第2話

「どうだ、気分は?」

 髪を左右に束ねた巫女がベーラに聞いた。

「眠たい……、です」

 どちらかといえば夜型のベーラにとって、

 朝日と同時に起きるだけでもきつかった。

 しかしこれから山に登るのだ。

「いいか、この山には3箇所の【中継点】がある。

 そこで個別の試練を受けなければ、先には進めない。

 また明日やり直しだ」

「明日も早起きなんてとんでもない……、です」

「ならば合格するのだな。

 まずは5合目まで、行くぞ!」

 巫女の一団が白装束を身にまとって霊山を登っていく。

 地元の人々にとっては見慣れた、

 観光客にとっては物珍しい光景だった。

 ガイドのパルシェは、これもミクリア名物であるグリーンティを飲みながら主人を見送っていた。

「気楽そうだな」

 寂れた宿屋の空気が変わる。

 巫女頭のシビュラがパルシェの隣に座った。

「ええ、今のところのんびり構えています」

「お前の主人はどの試練までくぐり抜けるだろうな?」

 シビュラは尋ねた。

「それは……、体力と相談ですね」

「ほう。試練より山登りのほうが大変だというのか?」

「そうです。

 あの人体力はからっきしですよ」

「3箇所の試練において、巫女たちには一切手を抜かないよう言ってある。

 常人なら3ヶ月はかかると思うが」

「試練って音楽関係でしょう?

