奇跡を起こす者
「えーっと……いつまで走ってればいいのでしょうか?」
チラチラと背後を振り返りながら、閑散とした市場街を走るセシリア。
ユリスが追ってくるのを待ちながら、亡者から逃げながら、事の解決を望みながら、必死に走る。
動きにくい修道服と、自身の身体能力も合わさってそこまで距離を稼げてはいないのだが、それでも誰一人セシリアの姿を捉える者はいなかった。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐く。
そろそろ肺が限界に達してしまう。
(こ、今度からちゃんと走り込みしないとですね……!)
流石に、自分もここまで体力がないとは思っていなかったのか、これからの運動を決意するセシリア。
追っ手が来ていない事を確認し、屋台の隅に座り込んで体力を回復させる為に座り込んだ。
(ユリスは無事でしょうか……?)
セシリアは
自分を助ける為に、一人で体を張ってくれている。いくらユリスが強かろうが、傷ついていた事には変わりない。
身を案じるが、それ以上に傷つく様子を想像して胸が苦しくなったセシリア。
(それに、アナスタシアさんも……)
セシリアの数少ない友人。
ユリスの幼馴染であり、何処か接した面々の中では大人びていてしっかりしている少女だった。
セシリア自身、アナスタシアには良くしてもらっていた。
それは聖女という肩書きを抜きにして、本当に友人の様に。
だからこそ心配なのだ。
自分ではどうする事もできないが、こんな騒動の中心にいる彼女の身も案じてしまう。
「どうかご無事で……!」
セシリアはポケットに入っていたロザリオを握り締めながら二人の無事を祈る。
そんな時────
ドゴォォォォォォン!!!
激しい衝撃音が、セシリアの耳を襲った。
「きゃっ!」
砕かれる音、木が折れる音、何かが潰れる音が合わさったような気がする。
セシリアは驚くものの、恐る恐る屋台から少しだけ顔を出して様子を伺う。
するとそこには、茶色い髪をした二人の少女が倒れ込んでいる姿があった。
それに加え、二人の体には黒いモヤに覆われていて、一人は胸を貫かれているだけだが、もう一人の少女はもっと酷い。
脚部の原型が怪しい、腕の皮膚が焼けただれている。胸にはもう一人の少女と同じように風穴が空いていて、目が生気を失っている。
「あ、あれは……」
セシリアはその少女に見覚えがあった。
初めてアナスタシアを襲撃した時、客間でアナスタシアと名乗る少女が現れた時。
セシリアですら、この騒動の元凶だと分かる人物。
そんな二人が倒れている。
きっと、相対していたユリスがここまでの傷を追わせたのだろう。
道を開く為、アナスタシアを救う為、邪魔をする敵を排除しただけ。正義は、こちらにある。
のだが────
「申し訳ございません。少し、この子に触ってもいいですか?」
セシリアは、自然と少女達に歩み寄っていた。
「……え?」
少女────リンネはいきなり現れたその声に驚いた。
追っ手か? そう警戒したが、現れたのは戦闘能力が皆無な修道服を来ているセシリア。
警戒は薄くなるが、逆にどうして声をかけてきたのかが疑問であった。
セシリアは少女の反応を無視して、焼けただれたアンネの腕を触る。
普通の火傷ではない。ただれたあちこちから、黒い瘴気が溢れ出ていた。
「ゅ……ぁぁ……」
アンネは、息という息をしていない。
まぁ、それもそうだろう。何せ、胸を綺麗に貫かれているのだ。まともに息ができているリンネの方が不思議。もしかしたら、妹を守る姉の意地なのかもしれない。
「……何をするの?」
「治療をするだけですよ」
「……ど、うして? あな、たは……私達の敵で……しょ?」
至極当然の反応。
先程まで、命を奪おうとしていた自分達に対して、どうして治療しようと考えたのか? 抱いて当たり前の疑問。
そもそも、セシリアの言葉を疑う事なく疑問を投げかけているのは、きっとリンネも余裕がないからだろう。
