二章 少尉と少女と魔法の密室・後

 血の臭いがした。

 軍事施設などと言うと死臭がして当たり前のように思われるかもしれないが、それは偏見だ。基地、あるいは城砦で戦闘が行なわれた場合、そのほとんどは焼かれ、砕かれ、何も残らない。むしろ国境沿いの平原のほうが、死の香が色濃い。

 また、第三駐屯地は防衛拠点ではなく、補給用の施設の色合いが濃い。

 殺し合いの準備のための施設とは言え、基地には多数の人間が集い、飯を食い、明日を思って眠る。そこは生者のためにある。

 基地とは、まだ墓標になっていない施設、を指すのかもしれない。

 兵士とは、まだ死体になっていない人間、を指すのかもしれない。

 では、自分はこれから何になるのだろうか。


「少尉」

「……え?」


 唐突に呼ばれ、スタンは意識を現実に戻した。

 昨夜、殺人事件が発生した現場。

 マリチ教の神官。タオ・マリチ・ロアンの居室だった場所だ。

 正確な死亡時刻などわかろうはずもないが、机や椅子、床石の隙間にしみ込んだ血液が、事件がたった今発生したばかりのような錯覚を促す。机の上には、血を吸って黒ずんだ書類が乗せたままになっていた。用紙の大きさもそろっていない。何が書かれていたのかの判別は不可能だが、かろうじて読める部分から察するに、公文書らしきものと個人的な手紙が混じっているようだ。


「死体……じゃない、遺体は?」

「隣の開き部屋に移しました」


 スタンは一応言葉に気をつけたのだが、その必要はなかった。死体の一つぐらいで動揺するようでは、軍人など務まらないのだ。

 見張りを勤めていた下士官に、緊張している様子はなかった。

 死体は隣。ここにはない。言葉にできる事実に、おびえる必要はない。

 隣と言っても隣の部屋ではなく、隣の建物である。同じ屋根の下に死体を並べて執務をこなせるほどの無神経さは、軍人と言えども持ち合わせていない。


「後でそっちも見ないとな……」


 呟きながら、スタンは現場に入った。


「こっちはまだ触っていないよね?」

「ええ。午後には片付けるように命令されておりますが、まだ遺体を運び出しただけです。人が足りないものですから」


 スタンは死体のあった机を注視していたので、下士官の言葉を聞き流してしまった。

 心のどこかが信号を発生させ、瞬間的に思考の流れを逆行する。


「え? 片付ける?」

「はい。そう言われておりますが……」

「事件なんだから現場を調べるのが先だよ。できればしばらくはこのままにしておいてくれないと」

「犯人は捕まったんですよね。でしたら、もう調べる必要はないのではないでしょうか?」


 そういう意見もありかな、とスタンは考える。軍施設――つまりは国有地にして機密度の高い区域――で発生した殺人事件である。国家の面子のためには早期解決が第一であり、真実など作ってしまえばそれで良い、のだろう。

 ――対応が早かったおかげで犯人は逮捕。被害者はわずかに一名。幸いにして情報の漏洩はないと思われる。

 公式発表としては悪くない。責任者数名と警備担当に注意と訓告、おまけにちみっとした減俸でもつけて一件落着。

 上層部が考えそうなことだ。

 そんな背景を想像しつつ、スタンは現場検証を続ける。

 下士官は手持ち無沙汰の様子で、タオの蔵書の背を眺めていた。



「……次に使う人がちょっと気の毒ですね」

「それは僕らが考えることじゃない。他には何かわかっている?」


 兵士はメモを開いた。それなりの現場検証は行なっているようだ。


「ええっとですね、侵入者の知らせが入る少し前に、オーマ中佐が物音のようなものを聞いたかもしれない、と」

「オーマ中佐?」

「隣の部屋です」

「……聞こえるかな」


 スタンは壁を見た。タオの死体が座っていた机があり、それが面した壁の向こうがオーマ中佐とやらの部屋になる。壁の厚みは十センチほどだろうか。普通に話す分には、隣に聞耳を立てられる心配のない厚みだ。


