はっと目を開ける。顔を上げて周りを見る。どうやら寝てしまっていたらしい。部屋は記憶が途切れる前のそれと全く変化がなかった。やはり記憶は昨日のものしかなかったし、自分の名前もわからなかった。

 窓がないから、今が朝なのか昼なのか夜なのかわからない。

 あ、と声を出してみる。声は出るようになっていた。よし、と言ってみる。記憶が途切れる前に練習はほぼ完了していたみたいだった。

 部屋の外に出てみる。長い廊下。ここは何階だっただろうか。あの食堂は何階だっただろうか。確信はまったくなかったが、あの食堂に行けば彼女に会える気がした。

 ふらふらと廊下を進む。廊下には同じような扉が一定の間隔で並んでいた。

 奥に少し広めの空間があった。離れた壁にはパネルが埋め込まれている。エレベーターだ。そこから少し離れた壁にぽっかりと穴が開いていた。

 穴のほうへ進む。人が一人ゆったりと通れるくらいの大きさだった。その奥には階段があった。

 自分が就寝した部屋へ行くときは階段を昇った。ということは、今度は階段を降りればいいのだ。記憶が正しければ、二階分昇ったはずだ。

『5→4』

 壁にはこう書いてある。五階から四階へ、という意味だろう。三階に目的の場所があるということだ。だが、その次には『4→2』と書いてあった。三階はどこへいったのか。考えてもわからなかった。

 二階と書かれた場所の廊下に顔を出す。昨日見たのと同じ廊下だ。さて、食堂と思しき場所は――

 あの扉だ。廊下の奥のほうに両開きの扉。

 中に入ると、昨日と同じテーブル。椅子があった。だが、不知火雪はいなかった。食堂の奥も覗いてみるが、彼女の姿はなかった。

 椅子に座る。いつかはやってくるだろう。それまでにもう少し流暢に話すことができるように練習しておこうか。

 しばらく、といっても何分、何時間経過したのかはわからなかったが、とにかく時間が過ぎていった。少し喉が渇いてきたので、飲み物はないかと奥の厨房に行ってみる。蛇口を捻ってみると、水が出てきた。飲めるのかどうか不明だったので、指に水滴をつけてそれを舐めてみる。味はない。舌に何も違和感がないので飲めそうだった。コップが見当たらなかったので、蛇口から直接水を飲む。十分に喉の渇きを癒してから、蛇口から口を離した。

 食堂に戻り、椅子に腰かける。時計はどこにもなかったし、窓もない。昼なのか、夜なのかわからない。

 じっと椅子に座っていると、彼女――不知火雪が食堂へ現れた。籠を抱えていて、その中には色とりどりの野菜が盛られていた。

「あ、おはよう。ってもう夕方だけどな。よく眠れたかい?」

 目覚めたのはだいぶ前だが、よく眠れたことには変わりないので、はい、と答えた。

「お、声を出せるようになったか。普通に喋ることはできる?」

 ――それなりに。

「うむ。その調子なら大丈夫そうだね。ちょっと待ってくれ。今夕食を作る」

 そう言って食堂の奥へと引っ込む。

 しばらくしてから不知火雪が食事を持って現れる。パンとスープ、そしてサラダがついていた。スープには昨日のものと違ってぶつ切りの野菜が入っていた。私の前にお盆を置き、自分はその向かい側に座った。彼女が「いただきます」と言ってスープに手をつける。彼女を真似て、いただきますと言ってスプーンを手に取り、スープを一口啜る。相変わらず薄い味つけだった。

「……何か知りたいことはある?」

 半分ほど胃に入れたところで、不知火雪は徐に口を開いた。

 ――なにか?

「そう、何かだ。たとえば、どうして自分はこんなところにいるのか、とか、自分は誰なのか、とか。こっちで全部説明してもいいけど、自分が知りたいことから知っておくほうがいいだろう?」

 じゃあ、と私は言う。

 ――わたしのみになにがおきているのですか。

「君の身に何が起きているか? ふんふん、良い質問だね。君は刑罰を受けていた。そして、それから解放されてここにいる」

 ――けいばつ?

「そう、死刑だとか懲役何年だとか、罪を犯したときにそれを償うために行うもの。それくらいはわかるよね?」

 ――それはわたしがここにいるのとかんけいありますか? わたしがきおく、じぶんのなまえをわすれてしまっていることともかんけいあるんですか?

「あるね。大ありだよ。それ自体が刑罰だと言っても過言ではないね」

 ――じゃあ、そのけいばつとは?

「うん、話してあげるよ。その刑は俗に『凍刑』と呼ばれていた」

 ――とうけい?

「うん、そうだね。じゃあ凍刑について説明しようか。でも自分の取り戻した記憶と、そのあとで詳しく調べて知った知識を組み合わせて自分のいいように解釈してるからね。もしかしたら間違ってるかもだけど、まあ正しいか正しくないかなんて正直問題じゃあない」

 不知火雪はふっと軽く笑みを浮かべた。

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