異世界採譜紀行

見切り発車P

第1話

「さすがにもう歩けないわよ」

 ベーラはそういうと、近くの切り株の上に座った。

 小柄な彼女がそこに座ると、ノームの人形めいて見える。

 【迷いの森】の領域は越えたものの、まだまだ深い森の中だった。

「今日はここでキャンプね。

 取っておいたリンゴでも食べましょう」

「そうですか」

 ガイドのパルシェは汗一つ見せずに、ベーラのそばで痩身長駆を直立させている。

「あと500メートルも行けば、ローストビーフも食べられるし、ベッドで眠れるのですが」

「なに? 【ミクリア】が近いってこと?」

 ベーラは飛びはねるようにして立ち上がった。

「元気じゃないですか」

 パルシェが低い声で言うと、ベーラは口をとがらせて、

「そりゃ、ミクリアは一大目標だもの。

 わたしがなんのために転生までして……」

「音楽の研究のためとか」

「そう」

 ベーラは薄い胸を張った。

「世界7大秘境の一つと言われるミクリアは、

 独特な音楽をも生み出したとして旅行家たちが絶賛しているわ。

 しかし、旅行家は音楽家ではないので、

 その【独特な音楽】がどう独特なのかについてイマイチ当を得た解説が無いのよね。

 そこでこのベーラさまが、

 転生までして直接採譜しに来たってわけよ」

 喋りながら歩いていると、ベーラの目にも松明の明かりが見えてきた。

「あれ! あの光がミクリアなのね!」

「ほぼ間違いなく」

 パルシェが冷静に答えた。

「行くわよ!」

 ベーラは先ほどまでの疲労の影さえ感じさせずに、とことこと山の道を下った。

「パルシェ! 置いていくわよ!」

「もう一度言いますが、元気じゃないですか」


 *


「ふむ……、音楽家とはな」

 巫女頭のシビュラが感情を感じさせない目でベーラたちを見下ろした。

 小柄な少女であるベーラより、さらに年下であることは間違いなかったが、

 その美しさと凄みは生きている年数は関係ないと思わせずにはいられなかった。

 シビュラはミクリア集落のトップであり、その双肩には集落の明日がかかっていた。

「切り捨てますか」

 部下の巫女が物騒なことを言う。

「そこまですることはなかろう」

「しかし、【禁域】であるシビュラ様の私邸に立ち入り……」

「知らなかったのよ! 本当に!」

 ベーラが弁解する。

 実際、目についた立派な建物に入っただけだった。

「あまつさえ不浄なる手で【神器】に触れるとは……!」

「それは……、【つい】よ!」

 全然弁解になっていない弁解をする。

「音楽家は楽器らしきものを見たらとりあえずチューニングを確かめるものなのよ!」

「ほう、それで分かったか?

 そなたのいうチューニングとやらが」

 シビュラが目に興味の光を浮かべる。

「低い弦からE,B,E,E,B,E」

 ベーラが歌うように言った。

「高さ違いで二種類の音しか使われていない。

 おそらく開放弦を鳴らしながら、3,4弦あたりでメロディを弾くのだと思う」

「ふむ……。

 用語は違うが、そなたの言うことがわらわには分かる」

 シビュラがさらに興味を示した。

 そしてベーラが調子に乗る。

「言ってみれば、ちょっと変わったアコースティック・ギターね!」

「貴様! 蛮人の粗野なる楽器とシビュラさまの神器を同じとするか!」

 部下が怒りとともに槍に手をかけた。

「まあ、待て」

 シビュラが部下を止めてくれる。

「もう一人の若者――、そなたには何か申し開くことがあるか?」

 ずっと黙っていたパルシェが口を開いた。

「そうですね……。

 我が主人が不浄な手で神器に触れたこと、まずはお詫び申し上げます」

「不浄不浄って……」

 何か言おうとしたベーラを目で制し、

「かくなる上は、我が主人を清めることによって、

 主人が触れた神器をも清めることにしたいと思いますが、いかがですか?」

「つまり、」

 ベーラには何を言っているのかわからなかったが、

 シビュラは理解したようだ。

「音楽家どのをミクリアの【巫女見習い】にしようということだな?」

「その通りです」

「み、見習いって何をやるの?」

 ベーラが尋ねた。

「きつい修行だ」

「ええええええええ」


 *


「失礼ながら、甘い処分だと思いますが」

 巫女の一人がシビュラに言った。

「甘いというより、都合のいい処分よな」

 シビュラがにっこりと笑って答える。

「【きつい修行】に耐え抜きさえすれば、

 罪が許されるだけでなく、

 堂々と神器に触ってもいい資格を得ることになる」

「そうです! あのガイドの若者の差し金です!」

「交渉事に慣れているのだろうな」

「わたしはまだ許せません……!

 土足でシビュラさまの私邸に上がり、

 不浄なる手で神器に触れ、

 神器をただの楽器と同じにする……!」

「彼女らの習慣では、自宅でも靴を履くのだよ」

「そっ、それは知りませんでしたが、しかし……!」

「神器が楽器に見えるのも、

 知らないものの目には仕方ないことだと思わないか?

 事実、音を奏でるためのものだからな」

「シビュラさま、あなたはあのベーラという小娘をかばうのですか?」

 巫女の目が厳しくなった。

 シビュラはその巫女よりもさらに厳しい表情で、

「いや、違う。

 わらわはそなたの挙げた3点のうち、2点を否定した。

 しかし残る1点、神器に不浄なる手で触れたことについては、差し置く気はない」

 巫女はかしこまった。

「シビュラさま、疑って申しわけありません」

「よい。

 いいか、わらわは習慣について問題にしておる。

 習慣の違いによって、【土足で上がったこと】【神器と楽器を同じに扱ったこと】を許した。

 しかし、ミクリア側だけあちらの言い分を認めるのは不公平ではないか?

 ベーラにも、ミクリアの習慣を認めてもらわねばならない。

 よって、神器に触れるには不浄なままではあってはいけない」

「分かりました」

 巫女は素直にうなずいた。

「修行は厳正に行え」

 シビュラは命じた。

「そなたらとわらわが受けたままの修行を行うのだ。

 それをくぐり抜けたなら、ベーラに【採譜】とやらをさせてやってもよい」


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