一章 死体と魔法と侵入者・後


 第三駐屯地副指令である、ベルナー・ノックは、二枚の転属通知書と、それぞれに対応する若者の顔を交互に見た。一人は男、もう一人は女であるが、髪の長さに大差はなかった。耳にかかる程度。男のそれが少々気に入らないが、言えば自分が歳を取ったと自覚させられるだけなので黙殺した。


「スタン・デルタ少尉とジジ・ウィット少尉か」

「はい。本日付けでこちらに配属されました」


 男――スタンがそう答えた。

 副指令は中指の爪で机を叩いた。注文した料理が出てこないのでいらいらしているのではない。


「着任のあいさつは午前中に済ませる規則だが」

「申し訳ありません」スタンは困った顔で答えた。「途中で馬が急逝するというアクシデントがありまして、代わりを調達しようにも経費はぎりぎりでしか支給されておりませんでしたので、その……」

「民家で徴発したまえ」


 なおも言い訳を続けようとするスタンに、副指令は冷たく言い放った。もう一人の新任士官――ジジはそのやり取りを無表情で眺めている。彼女とて遅刻なのだが、自分に落ち度はないと疑っていない様子だ。


(……最近の若者は何を考えているかわからん)


 副指令は二人をもう一度だけ眺めて、書類に目を落とした。もう内容は把握しているはずだから、彼らを見たくなかっただけだろう。


「……君等は軍警察の出身か」

「あ、はい」

「『あ』、は余計だ。……人材不足は深刻のようだな……」


 ちょっとした呟きに、スタンは副指令の心中を察した。副指令は空咳をして、呟きをごまかした。


「まあ、前例がないわけではない」

「シアス少尉とコーキー中尉ですね。三ヶ月ほど前からこちらにいるはずです」


 これまで黙っていたジジが言った。顔を上げた副指令に微笑むこともなく、続ける。


「シアス少尉とは同僚、コーキー中尉は上官でありました」

 副指令はうなずく。

「中尉の部下だったのであれば、それほど心配することもないか」


 考えがそのまま口に出るタイプなのだろうか、とスタンは副指令を観察した。軍人には――いや、指導者には向かないタイプと言わざるを得ない。使われる立場から見ても、帝国軍の人材不足は明白だ。できる人間を優先的に前線に送っているからかもしれないが。


「細かいことは明日で良かろう。帝都からの長旅ご苦労であった。よろしく頼む」


 副指令はそう言って、書類を引き出しにしまった。着任のあいさつが終わったことで、スタンとジジは敬礼をして回れ右をした。


「部屋はわかるかね?」

「いくらなんでもそこまで気を使っていただかなくても平気であります。……その、自分はそんなに頼りなく見えますか?」


 スタンは振り向いてそう言った。副指令は苦笑したのみ。

 今度こそ部屋を出ようとしたところで、再度、声がかかった。

 ただし、部屋の外から。


「副指令! いらっしゃいますか!」

「何事だ騒々しい」


 副指令が怒鳴り返す。


「緊急事態であります!」

「緊急?」

「施設内に賊が侵入しました」


 副指令が驚きを表に出すのに、少し時間がかかった。伝令の声というのはなぜだか、深刻さが足りなくなる傾向がある。報告に私情を混ぜるのは厳禁なのだろうが、多少は感情を含んだ声のほうが、現実味があるというものだ。


「賊?」


 このままドア越しに話し続けるつもりだろうか、とスタンは場違いなことを考える。ちょっとした親切心でドアを引いたのと、廊下にいた人物がドアを押したのが同時だった。

 廊下にいた二人のうちひとりの顔を、スタンは知っていた。といっても知人ではない。赴任してきたばかりで、まだ誰の顔も覚えてはいない。それでもその一人を判別できたのは、スタンが副司令室に入る前から、彼が廊下に立っていたからである。指揮官の身辺警護を任されているうちの一人なのだろう。


