の側には細かな飾りを彫り込まれた細剣が、鞘もなしに床においてあった。血はぬぐわれていたが、模様の隙間にわずかながら赤黒いしみが残っている。スタンはそれを取って、顔の前に立てた。

 剣先が潰れている。やはり、壁に残っていた跡はこれでつけられたものと見て間違いない。


「あ。それ、マリチ教の神剣ですね。神官は一人一本持ってます」

「神剣?」


 これまた妙なものが出てきた。

 顔に出てしまったのだろう、スタンを見て、シェーンは苦笑いを浮かべていた。


「……要するに儀礼用の剣です。祭事の際の着用が義務付けられています。正神官任命と同時に、司教様から下賜されるんだったかな……。あ、身分証を兼ねています」


 シェーンの言う通り、神剣には刃がついていなかった。しかし、切っ先は十分に鋭い。いや、鋭かったのだろうと想像できた。少なめに見積もっても、焼き鳥の串と同程度の貫通力はあるだろう。事実、タオはこれで刺し殺されたのだ。


「妙だな」


 ジジがぽつりと言った。男二人が自分のほうを向くのを待って、ジジは続けた。


「暗殺者がろくすっぽ切れない道具を手に取るかな? 自分の愛用品を用意してくるのが一般的だ。この剣を手に取るのは、どちらかと言うとタオの方だと考えるのが自然よ」


 スタンはうなずきながら死体を見た。


「しかし抵抗の後はなかった。部屋にも。死体にも、ない」


 ジジがそう言った。

 あり得ない?

 根本的で素朴な疑問に、スタンはぶち当たった。


「自殺はあり得ないかな」

「何故?」

「そのさあ。タオ様? ってなんか呼びづらいなぁ。……タオ少佐、二階級特進だから大佐? ……ちがうな。まだ任官してないし」

「まだ一般人だ。タオで十分」ジジが断言する。「それより、自殺だと考える根拠は?」

「それそれ。タオは魔法が使えたんだよね?」


 呼び方に関する問題をあっさり片付け、スタンはシェーンを見た。返事は聞くまでもない。魔法が使えない神官など、料理の下手な料理人以下の存在だ。


「ということは……現場に鍵がかかっていたのも、その場にあった武器を使ったのも、タオ自殺説なら何の問題もない。侵入者騒ぎはただの偶然?」

「その偶然が納得できないね」

「ちょっといいですか?」


 シェーンが割り込んだ。その表情は、少し厳しい。どこか焦った様子もあった。


「これ、うろ覚えなんですけど、神剣には魔法をかけられないはずです」


 スタンは持ったままだった剣を振りまわした。ずっしり重い。


「この剣、ミスリル銀製じゃないみたいだよ?」

「ミスリル銀じゃなくても、魔法が効かないものが二つあるんですよ。一つは人間。生きている人間に、魔法をかけることはできません」

「もう一つは?」

「魔法を無効にする魔法があるんです。神官の必須魔法の一つで」

「神剣には魔法が利かなくなる魔法がかけてある?」

「ええ。だから《神剣》なんです」


 純粋な意味での装飾用ではないのだな、とスタンは納得した。


「それって確かめられる?」

「誰か、魔法が使える人間がいれば」


 スタンの脳裏に、ユハの姿が浮かんだ。ちょっと微妙なことになってきたな、と彼は唇を歪める。それを見て、ジジがつまらなそうな顔をしていた。


「ちょうど良い連中がいるだろうが」


    †


 そうして五分もしないうちに、シェーンの記憶が正しかったことが証明された。

 帝国陸軍実験小隊(しつこいようだが仮編成)は、兵卒よりは上だが、士官よりは幾分格の落ちる棟に居を借りていた。隣には練武用の広場がある。普段なら鬼教官の罵声と新兵の悲鳴でかしましいそこも、昨夜の事件の影響か、幾分静かである。

