不知火雪のあとをついていく。階段で行かないのか、と尋ねてみた。「コンピュータールームと睡眠室、地下一階二階の保存室、そして三階は階段じゃあいけない場所にあるんだ」と不知火は答えた。

「ちなみに説明しておくと、この建物は十二階建て。睡眠室は地下三階に広がっている。地下二階と一階は食料品や衣料品、その他消耗品が僕たちだけじゃ使い切れないほど保存されている。一階二階には様々な施設がある。三階にはここで働いていた職員の部屋がある。四階から九階は第二種凍刑囚の部屋。十階から十二階は第一種凍刑囚の部屋」

 ――だいいっしゅ? だいにしゅ?

「品行方正な凍刑囚か、その逆の悪い凍刑囚か、ってことさ。第一種凍刑囚は完全に閉じ込められる。部屋の構造もそうなっている。第二種凍刑囚は緩やかなものだ。部屋に鍵はかかっていない。一応一番重い刑を受けた人間たちなのにな」

 私が寝ていた場所は五階、第二種凍刑囚の部屋ということか。確かに部屋の作りはかなり質素だったが、閉じ込めておくための部屋とは到底思えなかった。

「閉じ込められているさ、この建物に。この建物はとんでもなく高い塀に囲まれている。出口は一つ。出ることはできない。いや、今は出られるけどね」

 そこで、ふとあの疑問を思い出した。彼女以外の人間はいないのか?

 思い切って質問をぶつけてみると、ははっと不知火雪は力なく笑った。

「それはあとで、コンピュータールームで説明しよう」

 壁につき当たった。彼女が壁に触れると、タッチパネルが現れた。

「コンピュータールームは六階」

『6』と書かれた場所に軽く触れる。すると、四方が黒い壁に囲まれた。

「すごい技術だよね。いったいどうやっているのか。僕が生きていた時代にはこんなものはなかった」

 ふわりと身体が浮く感触がする。その数秒後に、黒い壁は音も立てずに消えていった。

「ここがコンピュータールーム」

 不知火雪はずんずんと先に進んでいく。

 機械、機械、機械。まるで機械の迷路だ。ところどころが白く光り、青く光り、赤く光り、黄色く光り、緑色に光り。部屋全体は暗く、その光が暗闇を鈍く照らしている。

「電気はどうやら地下で生産されているみたいだ。半永久的に稼働しているシステムらしいから、よほどのことがない限り止まることはない」

 しばらく進むと開けた場所に出た。

 まず目に飛び込んできたのは大きなスクリーンだった。めまぐるしく文字や記号が動いている。その下に操作用と思しきパネルが左右いっぱいに広がっている。椅子が数脚。そして一番気になったのは、右奥に存在するごてごてと大きな椅子だった。

「ちょっと待って」

 彼女は中央の椅子に座ってパネルを操作し始めた。その間、私はその一際大きな椅子をまじまじと観察してみた。横にパネルとヘッドギアがあり、そこから様々なコードが延びている。

「こっちに」

 呼ばれたので、中央のパネルのところへ行く。

「操作は簡単。コンピューターの指示通りにこのパネルで操作していくだけ」

 目の前のスクリーンの一部に『インストールする記憶を選んでください』と書かれている。

「さて、これから君に記憶を入れるわけだけど、何か質問はあるかい?」

 ――あとでおしえてくれるっていうのは?

「ああ、それは記憶を戻してからでいいだろう? 二度手間になる可能性があるからね」

 ――きおくをえらべ、とは?

「君に番号が与えられているはずだ。その番号を覚えておいてくれればいいんだけど、もし忘れてたら検索をかければいい。でもこのコンピューターとは別のものだからもう一度睡眠室に向かわなければならないけど」

 番号とは、あの番号のことだろうか。

『E00156802』。その番号を彼女に告げると、彼女はおお、と声を漏らした。

「さすがだね。これで手間が省けるよ」

 ――このばんごうにいみが?

「さあね。囚人番号じゃあないかな?」

 ――あなたにもあったんですか?

「あったと思うよ」

 ――おもう?

「僕は自分の記憶をインストールしたときに忘れちゃった。他のみんなもそうだった」

 他のみんな?

「あ、それもあとで説明するね。えっと、『E、0、0』……」

 私は横で自分の番号を言い、彼女はそれを入力していく。

「『2』っと。よし、この記憶だね」

 エンターキーを強めに押す。『検索中です』とスクリーンに出る。だが、数秒後、スクリーンには『データが存在しません』と表示された。

「あれ?」

 不知火雪はもう一度、私の言った番号を入力する。エンターキー。そして『データが存在しません』の表示。

「そんな……」

 もう一度入力する。私に一文字ずつ確認を取りながら、入力していく。最後にもう一度確認してエンターキーを押す。

『データが存在しません』

「なんで? なんで? 君の記憶はどこに行っちゃったの?」

 彼女はパネルを操作して別の画面を呼び起こす。

『一覧を表示します。しばらくお待ちください』

 そして目の前のスクリーンにずらっと文字列が表示された。タッチパネルを操作して画面を下へとスクロールしていく。

「あった、ここだ」

 彼女が指差した場所には黒抜きの文字で『E00156802』と表示されていた。そのナンバーの下には『E00159935』と白抜きの文字で表示されている。

「ううむ、なんでだ? なんで君の記憶のデータがないんだ? ……この白で表示されているのが存在するデータなんだ。黒で表示されているのが、すでにインストールされた記憶のデータ」

