11

 目覚めてから二ヶ月ほど経過して、たった三人の生活にも慣れてきた。

 不意に夕食の席でこの街の外はどうなっているのか尋ねてみた。

「街の外?」 

 ――そう、街の外。この街の外には、一体何があるのか……

「何もねえ」

 ――何も?

「そう、何も、だ」

 私は横目で不知火雪を見る。

「……ああ、何もない。本当に、何もない」

 ――何もない、とは一体どういう意味なんですか。

「だから何もないのさ。何も見当たらない。何なら自分の目で確かめてみるか?」

 ――自分の目で?

「おう。百聞は一見に如かず、ってな」


 その次の日、私は外に出る関孝太郎についていくことになった。「自分の荷物は自分で持ちやがれ」と彼に言われ、自分用の荷物を作る。持っていくものの種類はわずかだったが、重量はそれなりのものとなった。彼の荷物は、私の一・五倍くらいの大きさがあったが、重さを感じさせぬほど軽々と持ち上げていた。

 塀の外へ出て、関孝太郎はまずその辺に落ちていた木の棒を拾う。木の棒を地面に突き立て、手を離す。重力に従ってその棒は地面にパタリと倒れた。関孝太郎はその倒れた方角へ視線を遣る。

「ふむ。北西か。運がいいな、早く行けば今日の夜には街の外へ出られるぞ」

 ――棒の倒れた方角へ?

「そうだ。考えて決めるよりそっちのほうが楽しい」

 何が楽しいのか私にはさっぱりだったが、彼がそう言うのならそうなのだろう。

 歩き始めた彼の後ろを遅れないようについていく。

「ちょっと速いか?」

 数分歩いただけで息の上がった私をみて彼はそう言った。確かに、彼のペースに合わせると若干辛い。さらにいつもと違って大きな荷物も抱えているのだ。速い、と答えるとすぐに彼はペースを落としてくれた。

 時たまビルが倒壊していたりして道が塞がれていることがあるが、進む道は基本的に整備された道路だった。

 日が高く昇る。かれこれ数時間は歩いている。関孝太郎が私のペースに合わせてくれているので、思っていたほど疲れは感じない。

 ふと、横に球形の屋根の建物が現れた。今まではビルのような高層の建物が密集していたのだが、急に開けた場所に出て、それが視界に飛び込んできた。

 ――あれは何ですか?

「あれは……ドームだ」

 ――ドーム。

「そう、あの中で野球とか、サッカーとか、コンサートがある。……野球とかわかるか? 人工記憶の中にそんなもの入ってたっけ?」

 ――はい、知識としてなら。点数を競い合ういわゆるスポーツですよね。

「そうだ。生憎人数が足りないから俺らでじゃあできないけどな」

 彼は辺りをキョロキョロと見回し、日陰になっているところを探して、そこに腰を下ろした。

「ちょっと休憩だ。昼飯にしようぜ、今日は弁当があるしな」

 弁当は、パンと燻製された肉だった。相変わらず味つけは薄く、決して美味しくはない。だが、一か月以上も口にしていると身体が順応してくる。慣れればなんてことはなかった。

 ふと、何かが叫んだような甲高い声が聞こえた。ドームのほうからだった。気になって立ち上がると、「俺はここにいるから探検してきてもいいぞ」と彼は目を瞑りながら言った。

「おっとそうだ、これを持っていけ」

 大きな鞄から何かを取り出して私に投げ渡す。金属製で、ずっしりと重い。先端部分が曲がり、二又になっている。バールだ。何のために、と問うと、「武器だ」と答えられた。

「それで開かない扉を壊したり、あいつらに襲われたときに使えばいい」

 ――あいつら?

