12
――あそこは何なんですか。
傷の手当てをされながら、私は訊いた。あちこち痛んだが、関孝太郎の荷物の中にあった瓶の中の薬を身体に塗ったら、たちまち血が止まり、傷の痛みが引いた。
「ここから北に二キロほど行ったところに動物園があったんだ。うん、そう、あれは動物園だった。看板に『動物園』って書いてあったからきっとそうなんだろう。たぶん、そこに元々いた動物たちは三通りの生き方を選んだと俺は解釈してる。一つ目は管理者の不在で単体じゃ生きていけない動物が命を落とす。二つ目は元々動物が住むように作られていた動物園に今もなお住み続ける。三つ目はさっきの猿たちみたいに外部に住居を求める。二つ目の道を選んだ動物たちに追いやられて仕方なく外部に住処を求めたんだろうな。その結果、あのドームは『猿の惑星』になった。知ってるか? 超レトロフィルムだ」
――あの猿たちが?
「ああ。あれは元々野生だったやつじゃない」
――どうしてわかるんですか。
「俺たちの国の固有種じゃないからさ。マントヒヒとかそんな感じの名前のやつじゃないかな」
これで全身の傷に薬は塗ったぜ、と彼は言った。荷物から替えの衣類を取り出して私に投げ渡してくる。
「さ、行こうぜ。無理そうだったらもう少し休憩してもいいが」
服を着て、立ち上がってみる。痛みはもうほとんどないので、大丈夫そうだった。
結局、日が暮れても街の端には辿り着けなかったので、廃屋で朝まで休憩することになった。夜には進んじゃいけないのか、と尋ねると「夜は夜でおっかないやつらがうろついてたりするんだ」と答えられた。先ほどの猿の例があるので、そんなことを言われたらあまり出歩きたくはなくなった。
途中で狩ったウサギを関孝太郎が捌き、火を焚いてそれを炙る。
「こうやってあいつ抜きで二人で飯を食うのは初めてだな……いや、今日の昼飯で食ってるか。二度目だな」
ウサギの肉を頬張りながらそういう彼の顔を見て、彼なら答えてくれるかもな、と思って、ずっと気になっていたことを尋ねてみることにした。
だが、いざ問いかけようとすると中々言葉にならなかった。
そんな顔を見てか、彼はふっと笑い「一緒に過ごしてる家族みたいなもんだろ、別に何も気にする必要はない。言いたいことがあるならはっきり言え」と言ってきた。
――私たち、凍刑囚なんですよね。
「……そうだが?」
関孝太郎は私の質問で些か怪訝そうな表情をした。
――凍刑ってのは死刑に取って代わった刑罰なんですよね。
「そうだな」
――一体、あなたは何をして凍刑を受けることになったんですか。
「……知りたいか?」
深刻そうな顔で関孝太郎は訊いてくる。
――純粋な好奇心からです。雪さんには訊いたことはありませんが。
「そうだ、俺は人殺しだ」
人殺し。同族殺し。それこそがもっとも重い罪。凍刑囚とはすなわち人殺しなのだ。殺人者なのだ。やはりそうだったか、と首を縦に振りかけたが、次に関孝太郎の口から出てきた言葉で彼の言いたいことがまったくわからなくなってしまった。
「……だが、俺は人を殺しちゃいない」
――どういうことです? 人殺しなのに人を殺していない?
「人殺しだから俺は凍刑というもっとも重い罰を受けた。俺以外は俺を人殺しだと思っていた。友人や会社の同僚、知人、関係者一同、そしてこの国の全国民。だが、俺と俺の家族だけは知っている。俺は人を殺していない」
――あなたは人を殺していない。
「そうだ。殺したのは俺じゃない。妹だ。妹が両親と祖父母、そして弟を殺した。でも、俺の妹は善悪の判断のつかない、心の病気を患っていたんだ。妹は悪くない。妹は何も罪を犯しちゃいない」
――じゃあなんであなたが。
「今言ったじゃないか。妹は悪くない。俺が罪を被れば世間的には妹は殺人者じゃない」
――だからって何で。
「さあ、なんでだろうな。妹が捕まっていれば精神異常で病院送りに違いなかったけど。なんだか、妹に悪いレッテルが貼られるのが許せなかったんだ、当時の俺は」
――なんであなたの妹は家族を殺したんですか。
「わからない。その日は仕事だったんだ。残業で夜遅くに家に帰ったときにはすでに事後だった、リビングは血塗れだった。床に死体がごろごろ転がっていた。ソファに妹が座っていた。真っ赤に染まった妹が、屈託のない笑顔でお兄ちゃんお帰りって言ってきた。テーブルの上には血に濡れた包丁があった」
彼は表情を変えなかった。
「そのときの俺は、妹がやったんじゃない、と自分に言い聞かせるのに必死だった。すぐに警察に電話をしたはいいものの、どうしてか知らないが『自分がやった』と言った。警察に連れて行かれるとき、『お兄ちゃんを連れて行くな! お兄ちゃんを返せ! 私もお兄ちゃんと一緒に行く!』って泣きながら叫んでいた妹の声が耳に焼きついて今でも離れない」
――妹はどうしたんですか。
「遠い親戚に引き取られたよ。でも、さっきも言ったけど、妹は病気だったんだ。善悪の判断なんていつまでたっても身につきやしない。俺の凍刑が決まったあとに親戚一同、皆殺して結局捕まっちまった」
