第15話 キスはママの味

 朝起きると、部屋の外で、桐壺きりつぼとアオイの言い争う声が聞こえてきた。

 どちらが先に俺を起こすかで、もめているのだ。これは毎日の日課となりつつある。

 俺は、部屋を出て、セーラー服を着たアオイに聞いてみた。「お前、昨日の晩、俺の部屋へ忍び込まなかったか?」

「ううん。朝、忍び込もうとしたところで、お義母かあさんに見つかっちゃったんだ」とアオイは否定した。

 アオイでないとすれば、いったいキスをしたのはだれなのか。


 小学生のムラサキが夜中に起きるとは考えにくい。桐壺もミヤスコもそんな子供じみた真似をするわけがない。となれば、消去法でいくと、泊まっている月夜だろう。

 義理の姉がそんなことをしたとは思いたくなかった。しかし、昨日、俺のことを好きだと言ったではないか。

 なるほど、キスをしたのは月夜か。俺はそう結論づけた。

 すでに、月夜は起きていた。制服のまま、リビングルームで朝食を取っていた。

「あ、ヒカルお兄ちゃん。おはよ」と彼女はあくびをしながら、あいさつする。

 俺は昨日の夜のことを彼女へ聞きたかったが、普段と変わらない姿を見て、気が抜けた。

「ヒカルお兄ちゃん、私の顔に何かついてる?」と月夜は、俺に見つめられていることに気づいて、聞いた。

「い、いや。なんでもないよ」

 アオイの手前、キスのことは月夜へ聞きづらかった。あとで二人きりになったら聞こうと、俺は考えた。


 アオイが俺のワキをつついた。

「ねえ、ダーリン。一つ聞いていいかな?」

「朝食を食べ終わってからにしろ。アオイ。俺はいそがしいんだ」と服を着がえた俺は、パンと牛乳を腹に詰め込んだ。

 アオイが俺の肩をつかんだ。

「ダーリン。重要な話だから、今、聞いてもいい?」とアオイは脅迫するように言う。「こちらのかわいい女の子はだれ?」

「ん?ああ、おぼろ月夜か。俺の義理の姉だよ。つまり、兄貴の奥さんさ」

「中学生の制服を着ているのに?」

「コールドスリープのせいで、24歳の中学生になったんだ。話せば長くなるから、学校へ行く途中で説明してやるよ」


 アオイとそんな会話をしていると、パジャマを着たミヤスコが起きてきた。

 彼女を見たアオイが目をみはった。

「師匠!師匠がどうしてここに?ダーリンの家に泊まったんですか?」とアオイは聞いてきた。

 俺とミヤスコは目を合わせた。

 しまった。昨日、アオイに電話で連絡しておくのを忘れていた。

「誤解だぞ!アオイ。浮気なんかしていないからな。ミヤスコちゃんとはなんでもないからな」と俺は急いで否定した。

 ミヤスコも「そうよ、親の都合で下宿させてもらっているだけだわ。アオイ」と家の事情を打ち明けた。

 意外にも、あっさりとアオイは俺たちの話を信じてくれた。昨日の委員長の時とはまるで違う態度だ。

 おそらく、アオイとミヤスコには、信頼の厚い師弟してい関係が築きあがっているのだろう。

 二人は連絡先を交換し合っていた。

 俺とアオイは、ミヤスコを置いたまま、二人で高校へ出かけた。


 通学の途中で、俺は月夜のことについて、コールドスリープで長く眠った事など細かくアオイに説明した。

「――つまり、14歳に見えるけど、本当の年は24歳ってこと?」とアオイは歩きながら質問した。

「まあな。戸籍上はそうなる。おっと、このことは秘密だぞ。月夜義姉さんが中学校に通えなくなるからな。世間や近所の人には、俺の義理の妹だと言うことにしているからな。結婚も実年齢も一部の人間しか知らないんだ。くれぐれも口外こうがいするなよ」

 俺が念を押すと、アオイはうなずいた。

「――それで、月夜ちゃんは、ダーリンをヒカルお兄ちゃんって呼んでるわけね」


 俺が教室に入ると、委員長が「お、おはよう……」と目をそむけて、恥ずかしそうにあいさつする。

「あ、委員長。昨日はごめんな」と俺は彼女へ軽く謝った。

「いいんです。別に。私……あなたをあきらめていませんから」

 委員長は体をもじもじと横に動かした。だが、彼女の輝くようなひとみには、彼女の意思が強く感じられる。

 俺としては、この恋をあきらめて欲しかった。彼女は地味だったが、男子生徒に隠れファンもいるくらいなので、人気はあるのだ。そいつらと仲良く楽しい高校生活を送ればよいのだ。

「俺より、もっとふさわしいやつがいるぜ」と俺は彼女に耳打ちした。

 同級生たちが次々と教室へ入ってきたので、俺はこれ以上、話すのをやめて、自分の席へ着いた。


 一日が無事に済むと、俺は大急ぎで家に帰った。まだ、月夜が家にいるはずだ。

 俺としては、昨日の夜にしたキスについて、月夜へ聞いてみたいことが山ほどあった。

 なぜ、彼女は泥棒どろぼうのマネをしてまで、俺とキスしたかったのか?俺を好きなのか?

 月夜はリビングルームで、スマホとにらめっこしていた。

「あ、おかえり。ヒカルお兄ちゃん」と彼女はスマホの画面から目を離した。

「今、いいかな?義姉さんに聞きたいことがあるんだ。昨日の深夜だけど、俺の部屋へ忍びこまなかったか?」


 月夜は目を丸くした。

「そんなことするわけないじゃん。なんで、私がお兄ちゃんの寝こみを襲わなきゃならないのよ?」

 今度は俺が目を丸くする番だった。

 俺はもう一度確認したが、月夜はきっぱりと否定した。

「違うよ。変なお兄ちゃん」

「……じゃあ、月夜義姉さんじゃないなら、誰だったんだろうか?」

 俺の疑問に対して、月夜は思い当たるふしがあるようだった。彼女はアゴに手を当てて、何かを思い出そうとする。

「昨日の晩の話よね。たしか――更沙さらさおばさんが、夜中にこっそりと部屋を出たことがあったの。トイレかと思ったんだけど、水洗トイレの流す音がしないから、変だと思ったわけ。ひょっとしたら、部屋に忍びこんだのは、おばさんじゃないの?」


 いや、ありえない。桐壺にかぎって、そんな愚行ぐこうをするわけがない。

「そんな……バカなことをあの人がするもんか!」と俺はつい怒鳴どなってしまった。

「私だって、知らないわよ!」

「あ、ごめん。義姉さん。動揺しちゃってさ」

 俺は冷静になるために、深呼吸をした。

 俺とキスをしたのが桐壺であるはずはない。なぜなら、彼女は俺の義母なのだ。血がつながっていないとはいえ、仮にも母親だぞ。

「義姉さんの勘違いだよ。桐壺さんは――いや、義母かあさんは、絶対にそんなことをしない」と俺が言うと、月夜は肩をすくめた。

 それきり、その話は打ち切りになった。

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