「小学校でもあるまいし非常事態一つでおたおたしすぎ」とはジジの感想である。

 それはともかく。

 検分に協力したのは、小隊のまとめ役と思われる小柄だが横幅豊富な中年女性で、名前をマリラ・ガブリエルといった。

 ガブリエルが剣を手に取る。

 キン、と鋭いが、かすかな音が響いた。


「……間違いありませんね。《祝福》はきちんと作動しております」

「《祝福》?」

「魔法を弾くための魔法です」

「もうちょっと詳しい説明を……」

「正しい意志によって、邪な意志を跳ね除ける魔法です」

「それ、どうやって確かめたわけ?」

「…………わかるのです」


 もちろん見ただけではわからない。魔法をかけたのである。だが、ガブリエルにして見れば、「自分がかけようとした魔法」が「邪な意志」として弾かれたことになってしまうので、ごまかしているのである。神職の体面も色々と面倒なのだ。

 ジジが小さな声で「この人、きてるんじゃないの?」と言った。面と向かって宣言しなかった分別にスタンがほっとしたのは、誰にも言えない小さな秘密だ。

 シェーンの答えもふるっていて、「神官ですから」――神職に就くと性格に不具合が生じる、と言っているようなものだった。

 宗教家なんぞろくなもんじゃない、とする一点で、三人は不思議な団結を見た。 

 少しばかり、魔法に対する姿勢の違いに関して(退屈な)解説が必要だろう。

 今日、魔法は魔法使いのものであり、整然とした法則に支配される現象であると認識されている。その法則は一般物理に比してあまりにも特殊だが、それでも物理法則の下に位置するものに間違いはない。つまり、どれほど魔法に習熟しようと、物理法則を超越した現象を発生させることはない。死者は生き返らないし、壁をすり抜けることもできない。火の玉を撃ち出すには熱量と可燃物が必要である。遠くの様子を見るには、見とおしがよくなくてはならない。もちろん、道具を使って(見とおし確保のために鏡を配置する、など)補助することは可能なのだが、完璧に閉じられた空間の様子を《透視》することはできない。光がそのような性質を持っていないからである。

 魔法と呼ばれる技術が行っている行為は、本質的にはただ一種――『対象にかかるエネルギー量の増幅と方向の調整』だけなのだ。乱暴に言えば、大砲の火薬の代わりをしているに過ぎない。この根源の部分がどのような仕組みで行なわれているのかは、まだ判明していない。その点では、魔法理論は何も説明できていないとも言える。

 魔法で温度差を発生させて風を生むのも、炎が上昇気流を生むのも、物理的には同じことである。魔法には「向き」も制御できる利点があるが。

 しかしこういった理論――理屈だろう。研究者と聞き手が安心する以外の効果がない説明だ――が発見されるよりもずっと前から、魔法は魔法として世に存在していた。

 神の奇跡。あるいは、人間の秘められた神性の現われとして。

 マリチ教を始めとする各地の教会は、魔法を使える人間を神の代理としてあがめることで成立し、存続してきた。そこには学者様のための屁理屈など存在しない。魔法は選ばれた人間の証であり、選ばれなかった人間を導くための手段であった。理論はいらない。必要なのは信念と信仰の象徴である。理論などというものは、より多数を納得させたやつの勝ちと決まっている。

 この『教会的魔法理論』によれば、龍気の流れの反発力を利用した魔力排斥原理など、インクのしみ程度の価値しかない。

 そういった意味では、魔法を戦争の道具――現実的な手段に用いることに協力しようとしていたタオは、かなり特殊な神官だと言える。とはいえ、部下までそうとは限らないものだ。信仰は信仰であるが故に、排他的にならざるを得ない。神官の――教会の魔法には、客観的な理論がないほうが都合が良いのだ。