「どういうことだ」

 副指令が言った。伝令らしい兵士がかしこまった敬礼をする。


「はっ。定時の巡回の途中、食料庫で物音がしたのであります。カノイ曹長他三名が内部を調査に入ろうとしたところ、食料庫から賊が飛び出しました。曹長は不可思議な光を受けて昏倒。意識ははっきりしておりますが、頭痛が、」

「そんなことより現状はどうなの?」


 悠長な報告にいらいらしたのか、ジジが口を挟んだ。伝令は何か言い返そうとしたようだが、ジジの階級章にある星の数を見て沈黙した。


「侵入者は確保できている?」

「わかりません。自分はすぐにこちらに向かいました」

「不可思議な光とは?」

「は、当初閃光弾かと思われましたが、恐らく魔法ではないかと。それで……」


 伝令は一緒に来た下士官に視線を向けた。下士官がうなずく。


「タオ様の力が必要と思われます。その許可をいただくためとのことでしたので、通しました」

「わかった」


 副指令は額をなでながらそう言った。特に意味のある動作ではなく、ただの癖だ。生え際が気になるお歳頃である。


「警備はもう動いているのだな? よし。君は現場に戻りたまえ。侵入者は一人とは限らない。警戒を厳重にするように。司令には私から報告しておく。シェーン」

「はい」


 呼ばれて、伝令と一緒に来た若者が直立した。


「実験小隊は出せん」


 タオ様、とは第三駐屯地で準備中の魔法部隊の指揮官を指す。正式には、帝国陸軍特務実験小隊――ただし仮編成中で、隊員予定者はタオを含め、まだ民間人の扱いだ。第三駐屯地で魔法が使えるのは、この小隊の五人だけなのだ。

 シェーンと呼ばれた士官が困惑する。魔法を使う侵入者に対し、一般兵だけで対応していたら、何人やられるかわかったものではない、と言いたいのだが、副指令に意見できる立場ではない。

 副指令としては、侵入者がどこかのスパイである可能性を念頭に置いている。虎の子の魔法部隊を投入して確保できるならいいのだが、仮に逃げられてしまったら、最重要機密をこちらから教える形になってしまう。それだけは避けたかった。


「ですが、副指令」シェーンは深刻な表情で言った。「実はこちらにくる前に、タオ様の部屋に伺ったのですが、返事がないんです」

「なんだと?」


 シェーンが伝令を見た。伝令はまじめな顔でうなずく。


「部屋には鍵がかかっておりました。就寝中かと思ったのですが、いくら呼んでも出てきていただけませんでした。かと言って外出しているとも思えない時間ですし……」

「様子を見に行ったほうがいいんじゃないですか? 単独の侵入者なんて、演劇の世界ですよ?」


 スタンがそう言った。

 副指令は呟き、一人うなずいた。


「そうするか。シェーン、一緒にこい」

「僕らはどうします?」


 スタンが尋ねる。副指令はスタンの言葉使いに眉をひそめたが、それについては何も言わなかった。


「コーキー中尉の指示に従え。警備のD班だ」


 スタンは適当な敬礼をしてから駆け出した。ジジも同様だったが、こちらの敬礼は分度器で測ったような正確さがあった。伝令の兵士はとっくにいなくなっている。

 副指令は外套を羽織り、念のために鍵束も持って廊下に出る。石の廊下は冷え切っていた。もうすぐ冬がくる。

 シェーンはずっと通路にいた。

 副指令とシェーンの二人は早足で歩き出す。細い通路を通って階段へ。一階に下りた。右に進むと会議室の周囲を回ってから表に出られる。二人は左に向かった。角を折れて、一方にドアが並ぶ通路に出た。足音を聞きつけたのか、ドアの一つが開いた。寝くずれたシャツを羽織った男が顔を出す。


