強欲の魔獣

 城内が一気に慌ただしくなる。それは襲撃あっての事であり、砦が壊されたとなれば、武闘祭が行われるはずであっても動かざるおえない。襲撃者の対処や避難誘導、警備の強化など────休む暇など与えてはくれないのだ。

 そんな喧騒はもちろん、武闘祭を見に来た客人達にも伝わっている。


「……ねぇ、これってかなりヤバい感じなのかな?」


「何が起こったかは分からないけど、やべぇのは確かだな……」


 語彙力のない不安が混じる呟き。

 王城の傍、観客用に割り振られた宿屋の一室で、ミラベルとリカードが神妙な顔つきで漏らす。

 宿では忙しなく足音が聞こえ、生徒達に動かないように声を掛け合っている様子が伝わってくる。


「と言っても、私達にできることなんてないわよ……大人しく、ほとぼりが冷めるのを待ちましょ」


 そう言いながらも、剣の柄を握り即時動ける体勢をとるアナスタシア。

 ここも襲撃されないとは限らない。ザガル国の兵士や講師陣が守ってくれているとは言え、自分の身は自分で守らなければならない────それは、己が武人であるからだ。


「俺達も援護に向かった方がいいんじゃないか?」


「馬鹿ね、


「そうだよね……ちょっと悔しいけど」


 アナスタシアは己の力量を理解しているのか目を伏せ、その言葉が突き刺さったのかリカードとミラベルが悔しそうに俯く。

 三人はまだ学生。それも足を突っ込んだだけの弱者なのだ。だからこそ、ミラベル含む生徒達は宿屋で待機を命じられた。ましてや選ばれし武闘祭参加者も同じように待機している。


 それほどまでに、襲撃者が脅威なのだということ。


「し、失礼します……」


「失礼致します」


 そんな時、不意にアナスタシア達のいる部屋が開かれる。

 現れたのはおずおずといった様子で覗き込むセシリアと、堂々としているエミリアだった。


「どうしたのかしら?」


「私達も待機を言い渡されまして────どうせ大人しくするなら、皆さんがいる場所の方がいいかと」


 セシリアの背中を押しながら、エミリアが中に入る。入り口にはエミリアの護衛がひっそりと固め、続いて入るような事はしなかった。


(……あら、鼠かしら?)


 その際、小さな鼠が入り込んだのをアナスタシアは見かける。だが、それも些細な事だと、アナスタシアはセシリア達を見据えた。


「ま、いるなら皆一緒の方がいいよな」


「そうだよね……皆がいると、心強いからね!」


 ミラベルとリカードがその場を元気付けようと、その声と表情を明るくさせた。

 それを見て、エミリアとアナスタシアの表情が一瞬だけ和らぐが……セシリアだけは違った。


「あの……ユリスを見ていませんか?」


「ユリス? そう言えば、見てないな」


「セシリアは一緒じゃなかったのかしら? てっきり、前夜祭に参加していたから一緒に待機してるものだと思っていたのだけれど……」


「えぇ……会場で別れてから一度も……」


 セシリアがあからさまにしょんぼりする。やはり、セシリアはユリスが見当たらなくて不安に駆られているのだ。皆が一緒にいるにも関わらず、たった一人の存在がいないだけで。


(でもおかしいわね……ユリスがセシリアを放って置くわけがないと思うのだけれど……)