「これを使ってタオ様を亡き者にするとは、明らかな神への挑戦です」


 ガブリエルは小鼻を膨らませて怒りを表現した。立場的には近いはずのシェーンまで、一歩引いてしまう。

 なんとなく雰囲気を変えなくてはならないかと、スタンは思いついたままの疑問を口に出した。


「あ、しゃべりませんでしたよね?」

「はぁ?」


 と、ガブリエル。

 何を言っているんだろうこの人は。そう思っているに違いない。言葉が足りなかったと自覚したスタンは、考えを整理してから聞きなおした。


「先ほど、呪文を唱えませんでしたよね? 《祝福》を確認したとき」

「それが何か?」

「魔法は呪文なしでも使えるものなんですか?」

「ええ。簡単なものであれば、可能です」


 逆に言えば、本格的な魔法には呪文が欠かせない、ということでもある。


「簡単というとどのぐらいまででしょうか?」


 ガブリエルはこめかみに指を当てて考え込んだ。小首をかしげるしぐさは、小さな女の子であればかわいらしかったかもしれないが、あいにくガブリエルは成人した子供がいてもおかしくなさそうな年齢である。


「……私の場合ですと、風で飛んだ書類を引き戻すぐらいですわ」

「もうちょっとわかりやすい基準はないんですか?」

「個人差が激しいのです。机を動かせる方もおりますし、埃を払うので精一杯の方もおります」


 なるほど、とスタンはうなずく。実は半分もわかっていなかったのだが。スタンの表情からそれを読み取ったのか、ガブリエルはかしこまった姿勢でレクチャーをはじめた。


「そもそもですね。普段皆様が魔力と呼んでいるものの正体は、神が人間を導くために授けた……」


 以下、ガブリエルによる魔法の基礎が延々と続く。長い上、説明しているのがガブリエル――教会関係者――ということもあって、実体のない解説である。よって省略する。

 意味のない解説の代わりに、魔法と呪文――厳密には、魔力と発動音声の関連について記しておこう。

 これは、魔力を油、魔法を炎だと考えるとわかりやすい。人体から魔力を放出するだけなら、発動音声は必要ない。実際に火をつける段になってはじめて、マッチが必要になる。

 ただし、魔力は元来が不安定なものであり、放出しただけでも何らかのアクションを起こしてしまう危険性をはらんでいる。これを恣意的に制御するのが魔法であり、制御する能力を持つものが、魔法使いと呼ばれる存在だ。龍使い――強大な魔力を有していたと言われる伝説の魔法使い――も、幼年期は自動発火装置と変わらない、ただの危険人物であったらしい。魔法は訓練を経て初めて、技能になる。

 ところでこの「魔法の自活性」――マッチなしで発火してしまうような厄介な特性――も、訓練次第で有効に利用できることがわかっている。それが、無音声魔法発動術である。脳裏に魔法の構成を描き、対象に意識を向けるだけで、半自動で魔法が発現する。この技術を高めることで、普通の人が歩くのと同じ感覚で魔法を行使できるようになるのだ。

 ただしこれには危険も伴う。通常の魔法が、炎で湯を沸かすようなものだとすれば、無音声魔法発動術は、水に直接熱を発生させるのに等しい。要するに暴発しやすいのだ。よって、節度ある魔法使いであれば、本式の魔法ではきちんと発動音声を発する。無音声発動は実用向きの技術ではないのだ。

 それでも魔法使いがこの技術を身につけるのは、魔力の制御技術を向上させるのに、これ以上のものが存在しないからである。溺れながら泳ぎを覚えるのに似ていなくもない。


「……ですから、魔法は正しく用いられなければならないと同時に、常に使用者を試しているというわけです。お分かりですか?」


 ちっともわからん。

 ガブリエルの長い話がようやく終わった。恐らくは神官の基本的心構えを説いていたのだと、スタンは推測した。


「神剣ですけど、あなたも持っています?」


 スタンがげんなりした様子で訊ねた。長い話にならないように、はいかいいえで答えられる質問を選んでしまう。


「もちろんです」

「ところで、その《祝福》はどうやっても破れないんですか?」

「当然です。神の加護が授けられているのですから」

「…………」


 だからそれを一般人にわかるように、と言っても無駄なのだろうな。


「十年」


 いきなり、ガブリエルの隣にいた女性が言った。彼女がそこにいたことに、スタンは今の今まで気付かなかった。存在感が希薄なわけでも、気配を隠していたわけでもない。ガブリエルの立派な体躯が邪魔で、視界に入っていなかったのである。ユハとどっこいの、小柄な、しかし間違いなく年上の女性だった。


