第19話 既成事実

 俺は、アオイへ末摘花のことを説明してやった。

 もともとは上野のおばあちゃんのところで、住み込みで働いていたこと、うちでは家政フとして働いてもらっていることなどを話した。

 しばらく、アオイは耳を傾けていたが、末摘花の近くへ寄って、彼女をながめた。そして、こう言い放った。

「……でも、どうせ、末摘花さんは、

 ご主人様のことが好きで好きでたまらないの。朝から晩まで、寝るときでさえも、ご主人様にご奉仕したいのだけれど、だめよ、私。主従関係を超えてはだめ。線引きはしっかりしないといけないのよ。ああ、けれど、ご主人様と結婚したい。今すぐ、愛の告白をしたくて、夜も眠られないわ、

 と思っているんじゃない?」

 これを聞いた俺は、嫌な予感がした。

 このパターンは、今まで何度も見た。


 俺の予想に反して、末摘花は、まったく表情を変えなかった。

「そんなめっそうもない。私はご主人様と結婚はしません。ただし、ご主人様との子供を認知してほしいだけです」と末摘花は言った。

 俺はアオイをさとそうとした。

「な?アオイ。末摘花に、なんて失礼なことを言うんだ。末摘花は俺とは結婚したくはないんだ。ただ、俺との子供を認知してほしいん……だと?お前、いま、なんて言った?末摘花!」

「ですから、私とご主人様との子供を認知してほしいのです」


 末摘花の言葉を聞いたアオイは、目に涙を浮かべ怒り狂った。

「ひどいよ!ダーリン!メイドさんと、赤ちゃんをつくっているだなんて!」

「バカな!俺はそんな既成事実きせいじじつを作った覚えはないぞ」と俺はアオイの誤解を解こうとした。

 それを聞いていた末摘花は、前へ進み出た。

「これから、その既成事実を作ろうと言うのです」

 しれっと火に油をそそいだ。

 動物的な本能で身の危険を感じた俺は、いそいで、アオイからぱっと離れた。

 見ると、アオイの体から殺気がもれでている。彼女のこぶしが鋼鉄よりも固く握られている。


「待った!アオイ!俺と末摘花の間には何もないぞ。天地神明てんちしんめいにちかって、男女の関係ではないからな。浮気なんかしていないぞ。俺を信じてくれ。アオイ!」と俺は力いっぱい叫んだ。

「ダーリンの浮気者!」

 アオイが怒りのあまり、そばにあったソファを足でけった。相撲すもう取りよりも重たいであろうソファは、サッカーボールのように、飛んでいった。その飛んでいった先は、居間の壁だった。

 めりっと壁にソファがぶつかる音がした。

 俺は声にならない悲鳴を上げた。


「ダーリンみたいな浮気者は、殺してやる!」

 アオイが、歯をむき出しにして、俺に襲いかかろうとした。だが、俺にこぶしを振り上げたとたん、ふにゃあと、彼女の体が、くの字に曲がった。意識が遠のいているのか、彼女のまぶたは薄く閉じている。

 俺は殺されかかったことを忘れて、アオイの心配をした。

「おい、大丈夫か?」

 俺がアオイを抱きかかえると、彼女の体重すべてが、俺の腕にのしかかってきた。

「しっかりしろ!アオイ」とあわてた俺は、彼女の体をゆすってみたが、効果はなかった。まだ、彼女は気を失ったままだ。

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