「あ、これはとんだ失礼を」


 男は自分の格好をわびたのであろうが、副指令は構わなかった。


「魔法を使う侵入者が現れたらしい。警戒せよ」

「え?」


 男が聞き返す。ほぼ同時に、あちこちで半鐘がなりだした。駐屯地全体が警戒態勢に移行しつつある。男はぎょっとしたようにあたりを見まわした。

 十秒もしないうちに、複数のドアが勢いよく開いた。


「侵入者だ! 各員は持ち場につけ!」


 副指令は短い指示を飛ばしながら歩く。

 副指令とシェーンが通路の奥に到達する頃には、半鐘に叩き起こされた士官たちはいなくなっていた。

 一番奥の部屋のドアだけが、開かなかった。シェーンがドアをノックし、ノブをひねった。


「開かないな」

「今の騒ぎでも起きてこないとは、何かあったのでしょうか? ……タオ様! タオ様!」

「下がれ」


 そう言って、副指令がノブをつかんだ。やはり開かない。副指令は鍵束を持ち上げ、合致する鍵をつまみ出した。鍵に装飾はまったく施されていない。その代わりというわけでもないのだろうが、先端の突起は一般的な鍵よりかなり複雑だった。鍵を回すと、内部で複雑な機構が反応する手応えがあった。


「む」


 鍵は開いたが、ドアはわずかに動いただけだった。開くどころか、指先を入れるので精一杯の隙間しかない。その隙間から、細いドアチェーンがのぞいていた。


「留め金も落としているのか……」

「体当たりしますか?」


 シェーンが訊ねた。副指令はわずかに顔をしかめる。


「無駄だな。基部は石材に埋めてあるはずだ」


 ドアはそれほど堅牢ではない。厚みはそれなりにあるが、木製である。鉄製の板を横向きにいくつか打ち込んであるが、木が露出している部分を破壊するだけで、内側の留め金に手が届くはずだ。副指令はすぐに決意した。


「ドアを壊す。何か道具を探してくるんだ」

「はっ」


 シェーンがこわばった表情で答える。彼は即座に走り出した。

 副指令は開かないドアと侵入者の関連について、何らかのつながりが見出せないかと試みた。無駄な努力だった。情報が少ないからではなく、まったくないからである。

 十分ほどしてシェーンは戻ってきた。先ほどの男が一緒である。


「ガモン大佐か」

「副指令!」


 ガモンと呼ばれた男は、重そうな木槌を両手で携えていた。武器ではなく、土木作業用の道具である。


「これはまた、えらく物騒なものを持ち出してきたな」

「話は聞きました。斧で穴を開けるより、こちらのほうがいいはずです。下がってください」


 ガモンはそう言って、木槌をちょうつがいの側に振り下ろした。ドアを破壊するのではなく、金具部分を脱落させるつもりなのだ。体当たりでは無理でも、木槌なら十分可能だ。重い物をぶつけあう鈍い音が繰り返される。

 パキン、と硬い音がして、ドアの上部が傾いだ。


「次は下です」


 今度は掬い上げるように、ドアの下部を叩く。こちらはものの二発で金具がとんだ。上部への打撃で、こちらにも相応の負荷がかかっていたのだろう。ガモンがドアを蹴った。最後に残った留め金が外れ、ドアは内側に斜めに倒れた。

