10

 屋上に上がって建物の周辺を見渡す。

 荒廃しているのは一目瞭然だった。半壊したビル、全壊して見る影もない建造物。元々灰色であったはずの世界に緑色が走り回っている。高い塀の向こう側は見えづらく、この建物の周辺がどうなっているのかわからなかった。

 次の日に地図を手に思い切って外へ出てみることにした。不知火雪にその旨を告げると、夕飯までには帰ってくるように、とのことだった。

 敷地外、塀の外へ出る前に広場も見て回ることにした。建物は婉曲して半円を描いている。西方には少し広めの柵で囲まれた場所があり、そのところどころに木々が生えていて、そこに木陰ができて涼むことができる。道は石畳。それ以外の部分は芝生が群生している。だが荒れ放題になっているわけではない。小まめに手入れがされているようだ。

 柵で囲まれた場所へ向かってみる。運動場か何かかと思っていたが、そこにあったのは畑だった。現在、半分ほどが使用されている。

「あれ? 外に出たんじゃなかったの?」

 後ろから話しかけられる。声の主は不知火雪だった。

 ――その前にちょっとこの敷地内を見て回っていたんです。

「ああ、そうなの。ここで自給自足してるのさ。苦労したよ、ここまでするのに」

 ――私も手伝っていいですか?

「ん? 手伝ってくれるの?」

 ――はい。この探検が終わったら。

「ありがとう。すごく助かるよ」

 じゃあ行ってきます、と彼女に告げ、私は塀の外へ向かった。

 塀は見上げるほど高い。建物の二階分くらいはあるだろうか。突起部分がなく、かつ内側に向けてそり立っているため、昇ることもできないだろう。

 出入り口は一つ。今は開放されているが、この建物が凍刑場として機能していた時はちゃんと閉まっていたに違いない。

 外に出てまず視界に飛び込んできたのは広い駐車場だった。一定間隔で白い線が引かれ、区切られている。駐車場だと判別できたのは、打ち捨てられ錆びついた、丸みを帯びた車両らしきものがところどころにあったからだ。

 そのうちの一台に近づいて中を覗きこんでみる。前に二人、後ろに二人乗れる構造のシンプルな車。窓ガラスは割れ、シートからは名前のわからない白い植物が生えている。

 駐車場を出る。片道二車線の道路が目の前を走っており、半壊した大きなビルのところで右手に折れている。駐車場と同様にアスファルトは至るところでひび割れ、そこから大小様々な植物が顔を出している。

 最近雨が降ったのか、数メートル先には水たまりができている。そこに二羽の小鳥が降り立って水浴びを始めた。そっと近づいてみるが、私の気配を感じ取った小鳥たちはどこかへ飛び去っていった。

 顔を上げると、角のところにあるビルの影で何かが動いた気がした。大きな影だった。たった今見た小鳥のような小さな影ではなかった。その影を追いかけて角を曲がる。遠くで建物の間に消えていく黒い影が確認できた。おそらく大型の動物だろう。

 その影を追いかけることをやめ、近くの建物を見て回ることにした。

 どれもこれも綺麗な状態で残っている建物はなかった。中を覗きこんでみても、何もないか、あっても荒れてぐちゃぐちゃの状態のものしかなかった。看板がまだあるところも多かったが、植物が覆い隠していたり、砕け散っていたり、擦れてしまっていたりして読み取ることのできるものは少なかった。

 十数分ほど歩き、カフェテラスのようなところを見つける。私に組み込まれた記憶によって、それをカフェテラスだと認識しただけで、本当にカフェテラスなのかは定かではない。椅子とテーブルが存外綺麗な状態で外に置かれていた。それに腰かける。

 私の人工の記憶にある『街』というものは、人が溢れ、道路は車で埋め尽くされ、喧噪に支配されたものであった。無論、それしか知識を持ち合わせていないだけで、それが全てだとは到底思えないのだが、この街の状態は私の知るそれとはまったく正反対のものだ。

 ふと、砂利を踏んだような音が聞こえた。思わず身構えて椅子から立ち上がる。椅子の擦れる音が閑静な市街地に響く。急に足元を小さな影が走り抜けていった。長い耳、灰色の毛並み。ただのウサギだった。その小さな影は向かい側のビルの中へ逃げ込んでいった。


 日の落ちないうちに帰ることのできる範囲内で、二、三日ほど街中を歩き回ってみた。少なくともこの建物の周辺には本当に人っ子一人いないということはわかった。生きている、動いているのは動物たちばかりだった。

 世界が滅びたのか。人間が滅びたのか。人工的に作られた記憶にはそれらに関する知識は一切組み込まれていなかった。

 不知火雪に尋ねてみる。だが「僕も知らない」と返事をされるだけだった。

「世界大戦でも起きたか、はたまた宇宙人にでも攻め込まれたか。あるいは科学の発達により宇宙に逃げたか、それとも別の時間に逃げたか。ウイルスを開発して発生したゾンビに全人類が駆逐されたか……ハハッ、どれもこれも映画の見過ぎか」

 帰ってきた関孝太郎に訊いてもそのような煮え切らない返事しか返ってこなかった。

 気にするだけ無駄。そうなのかもしれない。

 人がいないのは事実だし、凍刑という刑罰によってこんな時代、こんな場所に取り残されてしまっていることもまた事実だ。そもそも凍刑は死刑に代わる刑罰のはずだ。ここに存在するわずかな人間は死んで当然の人間たちだ。取り残された私たちは至極真っ当な罰を受けているだけなのかもしれない。

「事実は受け入れるしかないんだよ」

 私が目覚めてから八日目の昼食の際に、不知火雪はそう言った。


 日々を過ごすたびに私の記憶は増えていく。そう考えればまだ自分の置かれた状況も幾分かマシになる。そんな気がした。

 元々人工的に作られた記憶。私は私というアイデンティティを持ち合わせていなかった。しかし、自分の思考で行動した十日間は紛れもなく私であり、私固有の記憶である。私の本来の記憶がどこに行ったのか、という問題は依然として残っているが、私自身、早急に自分の記憶を求めているわけではなかった。「事実は受け入れるしかない」という彼女の言葉に甘んじている、と言ってもいい。喚いたところで私の記憶が戻ってくるわけでもなし。だが、どこに行ってしまったのか気にはなるのもまた事実だった。

 うだうだとその辺の思考を曖昧にしながら、不知火雪の仕事を手伝いつつ、時間は経過していく。食事を作ったり、洗濯をしたり、掃除をしたり。私の人工記憶にある『日常の生活』とほとんど変わらない。こんな状況下でも、人間生きていくためにやることは同じなのだ。

 関孝太郎は出ていったその日のうちに帰ってくることもあれば、三、四日空けて帰ってくることもあった。出発してその次の日に帰ってくる、というパターンが最も多かった。

 彼の様子を見ると、狩りのために外泊しているだけではなさそうだった。何か別の目的があって外に出ていることのほうが多そうだった。そのついでに街中の動物を狩猟して帰ってくる、といったような印象だ。彼も狩りと街の散策が目的だと言っていたはずだ。

 動物を捌く彼の手つきは慣れたものだった。

「俺の母方の実家がクソみたいな田舎でな。じいちゃんがよくニワトリとかイノシシとか捌いてたんだよ。それを幼いころから手伝ってたからな。いらねえ特技だよ。こんなときだから役立っちゃってるけどな」

 ある日、丸々と太った鳥の羽を毟りながら、彼はそう教えてくれた。

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