聖人

モンスター文庫様より、2/26発売!


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 〜一ヶ月前〜


「聖人……ですか?」


 噴水が見える庭園前の椅子。真ん中に白いテーブルを挟んだセシリアの先には、ルビーの瞳と桃色の瞳を携えた少女が鎮座している。

 その表情には妖艶な笑みが浮かんでいた。いつもセシリアが見ている少女からは、似ても似つかわしくないものだと映ってしまう。


 故に、その声音は戸惑いと疑問で少しばかり震えていた。


「その通りだとも、可愛い可愛い聖女殿」


 口調も違う。いつもの凛々しい姿の彼女の影は、今ではすっかり見えなくなってしまっている。


「聖女とは違い、いつぞやのきっかけで女神の恩恵を一身に受けてしまっているわけではない。生まれたその瞬間から、『神の申し子』として並外れた力を有し、その力を顕現させている人間────それこそ、聖人。ボクがいた時代では、その聖人はいついかなる時でも教会によってその身を守られてきた」


 心地よい風が、セシリアのプラチナブロンドと正面に座る紅蓮の髪を靡かせる。


「君は協会の中でもトップに続く『聖女』の一人だ。無論、その存在を知らないわけがないだろう?」


 もし、目の前の少女────アナスタシア・ミラーではなく、『厄愛の魔女』の言葉が正しければ、セシリアがその存在を知らないわけがない。

 何故なら、権力は教皇に続く存在。ある程度教会を導く存在としては、知らないことの方がありえないのだから。


「……それは、答えなければならないのですか?」


 セシリアは額に少しだけ汗を滲ませ、ゆっくりと口を開く。

 聖人、その存在をセシリアは知っていた。それは、厄愛の魔女が言う通りセシリアが教皇に続く権力者だからだ。

 だが、それでも答えない────それは単純に、『教会の秘密』にあたるからである。


「答えないといけない……というわけではないよ。ただ、とは思うがね」


「答えた方が……いい?」


「あぁ……何故なら、その解答はボク達の愛しき人に関わるからだ」


 愛しき人、その言葉にセシリアの眉が寄る。

 その言葉は誰とは言うてないが、間違いなくその言葉を指している人物はユリスだ。


 だからこそ、そんなユリスに関わると言われてしまえば反応してしまう。


「ボクも君ほど詳しく知っているわけじゃない。しかし、これでもボクは世界を厄災に導いた存在だ。多少の知見はある────その中で、聖人という話も聞いた。聖人とは、人本来の姿に戻し、浄化する力を持っているのだと」


「…………」


「この力さえあれば、ボク達の愛しき人である少年を蝕む力も消すことはできるのではないか? そう考えている。これだと、少年は本来の寿命を全うし────これからは平和で幸せなごく普通の生活を送れる」


 厄愛の魔女は、真剣な眼差しでセシリアを見つめる。

 薄桃色の瞳が、輝いているように見えた。


「ボクは悪い魔女だ。だけど、少年のこととなれば話は別。それほどまでに、ボクは少年を愛しているからだ────これは、ボクとアナの総意と受け取ってもらって構わない」


 かつて、世界を厄災に陥れた人物の一人が、一人の少年を救うと口にする。

 その言葉を、世界の誰もが聞けば驚いてしまうだろう。


 だけど、その瞳には冗談の色は窺えない。


「君は愛しい少年と同じ寿命を全うすることを選んだ。それも立派な愛だと思うさ、それによってボクとアナは救われた……そこに文句を挟むつもりはない。だけど────救える手段があるとするのなら、救うために動くのが道理ではないかい? ボクも、アナも、君も……あの少年に救われたのだから。救ってあげたいと思うのは、おかしなことだろうか?」


 好きな人と一緒に死にたい。それも誰もが望む選択ではあるだろう。

 セシリアも聖女の前に一人の女の子だ。好きな人のいない世界を生きるよりかは、一緒に死にたいと考えてもおかしくない。


 だからこそ、セシリアは寛大カリタスを躊躇いなく使い、二人を救った。

 己の寿命の半分を肩代わりすることによって。


「おかしなことはありません……誰かに救われたから救う────それは立派な理由だと思います」


「だったら、君も救わなければならないのではないかい? そもそも、ボクが聞いたことを君が知らないわけがない……つまり、君は。そういうことだろう?」


「…………」


「あぁ、ボクは苛立っている。きっと、内心ではアナも同じ気持ちだろうさ。救えるところに手が届くのに手を伸ばさないのだから」


 セシリアは黙り込む。

 それは、厄愛の魔女の言葉がその通りだったからなのかは、分からない。

 だけど、セシリアは少しの間を空け、ゆっくりと口を開いた。


「……きっとユリスは、それを望もうとはしません。何故なら、ユリスは救える力を失ってまで自分を助けたいとは考えないからです。ユリスはどこまでも優しいですから」


「それはボクには分からないが、アナもそうだと思ってるらしいね。だけど、それが不幸だと知っていて歩ませるのかい? その道が正しいと、君はそう思っているのかい?」


「……そうは思いません。他人を助けることは美徳ですが、自分を勘定に入れない救済など誰も幸せにはなりませんから」


「そうだ、そうだとも。故に、ボク達は少年をあるべき道へと向かわせよう。たとえ、ボク達の命が先に尽きると分かっていても、行わないわけにはいかない。それが、少年に対する想いだからだ」


 セシリアは厄愛の魔女の言葉に難色を示す。

 だけど、ゆっくりと……その言葉を紡いだ。


「今回の聖人……それに選ばれたのは、教会の三大聖女の一人────私の、お姉ちゃんです」


 セシリアは、不安と陰りを残したまま、答えを口にした。

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