 ユリスはセシリアを大事に思っている。それは過保護と言っても差し支えないほどで、襲われただけで憤怒イラの条件を満たしてしまうぐらいに。

 だからこそ、アナスタシアこんな状況でユリスがセシリアから離れるとは思えなかったのだ。


 だが————


『悲しいなぁ……俺はずーっとセシリアの傍にいたのに気づかないなんて』


 すると、不意に室内から声が聞こえた。

 余裕そうに、神経を逆撫でしそうな程挑発的に、その声はその場にいる者に声をかけた。


 皆が一斉にその声の主を探す。だが人の姿など見当たらず、この場にいるのはセシリアとエミリア、リカード、ミラベル、アナスタシアに────小さな鼠。


「……まさか」


『その通り────』


 アナスタシアが気がつくと、鼠が忽然と消える。そして、黒い渦を発言させやがてその姿を変えていき────


「よっ! ユリス・アンダーブルク、ただいま参上!」


 手を上げ、腰に手を当てた状態で鼠がユリスに変わる。

 サプライズなのか、その表情には笑みが浮かんでおり緊張感など一切漂っていない。


「ユリスっ!」


 セシリアがその鼠────だった者に勢いよく飛び込む。不安だったのか、その目尻には薄らと涙が浮かんでおり、安堵と嬉しさが相まってしまったのだろう。

 だが、生憎とセシリアの抱擁はからぶってしまう。


「……え?」


 ユリスの体に触れようと、抱きつこうとした瞬間、霧がかかったかのようにその手がすり抜けてしまった。

 その光景に、皆一同が目を丸くしてしまう。


「あ、俺って今ここにいないから」


 ユリスが呆気からんとそう口にする。だが、セシリアはユリスに触れたいのか、必死に触れることの無いユリスに向かって何度もムキになりながらペタペタとしていた。

 その姿に、可愛いと思ってしまうユリスであった。


「……どういう事よ?」


 アナスタシアが訝しむ目を向ける。

 その間にミラベルやリカード、エミリアは触れれないユリスが珍しいのかペタペタとセシリアに続いて触ろうとしていた。


「それより、今日のお前の下着って白なんだな」


「ッ!?」


 アナスタシアが顔を真っ赤にし、スカートをすぐさま押さえた。

 いつもであれば、携えた剣をそのままユリスの喉元に突きつけるのだが、触れられないと分かってしまった為、今はこうして乙女の尊厳を今更ながら守ろうとした。


 それに続いて、さりげなく他の女性陣も少し顔を染めてスカートを押さえた。

 ただ、ユリスが鼠でいた際に視覚的に見えてしまっただけなのだが————彼女達はどうやら気づいていないみたいだ。


「い、いいから答えなさいっ!」


「いや、本当にごめんなさい。悪気もなかったですし、デリカシーに欠けた発言なのは分かりました、本当にごめんなさい」


 下着を暴露されたアナスタシアが涙目でユリスを睨む。その瞳は後で殺すとでも言わんばかり。

 だからユリスは直角に頭を下げて心からの謝罪を口にしたのであった。


「そうです! こうして喋っているユリスはユリスなのですか!?」


 質問なのか質問じゃないのか? 現状が理解できないセシリアは慌ててアナスタシアと同じように問い詰める。

 それに対しユリスは肩を竦めて応えた。


「今の俺は、俺であって俺じゃない」


「「「「「ッ!?」」」」」


 ユリスの姿が急に闇に覆われ、その闇が地を這いつくばり新しい闇を作り出す。

 闇が晴れた瞬間には別のユリスがまた一人、その姿を現した。


「俺達はあくまで陰でであって人じゃない」


「個じゃなくて集団、人じゃなくて鼠、メインじゃなくてサブ」


「きっと今頃、本体オレは脅威を取り除きに動いてるんじゃねぇか?」


「違いない違いない」


 くっくっく、と笑うユリス達。

 ユリスが二人に増えたその光景に、セシリア達は言葉が出なかった。


「俺達は本体オレの強欲を満たす為に生まれた存在」


「これなら、前みたいにセシリアが傷ついてしまう前に助ける事ができるからな」


「前みたいなヘマはやらかさない」


「守れる者は全てを守る―———それが、強欲」


 息が合ったかのような二人のユリスの言葉。

 その言葉に、エミリアは少し引っかかってしまった。


(今の言葉はユリス様があの時に仰っていた言葉……)


『……全てを助けようとするのは強欲だ。人一人の力には限界があり、差し伸べるその手も無数ではない————ここで何かを切り捨てなきゃ、本当に守りたい者は守れない』


 ユリスが、本当に強欲の為に今の現象を起こしているのであれば、あの時に言った言葉は乗り越えなくてはならない。

 助けたい―———けど、、助けられる者も限られる。それでも、多くの者を助けたい……親しい者を全て守りたい―———それが強欲。


 だけど、人一人でなくなれば? その手が無数に広がれば?

 ユリスの強欲は解決できるのではないか?


(あぁ……なるほど、そういう事なのですね)


 だから鼠なのかと、エミリアは一人で納得する。

 そして、そんなエミリアを他所に————ユリスが答え合わせをするかのように手を広げ、その一人のユリスを吸収する。


「強欲の魔獣、その権能は————守りたい者を全て守る為のだ」






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