「いる?」

「さあ。……日中は訓練じゃないですか?」


 兵士の言葉を聞きながら、スタンは机の上の壁を見ていた。始めはぼんやりとしていた視線が、不意に鋭くなる。


「これか」


 壁の一部、ちょうど椅子に座った人の胸のあたりになる位置が欠けていた。注意深く辺りを見まわすと、はがれ落ちた石片が見つかった。


「……剣がぶつかった場所かな」


 士官宿舎には柱に相当する部分がない。全体が構造壁として通用するだけの厚みと耐久性があるからだと、資料には記載されていた。

 一部とはいえ、剣でそれを砕いたのだから、犯人は相当な腕力の持ち主だと思ってよいだろう。しかし、おかしくもある。


「ここまで突き通す必要があるのか……?」

「目が悪かった、とか」


 兵士の意見に、スタンは妙に引きつった顔を浮かべた。笑いたくないがとりあえず笑っておく時に出る表情である。

 タオの部屋に窓はなかった。

 上級士官宿舎は第三駐屯地で最も古い建物である。建設当時は少なからず「実戦」を想定していたと聞く。用地拡大に伴って防壁は取り壊されてしまったが、中心部の建物は当時の思想で建設され、そのまま現在まで使われている。よって全て石造りで不必要な開口部が存在しない。必要な開口部も存在しない。暑さ寒さよりも、火矢や砲弾を叩き込まれるほうがよっぽど恐いからである。換気はどうしていたのだろうと思ってしまうが、生活の利便性など考えていては、戦争などやっていられないと言えなくもない。ドアがあるだけでもある程度の通気は確保できる。それに、一晩程度なら、閉め切っていても酸欠にならないだけの空気を確保できる広さがあった。

 テーブルの上に鍵が乗っていた。鍵には小さなプレートが結わえられていて、プレートは壁に斜めに寄りかかっていた。そっとつまみ上げると、プレートの陰になっていた部分には、血が全くついていなかった。その隣、机に固定された奇妙な半透明の球体――魔力を注入して使う簡易照明装置――にはおびただしい血液がこびりついていた。


「こちらでしたか」


 突然、そう聞こえた。

 振り返ると、見覚えのある少尉が二人ほど立っていた。一人はジジである。もう一人は、昨夜、伝令と一緒にいた若者だった。若いとは思っていたが、明るいところで見るとそれが際立つ。健康的というか、少年的というか。帝国の軍人であるからには未成年ではないはずだが、スタンは若者から、そのような印象を受けた。


「えーっと……」

「シェーン・ケイジ少尉です。この建物への……将校への取次ぎを担当しております」

「ああ。それで」


 ようやくにして、伝令が一人で来なかった理由がわかった。ここは、基本的に兵卒は立ち入れないようになっていたようだ。


「なにかなくなったものは?」


 ジジが言った。


「僕に聞く?」


 スタンがおどける。

 答えてくれそうな人間はもういない。

 主を失った部屋は、二面が本棚に覆われていた。どうやらアルファベット順に並んでいるようだ。新しい本を買ったときに大変そうだな、と思ったが、近所に本屋などないのでその心配はないと思い直した。他に家具と呼べそうなもので、まだ見ていないものはベッドのみだ。筆記用具などは机の引き出しに入っているのだろう。死体が最後に触れていた机は、異常なまでの存在感があった。

 ざっと見まわしてみたが、もちろん何がなくなったかなど判断できなかった。

 タオ・マリチ・ロアンという人物は、ずいぶん質素な生活をしていたようだ。

 スタンはベッドの下についていた引出しをあけた。私物とおぼしき衣類が何枚か。真新しい制服が二種類。祭典用のものと、略式平服だ。おかしくも何ともない。

 それらに混じって一つだけ、おかしな衣装が出てきた。ひらひらのふわふわ。妙に力のこもった刺繍。とんがった帽子と手袋がセットになっている。


「ああ。それ、マリチ教の神官服ですね」

「へえ」


 スタンは素直に珍しがったが、ジジは唇を斜めにしていた。


「いかにも神掛かってます、という感じね」

「それが神官の仕事ですよ」


 スタンはそう言い返しながら、神官服を元通りにしまった。ジジはまだむくれている。


「軍人になったのだから持ってこなくてもよい、と思わない?」


 軍人の仕事は国を守ること。言い変えれば、敵国の兵士を殺すことである。神官の目的は――宗派にもよるだろうが――世に救いを与えることである。教会は例外なく、殺生は罪悪だと教えている。


「故人を悪く言うのはよくないですよ」


 シェーンが控えめに忠告した。


「死んだらただの肉だ。そうでなくても、宗教屋が戦争に絡むとろくなことにならない」


 ジジの言うことももっともだ。

 本来の意味での「戦争」は外交取引の(極端な)手段であるはずなのだが、歴史上行なわれた戦争を調べていくと、外交目的の武力行使よりも、主義主張を押し付けるための戦争のほうが多い。もちろん、単一の目的しかなかった戦争は一つもないのだから、ジジの言葉を額面通りに受け止めるわけにもいかない。