 ――それってつまり……

 私がそう言うと、彼女はこくりと頷いた。

「誰かに記憶が盗られた。そういうことになるね。でも、誰が……」

 そこで彼女は、不知火雪は口を噤んだ。

 ――じゃあ、わたしはじぶんのきおくをどうすればいいんですか。

「……うーん、どうすればいいんだろうね」

 彼女は思いつめた顔で私を見てきた。目が合うと、苦笑いを浮かべた。

「犯人がわかればいいんだけどな……」

 ――はんにん? いるんですか? こころあたりはあるんですか?

「……いや、正直に言うと、僕にはない。彼にもないはずだ」

 かれ?

「僕が記憶のインストールに付き合ってきたのは今まで六人いる。その六人とも君の番号『E00156802』とは違っていた。はずだ、はずなんだ」

 ――かれとはだれ?

「彼? ああ、そうだね、今は外に出ていていないんだ。直に帰ってくるはずだけど」

 それだけ言って彼女はまた黙り込んでしまった。

 私の記憶がない。それでは私が誰なのかわからない。私がどうして凍刑に処せられたのか、どのような経緯でこうなってしまったのかがわからない。知りたい、知りたいのに。私のルーツはいったい。

「……どうする? 悪いけど、僕にはどうしようもない。ないものは創り出せない。魔法使いじゃないんでね」

 ――どうする、とは? なにかせんたくしがあるんですか?

「……君が、誰か適当な人間の記憶を脳にインストールして、君はその記憶の持ち主として生きる」

 ――そんなばかな。それはわたしではないのでは。

「でも、今は記憶がない状態。誰の記憶を入れても同じといえば同じ……じゃないのかな」

 ――そうなんですか?

「そもそも、記憶の複製を禁じるのは、そういうことじゃないのかな。記憶が人格を創り出す。そういう考えに基づいているんじゃないのか? 寸分違わず同じ記憶を持つ人間は同一人物と言っても差し支えないのでは? ……肉体的特徴はもちろん違うわけだが」

 ――そういうものなんですかね。

「本当にすまない。僕にできることはない。君が決めなければならない」

 他の人間の記憶を入れたところで、確かにその人物を名乗ることはできる。だが、やはりそれは本当に私なのだろうか。本当に彼あるいは彼女なのだろうか。記憶で自分を誰だと決定づけていいものなのだろうか。

「……さあ、どうする?」

 悩んだ。記憶のない身で、必要最低限の知識しか持ち合わせていない脳で考えてみる。

 しばしの思考の後、私は首を横に振った。


 不知火雪は目覚めた最初の人間だ、ということを教えてもらった。最初の人間、というと語弊があるかもしれない。少なくとも彼女が目覚めたときに、この建物には誰一人として覚醒している人間がいなかった。いや、建物どころか、この街に覚醒している人間はいなかった。

 不知火雪がまず初めに見つけたのは地下二階の食料保存庫だった。巨大な保存庫であるそこには、知識にはない不思議な技術で食物が保管されていた。まるで、食物もコールドスリープしているみたいだ、という。そこで食物を漁り、まずは食欲を満たした。

 次に見つけたのは寝る場所だった。部屋ならいくらでもある。そのうちの一室を拝借し、そこで寝た。今までずっと寝ていたのに、また寝た。

 そして、人を探した。誰かいないか建物中を探した。しかし誰もいなかった。

 途中でコンピュータールームを見つけた。そこには様々な資料があったので、基本的な読み書きのできる脳で情報を漁った。そして、ここがどこなのか、何が起こっているのかを大まかに知った。

 もちろんそんなコンピューターの操作などしたことはない。ない知識をフルに用いて、なんとか操作をし、記憶をインストールする方法を知った。そして、自分が眠っていた棺桶の番号を入力して自分の脳に記憶をインストールした。それが、今から約七年前の話である。

 彼女が目覚めてから、六人の人間がコールドスリープから目覚めた。なぜ凍刑囚が急に眠りから目覚めるのか、いろいろと原因を探ってみたが、わからなかったそうだ。コンピューターの誤作動なのか、神の気まぐれなのか。理由ははっきりしなかった。

 現在、この建物に住んでいるのは不知火雪ともう一人、彼女が目覚めてから二年ほど経ったときに目覚めた男性である。彼に初めて会うのは、私が目覚めた二日後の朝のことだった。

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