だが、それでもセシリアは関係なくきっぱりと言い放つ。
「だからといって、目の前で傷ついた人を見捨てる事はできません。それに……このままでは、ユリスは全部罪を背負っちゃいますから」
少女を殺した。
今まで、ユリスは何人も己の信じる道の上で殺してきただろう。
だが、慣れる訳じゃない。いつかどこかで、罪悪感に押し潰されそうになる日が必ずやってくる。
ユリスの隣に立つと決めたのだ。
その罪は、自分も背負いたい。
そう言って、セシリアはリンネを無視してアンネの体を再びまじまじと見つめる。
(あぁ……やっぱり。ユリスは、もう……)
少女の体を見て、セシリアは本当に泣きそうになってしまう。
それがどういう意味をしているのか、側で空いた胸を押さえるリンネには分からなかった。
(癒しの力ではダメでしょうね······)
目を伏せ、チラリとリンネに向かってぽそりと口を開く。
「……今からする事は、誰にも言わないでくださいね」
そして、セシリアはポケットに入れていたロザリオを取り出して、アンネの額の上に置き、セシリアは祈る様に手を握りながら目を伏せる。
────その姿は、いつもの癒しの力を使う時とは、まるで違った。
「……奇跡は、起きるものではなく起こすもの」
セシリアが言葉を紡ぐ。
すると、ロザリオを中心に薄らと、眩い美しい光が溢れ始めた。
「こ、これ……?」
突然の事態に、リンネが驚きの声を上げる。
だが、その声はセシリアの耳には届かない。
「不幸に堕ちる者には救恤を。奇跡を起こさぬ女神には断罪を。奇跡を起こす悪魔には祝福を。全ては、救い奇跡を求める者に救いを与える為。手を差し伸べる者は公平に。泣いた赤ん坊を拾うように、憐れな子供の代償を拭うように、誰彼構わず引き金を引かせる」
光はアンネとリンネの体を覆い尽くす。
その中心にあるロザリオは輝きを失い、その光景はロザリオの光を二人の少女に分け与えているかのようだった。
「私は博愛、慈愛の名の元に、慈善を行う者。美徳の上に成り立つ救いを────弱虫で臆病な無力の私が、神に変わって奇跡を起こします」
顔色が悪くなったセシリアが、最後の
「その奇跡は、罪ある人をも救い出す────
そして、眩い光は全て、アンネとリンネの負傷箇所に入り込んだ。
負傷箇所を覆っていた黒は全て消え、元の白い肌に戻し、原型を失った脚部が原型を取り戻す。
胸に空いた穴は、綺麗に埋まっていた。
目の前で起こった光景はまるで奇跡のようだ。
僅か数秒の間に、死の淵を彷徨っていた人間を、現世へと連れ戻した。
奇跡を起こした少女。
その姿は、まるで────
「……聖女」
「いえ……私は、聖女ではないかもしれません」
そんなリンネの呟いた言葉を否定するセシリア。
顔は青白く、今にも吐き出しそうなほど体調が優れない。
(この力はいけません……やはり、私はお姉ちゃんやユリスのようにはなれないようです)
「うっ……」
胃から込み上げてきた何かを、セシリアは吐き出さず口で留める。
その味は、鉄がこべり付いた嫌いな味であった。
(やっぱり、この力を使っているユリスは、長くないかもしれませんね……)
そんなの、昔から分かっていた。
だけど、今の今まで止めてこなかった────複雑な感情故に口にしなかったが、今になって後悔が湧き上がる。
だけど、それは罪なのだと。
特別な力を持たない少年が特別な力を求めた故の代償。
支えると決めたあの日から、言えなかった予感が、体感として確信に至る。
「────ここにいたか、セシリア」
そして、背後からそんな声が聞こえてきた。
「……ユリスは、知っているのですか?」
「
「そう......ですよね」
「どうせ
分かっている。それぐらい、
「そうやって、
そう言って、現れた者はセシリアを抱えてその姿を消した。
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