第一章
トウタはポストから取ってきたチラシを無造作にリビングテーブルの上に置いた。ぱさっと軽い音がする。置いた本人は全く見向きもしないで、制服のネクタイを緩めながら自室のある二階へと向かった。
自室に入り、彼はドアを閉めた。重たい通学用のリュックサックをどすんと下ろす。その中に入っているのは教科書ではなく、超高性能多機能搭載パソコン。日本から教科書が消えて8年ほど。重い重いと嘆いていた学生の肩は、あまり救われなかった。一人一台支給されたその利器は確かに便利ではあったが、重さが変わらないなら紙だって何だって同じようなもんだとトウタは思っていた。
鬱陶しい制服を剥いで部屋着を纏った。課題を終わらせてしまおうと、例の利器の電源を入れる。
起動中を意味するアイコンがしばらく表示された後、一気に画面が切り替わった。彼が自分の趣味からカスタマイズしたと思われる背景画面が、激しく自己主張
している。CG合成技術で描かれたらしい想像上の生物と幻想的な風景が一体となった画像であった。
よほどそれが気に入っているのだろう。彼は数分間じっと見つめていた。
数学の問題で苦戦して数十分経過した頃、階下から騒がしい物音が聞こえてきた。弟が帰ってきたらしい、とトウタは気づいた。
彼が身構えていると、階段を駆け上がる音がかなりの大きさで響いてきた。次いで乱暴にドアを開ける音。大体予想してはいたが、そのあまりの乱暴な音に彼は多少の驚きを禁じ得なかった。
「兄ちゃん!兄ちゃん!これーー、」
興奮している様子の弟を見て、彼は深呼吸を促した。弟は素直に従って、深く息を吐いて吸うのを何度か繰り返した。
「兄ちゃん。これ見た?」
弟は手に持っていた一枚の葉書を彼に差し出した。それは先程彼がぱさっと置いてきた中に紛れていたものだった。
「何? お手伝いロボ……?」
「そう!ほら見てよ!無料で使えるみたいなんだ」
怪しいなぁとトウタは感じたが、一度しっかり読んでみることにした。
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「うーん……。△△△通販は確かに何回も使っているし、別に怪しいものではないらしいな」
「ねぇすごいよねにいちゃん!うちにロボットが来るんだぜ!」
「まだ来るとは決まってないぞ。母さんと父さんが何て言うか、だ」
それを聞いた途端弟は暴れはじめた。
「やだやだやだ!絶対にロボットはうちに来るんだ!」
はいはいそうですねー、とトウタは軽く流して弟に背を向けた。
スリープモードに入ってしまった利器を起こして、再び難解な数字の海にその身を沈める。
トウタはふと思った。お手伝いロボが問題の答えを教えてくれるなら相当楽になるぞ。
「ユウタ。母さんと父さんを絶対に説得するぞ」
トウタが一変して協力的な目を向けて、ユウタに話しかけた。ユウタはそれに気を良くして、
「兄ちゃん!二人でがんばるぞ!」
と元気に拳を突き上げた。
過剰ともいえるその仕草も、小学三年生がすれば微笑ましいものだった。
階下から聞こえてくる物音を耳ざとく捉えて、ユウタが「お母さんだ!」と静かに言った。言うが早いかトウタの部屋を飛び出し、どたどたと階段を降りて行った。
途中で「あっ!葉書!兄ちゃん持ってきて!」と大声で叫んだ。そんなに叫ばなくても……と思いながら、トウタは葉書を手に部屋を出た。
トウタが降りていくと、リビングでは先に着いていたユウタと母親が、それぞれ四本足の椅子に座って話していた。
「お手伝いロボって言うんだけど……」
「なぁに?そのロボって」
「これだよ、母さん」
トウタはすっと葉書を渡して、椅子に座った。そしてスマートフォンの画面を見せた。画面にはお手伝いロボの参考画像と、びっしりと並んだ詳細説明の文字。
彼らの母親はまず葉書を読み、その後スマートフォンの画面を眺め、
「説明長いねぇ。よくわかんないし、キャンセルしようか」
こんなことを言い出すので二人はたまらない。必死に説得を始めた。
「どこがわからないのお母さん!兄ちゃんに訊けばきっとわかりやすく説明してくれるよ!」
「そうだよ母さん。言ってみて」
いきなり空気を変えた二人を見て、彼女は少し戸惑っているようだった。
「あんたたち、これそんなに欲しいの?」
心底疑問に思っているというふうな表情で小首を傾げた彼女に、二人は欲しいということを伝え始めた。
「だってロボットだよ!?しかもただなんだよ!?」
「頭も良いだろうから勉強も教えてくれるに違いないよ。そうすれば課題ももっと楽に解けるようになるし成績も上がるんじゃないかな」
彼女はスマートフォンの画面を見つめていて、二人の言葉はあまり耳に入っていなかった。しかしゆっくりと顔を上げて、
「お父さんと相談してみよう」
と軽い調子で言った。
「ただなんだし、私は別に反対してるつもりはないよ。二人が欲しいなら受け取るし、要らないならキャンセルする」
「欲しい!絶対欲しい!」
ユウタはぴょこんぴょこんと跳び跳ねて、欲しい度合いを表現していた。
「わかったから、相談するから」
そう言われても尚、ユウタは跳び跳ねるのをやめなかった。このままだとずっと騒いでいそうだと感じ取ったトウタは、早く宿題終わらせないとキャンセルされちゃうぞ、とユウタにそっと耳打ちした。それを合図にユウタはぴたっと直立し、一瞬後には自室の方へ駆けて行った。
「トウタ、ユウタに何て言ったの?」
「宿題やらないとロボットキャンセルだぞって」
へぇ、すごい効果だ、と母親は呟いて葉書を一瞥した。
「お手伝いロボねぇ……。家事もやってくれるのかなぁ」
「説明文に何か書いてあるんじゃないの?」
トウタの一言に彼女はそれもそうだね、と頷きスマートフォンの画面を真剣に見つめ始めた。やがてふんふんと関心を持ったような反応を見せた。
「すごいね。家事でも何でもやってくれるみたい。欲しいなぁ」
母親の心がいとも簡単に変わったので、それくらい家事というものは面倒くさいのだろうとしみじみ感じるトウタだった。
「いいんじゃないか?欲しいなら貰っとけ」
説得するまでもなく、父親は賛成の意を見せていた。ユウタはそれを聞くとおおはしゃぎして
「ロボットが来る!ロボットが来る!」
とリビングテーブルの周りを走り回った。
トウタは夕飯の味噌汁を飲みながら、
「あんまり騒ぐとキャンセルだぞ」
とユウタに言った。
ユウタはぴたっと走り回るのを止めて、軽いスキップのような足運びで席に着いた。そのあとも野菜炒めを箸でつつきながら、ロボット、ロボットと落ち着きのない様子で繰り返していた。
お手伝いロボが堂本家に届くまでの十日間、ユウタはずっとこんなかんじだった。
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