「犠牲が発生するのであれば、それが少なくなるようにするべきですよね? タオ様はそのために、魔法を提供する決意をしたのだとうかがいました」

「偽善だ。本気で人死にをなくしたいのだったら、降伏するべきだ」


 ジジがシェーンを睨んだ。


「まあ、そのへんも僕たちの考えることじゃない」


 スタンがとりなした。彼の視線はジジとシェーンの間を忙しく往復する。


「ジジもさ、一応軍人やってるんだから、そういう発言は控えましょう」

「あのう。……戦争はよくない、とお考えなのですか?」


 シェーンがジジに訊ねた。


「当然。……世の中が平和なら、軍人は働かなくても金が貰える唯一の職業だぞ」


 合理主義と言うべきかなんと言うべきか。シェーンは用意していた論陣をため息と共に廃棄した。

 その間に、スタンは破壊されたドアを調べにかかった。

 ドアは木製。厚みは二センチほどだが、表も裏も鉄板で補強してある。表と裏で鉄板の貼り付け位置が違っていた。ガモン大佐が木槌を用いたのは、この構造を知っていたからだろう。斧では鉄板を断ち切れない。ちょうつがいの取りつけられていた部分にひびが入っていたが、ノブの側はきれいなものだった。ドアチェーンが輪になってぶら下がっていた。


「珍しいね。チェーンの留め金もドアについている。普通は壁につけるんじゃない?」

「ここは全部その作りですよ。ドアだけ後から付け直したせいらしいです」


 留め金はチェーンに通ったままだった。壁を構成する石を見ると、細い穴が一つだけ空いていた。穴のふちには何かの樹脂が固まっている。ビスを固定するために流した接着剤だ。ちなみに、ドアの側のビスは四本あった。壁にはフックしか埋まっていなかったようだが、ドアにはプレート状の部品が埋め込まれている。本数の違いはその差だ。


「ということは、鍵を開けても、ドアは開かなかった……」


 スタンは先ほど聞いた昨夜の状況を思い起こした。


「密室?」

「お前はバカか?」


 ジジがこれ以上は不可能というぐらいの速さで突っ込む。


「魔法が使えたら密室もくそもなかろう」

「そういうもの?」

「自分に聞かれても……」


 いきなり話を振られて、シェーンは困ったようにうつむいた。ジジは何の意味があるのか、人差し指を立ててから口を開いた。


「犯人は現場に踏み込んで被害者を殺害し、表から魔法を使って鍵をかけた。ロックしたのはもちろん発見を遅らせるためだ」

「他の可能性は?」

「あり得ない」


 ジジは自信たっぷりに断言した。


「あの」


 シェーンが自信なさそうに手を上げた。その様子はどこからどう見ても、宿題を忘れた学生のようである。


「魔法が使えるんだったら、別に現場に入る必要はないんじゃないですか?」

「あ、そうだ。剣を魔法で動かせばいいんだ」


 スタンの言葉にシェーンはうなずく。


「見えない位置からの不意打ちが、魔法の最大の利点ですから」

「そうとも言えないな」


 ジジが挑戦的に言い返した。


「空を飛んで窓から入る。二階には窓があったはずだ」

「だから近付く意味がないんですってば。そりゃ、離れるほどに魔法の精度は落ちますけど、剣一本なら五〇メートル先からでも動かせます。多少狙いがずれたって、胴体に刺されば間違いなく死にますよ」

「詳しいね」


 スタンは何気なく言った。シェーンはあからさまな動揺を見せた。


「僕じゃありませんよ」

「疑ってないって。……いや、魔法が使えるわけでもないのに、よく具体的な数字が出るなあ、と」

「ああ。ただの受け売りです。僕、軍人になる前は教会にいましたから。孤児院の出なんです」

「どこの?」ジジが訊ねる。

「マリチ教でしょ? じゃなかったら『タオ様』なんて呼ばないはず」


 シェーンはスタンにうなずき、冗談めかして答えた。


「さすがに軍警察出身ですね。見事な推理」

「いやあそれほどだよ」

「…………」


 スタンのジョークは空振りに終わった。


「とにかく、遺体と凶器を確認しにいこうか」


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