厄愛の教徒

 屋敷の壁が破壊され、そこから飛び出したのはセシリアを庇うように抱き締めたユリスであった。

 勢いは殺しきれず、そのまま何度も地面をバウンドしながら、ユリスの体は障害物を薙ぎ倒し破壊していく。


 何が起こったか分からぬまま、咄嗟の判断でセシリアの身を庇えたのは幸運かもしれない。


 勢いは徐々に衰え、屋敷を囲む塀を壊し抜けた辺りで地面を転がり、ユリスの服が土埃にまみれながらも、ようやく勢いが完全に止まった。


「かは……ッ!」


 ユリスは咳き込む。

 口から出てきたのは血の塊。どうやら、内蔵の何処かを怪我してしまったようだ。


「大丈夫ですかユリス!?」


 セシリアは自分の身を庇ってくれたユリスを心配した。

 吐血した様子を見て、すぐ様己の癒しの力を行使しているあたりは、流石の判断である。


「くそっ! 何が起こった……!」


 突然の事態に怠惰アケディアが行使できなかったユリスは久方の傷を負う。

 何が起こったのか────その原因が分からない。ユリスの目には先程まで『アナスタシア』が立っており、視界がブレたかと思えばこうして屋敷の外まで吹き飛ばされてしまった。


 原因不明。その不快。

 そして────


「あの魔女が……ッ!!! 絶対にぶっ殺してやる!!!」


 アナスタシアの中に宿った魔女に対する苛立ちが、ユリスの中を支配していた。


 いきなり現れ、この場をめちゃくちゃにし、一方的なゲーム押し付け、こうして己に痛みを負わせた。

 未だに現状が理解できていないにも関わらず、勝手に話を進められた事が、ユリスにとっては許せなかった。


 それ以上に、親しくしてくれた人間が死に、アナスタシアという存在が奪われる。

 それが何よりユリスの憤怒を刺激した。


「……ユリス」


 唇を噛み締めながら憤怒を堪えるユリスを見て、セシリアは心配そうな顔をする。

 セシリア自身も、今の現状は理解できていない。


 何が起こったのか? ほんの少し前までは平和な日常が広がっていたはずなのに、どうして目の前には悲劇が広がってしまったのだろうか? それがセシリアの顔を歪めてしまう。