――それじゃああなたのやったことは。
「無駄だったのかもしれないな。いや、むしろ最悪だ。親戚まで殺しちまってるんだから。俺は殺してないが、俺が殺したも同然っちゃあ同然だ。結局妹は精神病院に入れられ、そこで自殺した。看護師の持ってきた果物ナイフを一瞬の隙に奪ってそれで首を切って死んだらしい。俺の刑が執行される三日前の話だ。枕元に汚い字で『お兄ちゃんさようなら』と書かれた紙が置いてあったそうだ」
そう話した彼は悲しそうな目をしていた。
「まあ、俺のこの話を信じるか信じないかはお前次第だ。俺が勝手に創作した話じゃないなんて証拠はどこにもない。もしかしたら俺は今までに何十人も何百人も殺した大量殺人鬼かもしれない。だからと言って別にお前を殺したところで何かメリットがあるかといえばないからな。この世界で――この目覚めた世界で人を殺すようなことはしないから安心してくれ」
――そんなこと言わなくても、あなたは私を殺さない。
「ほう、どうして?」
――さっき助けてくれたじゃないですか、私が襲われたときに。
「ハッ」
関孝太郎は悲しそうな顔から一転して笑顔になり、私の肩を叩いて「ありがとよ」と言った。
――同じ理由で、雪さんも私を殺さないと思います。彼女は目覚めたての私を助けてくれた。
「ん? 雪からは聞いてないのか」
――何を?
「雪も人殺しじゃない」
――聞いてないです。
「ん、まああいつは自分の話を滅多にしないからな。俺も一回しか聞いたことないから詳細はわからない。でも、あいつは俺みたいに自分から罪を被ったわけじゃなくて、被せられたみたいなんだ。八年前――いや、もっと前だけど――雪が十五歳のときの高校での話らしい。友達がクラスメイトを惨殺しているところを偶然目撃しちゃって、その場で友達は自分を傷つけて逃げ出し、雪がやったんだと証言したそうだ。目撃者はその友人一人。一人殺し、一人に重傷を負わせた罪を着せられて有罪、凍刑。そして今に至る。ざっとこんな感じらしい」
――冤罪。
「ん、そんな言葉は組み込まれてるのか。そうだよ、冤罪だ」
――じゃあ彼女は何の罪もないのに、何もしていないのにこんな場所で不自由な生活を強いられているのですか。
「ああ、あいつは何もしていない。俺は自業自得だから仕方ないが、あいつはとばっちりでこんなわけもわからない時代に飛ばされたんだ。不憫でならない。タイムマシンでもあったら、あいつだけは元の世界に戻してやりたいぜ」
その話が本当かどうかは俺にはわからないけどな、と関孝太郎は続けた。
そうだ、結局自分の真実を知るのは自分自身なんだ。彼の事実は彼しかわからないし、彼女の事実は彼女自身にしか知る術がない。
でも、彼女は凍刑に処せられるような人間では決してないように思えた。見ず知らずの、会ったばかりの私を助けてくれた。右も左もわからない状況の私に手を差し伸べてくれた。自分のことすらわからない私だが、彼女は――不知火雪は信じても大丈夫だ、と心のどこかで思えた。無論、この目の前の男、関孝太郎も。
「……お前はどうなんだろうな」
ふと、関孝太郎はそう呟いた。
「お前は自分自身のことをどう思ってる?」
――どうって……。
確かに私はどうなのだろうか、いきなりの質問で答えにつまった。彼らと同じように私もまた凍刑囚なのだ。
「お前も十五、六歳、雪が凍刑を喰らったのと同じくらいの年齢だ」
――私は、正直わからない。自分がいったいどんな罪を犯してこの場にいるのか……知りたいという気持ちもあるし、このまま知らないほうがいいのかもしれない、という気持ちもある。いや、むしろ後者のほうが幸せに、というわけではないけど、誰も不幸せにはならないと思う。
彼は相槌も打たず、静かに私の話を聞いていた。
――もしも私があなたたちみたいな人間ではなく、本当の殺人鬼だったらどうします? 私はあなたたちとうまくやっていく自信がない。下手をすれば殺してしまうかもしれない。もちろん、そうじゃないかもしれない。でも、断言はできない。ここにその私の記憶はないのだから。
「じゃあ、お前は誰なんだ?」
――私は……。
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」
――何ですか、それは。
「さあ、俺は基本的に無学だからな。どっかでこんな台詞を聞いた。昔のお偉いさんが言ったんだろ。『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』。なんか今ふと思い出しただけだ」
――その答えは何なんですか。
「これの、か? それは自分で答えを出すもんじゃねえのかな。特に、二番目の問いについては、お前さん自身が」
――我々は何者か。私は何者か。
「まあ、俺が言うのも何だけどよ、そのうち見つかるさ。否が応でも」
そしたら三番目の問いの答えを一緒に探そうぜ、と関孝太郎は笑いながら言った。
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