 あの人、音楽についてだけはすごいですよ」

 しばらく沈黙があった。

「なぜ試練の内容を知っている?」

「来る前に調べました。

 ガイドですので。

 ジュルヴェール氏の【ミクリア探訪記】にはちゃんと、

 【白衣の巫女たちは日々音感を鍛える試練に臨む】と書いてありましたよ」

「ジュルヴェール氏か、わらわの前の代のことだな」

 シビュラはうなずいた。

「しかし試練の難易度までは分かるまい?」

「難易度は関係ないです」

 パルシェの目に自信の光が宿った。

「あの人は音楽の試練なら突破します」


 *


「D! こっちの言葉で言うと、フィ!」

 ベーラが言うと、巫女の一人はお手上げだというふうに首を振った。

「音程は全部合っているよ。しかも、さっき教えたばかりの【ミクリアの音階】との照合も間違っていない」

「わたし、絶対音感持ってますから」

「絶対音感ってなんだ?」

 ベーラが受けていたのは、大量に並んだ管の中で一つだけ鳴った音の音階を答えろという試練だった。

 幼いころから【音当て遊び】をしていたベーラにとって、造作もないことだ。

「じゃあ、次の試練とやらに挑戦するわ」

「7合目まで着いたらな」

「……また走るのかあ」

 巫女の一団は走り出した。

 ベーラも遅れつつも、とことこと走ってついていく。

「なかなか見どころありそうですよ」

 髪を束ねた巫女が上司に言った。

 上司はあの、ベーラたちを槍で殺そうと考えていた巫女だ。

「まだだ。

 お前たち、気を許してはいけないぞ。

 あの小娘は不浄な手で神器に触れたんだ」


 一行は7合目の中継点に着いた。

 山腹にぽっかりと黒いトンネルが開いている。

「お前にはこの洞穴に入り、中のパズルを解いて出てきてもらう」

「洞穴……、涼しそうでいいかも……」

 ベーラはへろへろになりながらトンネルへと入っていった。

「今度こそ諦めるだろう。

 今洞穴に仕掛けられているのはシビュラさまの先代が考案された……」

 上司の巫女が得意げに解説しているところに、ベーラが出てきた。

「どうだ、諦めたか?」

「解けました」

 ベーラは笑ってみせると、手のひらを開いた。

 そこにはパズルを解いた証の宝石があった。

「馬鹿な……、早すぎる!」

「コードをうまく5度圏に当てはめればいいだけだったもの」

「5度圏? お前のところでは、あれをそう呼ぶのか?」

 髪を束ねた巫女がベーラに聞いた。

「そうそう、例えばこの」

 ベーラは軽く歌った。

「音程が5度で、5度の順に並べたから5度圏」

「なるほど……」

「合理的だな……」

 巫女たちの中にざわめきが広がる。

 ベーラの示した解釈が巫女たちの好奇心をくすぐったのだ。

「お前ら、ほだされるな!」

 上司が一喝する。

「小娘、お前に一定の実力があることは分かった」

「こっちも、あなたたちが本当に音楽が好きだってことが分かったよ」

「なに?」

「音楽家はまずチューニングをするって言ったでしょう。

 それってまさに、最初の試練の内容だよね。

 それから2番めの試練は、理論の世界に入っていく。

 でもそうなると、最後に待ち受けているのは……」

「……そう、最後に待ち受けている試練は、【実践】だ。

 お前には模擬の神器を渡してやる。

 それを演奏するのが最後の試練だ。

 ……頂上でな」

(まだ走るのかぁ……)


 *


「シビュラさま、ただいま戻りました」

 上司の巫女がシビュラ私邸を訪れた。

「うむ……、結果は?」

「順を追って話させていただきます」

 上司の巫女は落ち着いた口調でいった。

「聴音の試練は完璧でした。

 あの小娘、絶対音感なるものを持っているとかで」

「それはわらわも持っているが、聴音くらいしか役立たんぞ」

「左様でしたか。

 とにかく、聴音の試練は難なくこなしました。

 続いての理論の試練は、

 解いたばかりでなく新たな解釈を示して我々を動揺させました」

「ふむ、わらわも聞いてみたいものだな」

「後ほど整理してお話します。

 そして最後の、実践の試練ですが」

「うむ」

「あのような……、あのような演奏ができるものがいるとは……、

 ほぼ初見で……、まるで先代さまが演奏されているかのような」

 上司の巫女は言葉をつまらせた。

「合格だったのだな」

「……はい」

「分かった」

 シビュラはそう言うと、にっこりと笑った。

「よい。

 そなたはよくやってくれた。

 そして外界にも達人がいると思えば、それもまた楽しい」

「シビュラさま……!」

「約束通り、不浄の手で神器に触れた罪は咎なしとしよう。

 そして、彼女の望みも叶えてやろう。

 早馬を出せ! 祭りを始めるのだ!」


 *


「盛り上がってるわねえ」

 罪を許されたベーラは、白装束からいつもの赤いマントに着替え、祭りを見学に来ていた。

 出店なども立ち並び、ミクリアの別の表情が見られる。

「ミクリアの【楽祭】はいくつかの本でも詳述されています」

 パルシェが言った。

「もちろん、見るのは初めてですが」

「わたしのおかげだね」

「ええ、ベーラさんが不浄なる手で神器に触れたおかげです」

「不浄言うな」

「ああ、ここにおられましたか」

 顔見知りの巫女が一人、ベーラたちを見つけて声をかけてきた。

「あなたがたは特等席にご案内せよ、とのシビュラさまの仰せです」

「おっ、VIP待遇」

 案内された桟敷の上には、シビュラがいた。

「今日は楽しみにしてます」

「うむ……、わらわも自分で楽しみだ。

 ベーラよ、お前はまるで先代のように神器を操ったと、わらわの部下が言ったが……、

 先代にはまだ、わらわにしか見せていない領域がある」

「おお……」

「そして今のわらわは、その先代をも上回る!

 楽しんでゆかれるがよいぞ!

 今日は必ずいい演奏になる!」

「おおおお……」

 ベーラの目が期待に輝いた。

「ハードル、上げますねえ」

 パルシェが言った。

「でも、超えてきそうだよ」

 ベーラが言った。

 シビュラが手を降って舞台袖に消えた。

 松明が消えた。

 もうすぐ演奏が始まる。

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異世界採譜紀行 見切り発車P @mi_ki_ri

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