「十年?」

「リリ」


 ガブリエルが、その女性に刺のある口調で言った。口を挟むな、という意味か。

 リリ、と言うのが彼女の名前なのだろう。


「十年って、なんですか?」

「《祝福》は、十年」


 リリの口調は、面倒くさそうではなかった。唇は動いているのだが、言葉がなかなかでてこない様子だ。スタンは気付いた。リリの肌はやや浅黒い。生粋の帝国人ではないのだろう。スタンは意識して発声を遅くした。


「……《祝福》の魔法は、十年で効果が切れる、という意味ですか?」


 リリがうなずく。


「切れたらどうするんですか?」


 リリは答えられなかった。スタンは視線をガブリエルに向ける。


「……各神官が自分でかけ直します。神剣は、神官の身分証であると同時に、力量を示すものでもあるので」

「《祝福》の魔法ができなくなったら引退、ですか?」

「ええ。一般の方にはなるべく言わないでいただけます?」


 神の加護がちょこちょこかけ直されていると知られると、布教活動に問題が発生するのだろう。スタンはガブリエルの頼みを、さりげなく無視した。


「タオが神官になって、今年でちょうど十年、なんてことはないですよね?」

「二十四年、と申されていたと思います」

「直接聞いたんですか?」

「そうです。ここにきて最初のご挨拶の折、お互いの神剣を確認しております」

「間違いなく《祝福》がかかっていました?」

「ええ。先月のことですから、記憶違いはございません」

「そうですか。じゃあ、やっぱり殺害に魔法は使えなかったのかな? ……ありがとうございます」


 スタンは部屋を出た。

 そこに、衛生兵の腕章をつけた兵士がいた。


「シェーン!」


 衛生兵は呼びかけてから、こちらに走ってきた。


「こんなところにいたのか。失敗したなぁ」

「どうしたの?」

「エミリーが探してた。まだ死体のところにいるかと思ってたから、そっちに行かせちゃったよ」


 衛生兵はそう言ってから、傍らのスタンたちに気づいたようだった。


「あれ、仕事中でした?」

「行き違いになったようですね。こちらはもういいですよ」


 スタンが答える。


「すいません。お言葉に甘えて失礼します」


 シェーンは一礼し、「あ」と声をあげた。


「タオ様の葬儀は明日です」

「葬式やるんだ」

「士官として葬るように言われています」

「うん。時間が空いたら参列するよ」

「すいません」


 スタンはシェーンを見送った。一応は民間人であるタオを、軍人として葬るのが引っかかったが、被害者が民間人だと問題になる部分があるのだろう。葬儀を急ぐのに、特に理由はない。死体を放置できない合理的理由ははっきりしている。遺族への連絡、と考えて苦笑する。軍人扱いなら、そんな配慮は必要ない。名誉除隊とかなんとか、うわっつらだけ整った書面を送っておしまいだ。


「僕らはどうする?」


 スタンはジジにそう訪ねた。


「バカ者」


 ジジはお決まりの言葉を吐いてから、


「本来の仕事があるに決まっているだろう」

「やっぱり?」


 第三駐屯地では近く、大量の物資を帝都に送ることになっている。帝都では実験小隊の実戦投入よりも、こちらの心配をしているはずだ。

 首脳部は周辺を捨て、帝都防衛の準備を進めているのだ。

 スタンたちはその、輸送部隊の監督と護衛のために、帝都から派遣されてきているのだ。


「しかし、事件の放置もできないそうだ」


 ジジがそう言い、スタンは顔に疑問符をいくつも浮かべた。


「経歴が裏目に出た。事件の調査も行なえ、だと」

「……そりゃまた人使いの荒いことで」



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