「上等だ……絶対にあいつの前に顔を出してやる!!!」


 そして何より、自分を抱き締めてくれている愛しい存在が、こうして憤怒している事が、何より辛いものであった。

 気持ちは分かる。親しくしてもらった者が突然あの世に逝き、アナスタシアという大切な幼馴染が奪われてしまったのだ。


 故に、憤怒に駆られているユリスを見ていると胸が締め付けられてしまう。

 苦しんでいるのだと伝わり、セシリアの目には


 ユリスがどんどん歪んでいくようで、辛かった。


「セシリア……アナスタシアを取り戻すぞ」


「は、はいっ!」


 ユリスの言葉に、セシリア頷く。

 辛くても、まずはアナスタシアを取り戻す事が先決なのだ。


 勝負────などと、巫山戯た事を言っていようが、方法は開示されたのだ。

 そこを目指さない訳がない。

 自分自身、力になれるか分からないが、それでも何としてでも、という決意をセシリアは胸に抱く。


 その時────



「あぁー! やっと解放されたよ〜!」



 ユリスとセシリアの視線が一つに集まる。

 声のした方向。そこからは、黒い修道服を着た妙齢の女性と、ローブを羽織った双子の少女がゆっくりと現れた。


「流石は魔女様ね。愛がとても重かったわ」


「お母さんも、あの愛は受け止めきれなかったわ〜。ふふっ……素敵、やっぱり、素敵だわ〜」


「笑い事じゃないよお母さん! 私、愛をあげたくても何もできなかったんだよ!? 私も、魔女様に溺愛したかったのに、もうっ!」


 ユリスの憤怒とは裏腹に、楽しそうにこちらに向かってくる。

 二人はユリスにとって見覚えのある顔であり、『アナスタシア』の言う事が正しいのであれば────


「お前らが、ここの人間を殺したのか……?」


「私は殺してないわ。殺したのはクソ野郎とアンネよ」


「えぇ〜!? 殺したのはエリオットだけだよ〜! 私はただ、溺愛してあげただけなんだよ!」


 ユリスの問いに、緊迫の欠片も感じさせない返答。

 それが、余計にでもユリスの憤怒を刺激する。


「まぁまぁ、二人共……まずは自己紹介をしなきゃ。この人達は、魔女様の大事な客人なのですから」


「はーい!」


「はい」


 そして、双子を置いて修道服の女性がユリス前へと歩み出た。


「初めまして。私は邪教徒、厄愛が教祖────セレスティア。全厄愛の信者の取り纏めをしております」


「はいはーい! 同じく厄愛が神官、『溺愛』のアンネで〜す! よろしくねお兄ちゃん!」


「同じく、厄愛が神官、『欲愛』のリンネよ」


 そして、教祖と名乗る女性に続き双子もそれぞれが名乗っていく。

 邪教徒。その言葉に聞き覚えがあったユリスは顔を一瞬だけ顰めるものの、気にせず鋭い目つきで立ち上がった。


「私達は救済を運ぶ者です。愛に飢え、愛を欲し、愛を知らぬ者に愛という厄災を与える────そうする事によって、世界は魔女様の元……救済されるのです。そもそも、始まりは数百年も前に遡ります────」


 女性は一冊の本を取り出し、ペラペラと読み上げる。

 聞きなれない単語が飛び交い、セシリアもユリスの背中に隠れたまま怯えた目をしているばかり。


 やがて、我慢の限界が訪れたユリスが言葉を発した。


「おい、俺達はお前らのくだらない話を聞いてる暇なんてねぇんだ。後でちゃんと殺してやるからそこで待ってろ」


 間違いなく、平和な日常を壊したのは目の前にいる三人だ。

 当然、許すつもりも毛頭ないし、ここで退くなんて選択肢も持ち合わせていない。


 だが、まずはアナスタシアを取り戻すのが最優先。

 ゲームの形に則っているのであれば、辿、彼女は取り戻せるのだ。


「あらあら……つれませんねぇ」


 片手を頬に当て、少し寂しそうにするセレスティア。

 しかし、お構い無しにユリスは屋敷に戻ろうと傲慢スペルディアを行使する。


 だが────


「んなっ!?」


 ユリスは、座標を移動させる事ができなかった。


「ふふっ、どうされたのですか?」


 驚愕するユリスを見て、セレスティアは妖艶に笑う。

 後ろの二人もクスクスと笑うが、今のユリスはそれを気にしている場合ではなかった。


 ────先程とは違い、理由は分かる。

 傲慢スペルディアの発動条件はユリス自身が満たしている。

 だが、それでも傲慢スペルディアが発動しないのは────


「景色が……歪んでいます……!」


 セシリアもユリス同様、周りを見渡しながら驚愕する。

 気付かぬ間に景色が歪んでいる。目の前にいる者達の姿形は歪まず、ただただ空や屋敷や庭園が……文字通りくの字に歪み切っているのだ。


「やはり、あの方の『掌握』は素晴らしいですね。予想通り、貴方様は移動させる際には視覚で場所を認知しなければならない────逆に言えば、移動する先を


「エリオットくんかっしこ〜い♪」


 苦悶の表情をするユリスを見て、笑うアンネ。


 事実、ユリス傲慢スペルディアはセレスティアの言う通り、移動する先の座標を正確に認識しないと移動する事ができない。

 不鮮明であれば、今いる座標と移動する先の座標が重ねる事などできないからだ。


 どうしてそれを知っている? などという疑問がユリスの頭を埋め尽くす。

 ユリスとて、傲慢スペルディアの弱点は理解していたが、まさか実行されるとは思わなかったし、誰にも口にした事はなかった。


 しかし、ユリスすぐ様顔を引き締めた。

 それは、憤怒ではなく傲慢故だった。


「はっ……だからなんだって言うんだ」


 ユリスはすぐ様指を鳴らし、小さな鼠を呼び出す。

 そのままユリスと同じ姿形変えると、そのままセシリアを抱えた。


「きゃっ!」


「セシリア……また後で」


 そして、ユリスの姿に変わった鼠はセシリアを抱えてそのまま後方へと走り去っていく。

 どうやら、ユリスの判断は『セシリアの安全を確保する』という事のようだ。


「あれ〜? お姉ちゃんはいなくなっちゃったの〜?」


「まぁ、当然の判断じゃないかしら」


 だが、セシリアを逃がしても三人が追う気配はなかった。

 それは余裕という傲慢故か、何か策があるからなのか……それは分からない。


 それでも、ユリスは考えない。


 セシリアを抱えて傲慢スペルディアで移動できないのであれば、邪魔者を排除するしかなくなったのだから。


「いい度胸だ……覚悟しろよ邪教徒────憤怒の魔獣の力を……憤怒を抱えた俺が見せてやる」


 逃げるという選択肢はない。


 ただ、ユリスは手袋をはめ直し、激情を顕にする。

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