 真夜中の突貫工事にも、タオの反応はなかった。

 その理由を、三人は即座に知ることになる。


「タオ様!」


 部屋の隅、タオが机に伏せていた。むせかえる血の臭い。

 タオの背中に剣が生えている、と副指令は思った。

 その認識はもちろん間違っているのだが、間違いなく理解できたこともあった。

 帝国軍の切り札になる部隊を任されるはずだった男は、すでに死んでいた。


 何者かに殺されたのだ。


    †


 一方のスタンとジジは、施設の外れ付近で懐かしい顔に遭遇していた。


「あ、どうもお久しぶりです。コーキーさん」

「スタン。今の俺は中尉だぞ?」


 警備班の小隊長を務める男は、そう言いつつも笑っていた。


「僕だって少尉ですよ」と、スタンが返す。

「ポーズでいいから上官を敬えと言っているんだ、俺は」

「そういう場合ですか」


 ジジが突っ込みをいれた。

 そういうどうでもいい話をしていられる程度に、事態は落ちつきを取り戻していた。

 警備員数十名(あれからまた増えた)の作る輪の中央に、奇妙にのたうつ網がある。網は時々、「あたしは魚じゃないのよっ!」などと喚いていた。


「捕まえたのはいいんだけどな、近寄ると稲妻をぶっ放すんでこれ以上なんとも……」


 コーキーが簡潔に説明した。


「声からすると女の子みたいですけど」

「おお。毛も生えてないガキんちょにいいようにやられるとは、帝国軍の質も落ちたもんだ」

「見たの?」ジジが眉をひそめた。

「んなわけあるかい。ケツの青い……でも同じか」

「どうしましょうね? ちょこちょこつついて、疲れて寝ちゃうまで待ちます?」


 スタンがのんきに言った。


「それが最も確実だな。猛獣狩りの気分だ」

「着任早々徹夜ですか? 冗談ではありません」


 ジジはそう言って、銃を抜いた。短銃ではなく、ライフルタイプだ。警備兵から借りて来たのだろう。


「殺すなって命令が来ているんだが……」

「殺しませんよ。寝るのを待つより、眠らせたほうが効率的です」

「麻酔弾? 網が邪魔で刺さらないんじゃないか?」

「隙間があります」


 発砲。

 麻酔弾がまっすぐに網に向かう。

 狙いは異常なまでに正確だった。しかし、針は少女に到達しなかった。網に引っかかったのではなく、網の上部をかすめて地面に刺さった。銃弾にはありえない軌道だった。


「……へたくそ」


 網が呟いた。言うまでもないのだが、魔法によって銃弾の向きを操作したのだ。

 ジジのこめかみにうっすらと青筋が浮かんだ。

 ジジは麻酔銃を捨てて、自前の拳銃を抜いた。止める間もなく連射。猛獣でも殺せそうな大質量の弾丸が少女に殺到する。

 すさまじい爆発音がした。撃った本人が驚く。


「ちゃんと狙えよバーカ」


 平然とした少女の声。

 と、網の中央から短刀が突き出した。重なった網が、あたかも布地のようにざくざくと切り分けられていく。ジジが再度発砲した。短刀を持った手が軽くひねられると、弾丸があさっての方向に捻じ曲げられる。妙な向きからの流れ弾に、包囲が若干乱れた。

 ジジは空になった弾丸を補充するため、弾倉を外した。再装填完了とほぼ同時に、少女は網から抜け出していた。そこに更なる銃弾が襲いかかる。結果はそれまでと変わらない。


「お?」


 スタンが驚きの声をあげた。

 年のころなら十二、三。長い髪を一つに束ねた、活動的な印象の少女だった。魔法の腕はスタンには判断できないが、この歳で、本職の兵隊を相手に立ち回ったのだから相当なものなのだろう。敵国の破壊工作員だと判断されるのも納得である。

 しかし、スパイやそれに類する職業だと思うには、どうしても納得できない部分もあった。

 少女は顔を隠していない。つまり隠密活動を意識していない。汚れてはいるが愛らしい頬の線。目も鼻もまっすぐで、若干太めの眉とあいまって意思が強そうに見える。汚れ仕事を好んで引き受けるようには見えない。無垢で、純粋。正義の味方を信じていそうな印象さえある。もちろん見た目だけの話ではあるが。それに、服装だ。白くて短い外套に明るい茶のブーツが目立つ。この寒いのにズボンの丈は短い。膝から腿の半分ほどが素肌を出していた。近接戦で狙われやすい場所を守っていない。よく見れば防具に類するものも身につけていなかった。防具は、魔法が使えれば必要ない、と言うものでもないはずだ。

 総合的に見て、荒事で生活している種類の人間には思えなかった。

 少女はスタンを見て、それからジジの持つ銃を見た。

 いきなり短刀を投げる。

 へろへろっ、と飛んだ短刀は、彼らの中間地点に頼りなく落ちた。

 少女もその場に倒れる。


「…………?」


 あっけに取られる警備兵の面々。わけがわからない。


「魔法の使いすぎで限界に達したのでしょう。予定通りです」


 ジジはあくまで冷静に言った。

 嘘つけ、とスタンは心の中で突っ込む。

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