「まあ、行けばわかる」

 あいつらとは何のことだろうか。私たち以外に人でもいるのか? いや、そんなはずはない。彼自身が「この街には自分たち以外の人間はいない」と言っていたではないか。

「俺は寝てるから気がすんだら起こしてくれ。どちらにしろ、このペースで最短ルートを行けば日が暮れて少しくらいで外に出られる」

 それだけ言って関孝太郎は再び瞼を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。

 彼の言う『あいつら』という存在が気になった。あの奇声のような音を発していたのはその『あいつら』なのだろうか。とにかく行ってみることにした。

 入口らしきところから中に入る。割れた窓から日の光が射し込んでくる。床にも壁にも蔓状の植物が蔓延っていた。

 階段があったので昇ってみる。薄暗い。

「キッ」

 私の横を何かが高速で走り抜けていった。薄暗くてシルエットだけしかわからない。少なくとも私たちと同じ種族の生物ではなかった。

 慌ててその背中を追いかける。階段を昇り切って、ふっと影は消えた。扉だ。大きな扉が目の前にある。私の腰くらいの高さに大きな穴が開いている。扉を開けようとしても、何かが引っかかっているのか、押しても引いても、力を込めても開く気配はなかった。穴は私が通るには少し小さく見えた。手に持っていた鉄の棒で扉の穴を広げられないか、と思い、扉にぶつけてみる。だが、扉も金属製で鉄の棒は跳ね返された。穴の大きさは見た感じ小さかったが、身体を縮めれば私でも潜れそうだ。先に鉄の棒を扉の奥に投げ込んでおき、次に自分の身体を扉の奥へ持っていく。

 扉の奥にはまた階段があった。上から光が射し込んでくるのか、扉の前にあった階段ほど薄暗くはない。

 臭いが変わった。青々とした植物の臭いと、どこか独特な獣の臭い。

 先程のシルエットの生き物はどこにも見当たらなかった。

 階段を昇りきると、一気に視界が開けた。

 すり鉢状になったその場所は、今まで見てきたどこよりも緑色で覆い尽くされていた。建物の中に森があるとは思わなかった。

 ふと、ザザザ、と蠢く音。音のした方向へ視線を向ける。

 毛の生えた、人間に近い種族。

 猿だ。

 さっき私の横を通っていったものだろうか。こっちを見ていない。

 一匹か、と思って近づこうとしたら、その後ろからぞろぞろと同じ種類の猿が現れた。二匹、三匹、四匹、五匹……。

 背後でも何かが動く音。ハッとして振り返ると、そこにも複数匹の猿がいた。

 その中の一匹と目が合った。それはカッと目を見開き、口を開いて牙をむき出しにする。奇声を発してその一匹が襲いかかってきた。咄嗟の出来事で反応できず、まともに猿の体当たりを喰らってしまう。爪が刺さる。後ろに倒れ込んでしまった。背中に激痛。呼吸が止まる。

 私の上に圧しかかっている猿を必死にどけようとあがくが、私よりも相当力が強かった。重い。視界の端で、他の猿たちが動くのが見える。彼らも私に襲いかかってくるのだろうか。

 鉄の棒はどこへ? いや、あっても役に立つとは思えない。

 腕を引っかかれ、痛みが走る。

 猿に殺されるのか。そう思うとなんだか力が抜けた。意識が遠のいていく感じがした。

 だが、大きな破裂音でふっと我に返った。現実に引き戻された。

 続けて二回、三回と鼓膜を劈(つんざ)くような音が響く。ふと身体が軽くなった。いつの間にか私の上にいた猿はいなくなっていた。それどころか、上半身を起こして周囲を見渡すと、十数匹はいたはずの猿が一匹もいなくなっていた。

「うーん、やっぱりこうなるか」

 猟銃を抱えた関孝太郎が私の脇に立っていた。

「いやあ、でもあんな群れで襲いかかってくるとは思わなかったな……」

 ほらよ、と彼が手を差し伸べてきたのでそれを掴む。ずきっと全身が痛んだので身体を見ると、至るところにひっかき傷ができて血が滲み出ていた。特に胸部にある傷は他よりも少し深く抉られているのか、真っ白だった服が徐々に赤く染まっていく。

「それ、どうにかしないとな、歩けるか?」

 ――痛いだけで、動けないわけではないです。

「無理すんな」

 そう言うと関孝太郎は私の身体をおぶった。

 私を背負った状態だとあの穴は潜れないのではないか、と思ったが、別にあれだけがここに通ずる道ではなかった。少し離れた場所に扉が全開の場所があり、私をおぶった彼はそこからドームの外へと出た。

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