第3話 婚約放送事件

 朝ご飯を済ませて、玄関から出るとき、俺はふと気が付いた。

 アオイの着ているセーラー服は、俺が通っている高校で指定されている制服だ。つまり、彼女は、俺と一緒の高校に通っているわけだ。


 いつもの見慣れた通学路が、その日はまるで変わって見えた。例えるなら、歩いているときは何気なにげない上がり坂のはずが、マラソンレースでは地獄の坂道コースに変化するようなものだ。

 アオイが俺と腕組みをしながら、嬉しそうに通学路を歩いた。

 この状況で、俺はあまり喜べなかったのだ。なぜなら、アオイの顔が親友そっくりだからだった。横顔もうり二つだ。

 まるで、親友の遠野と腕を組んで歩いているように感じられた。こうなってくると、アオイは女だが、男の遠野にしか見えない。俺は男に好意を持つことはない。だから、アオイに恋愛感情を持てないのだ。


「遠野さん、あまりべたつくなよ」と俺はアオイの体を引き離した。

「どうして?」

 そのときの不思議そうなアオイの顔が、兄の遠野に似ているのだ。双子はそのしぐさまで似るらしい。

「その顔だよ。君が兄貴そっくりなんだ。兄貴の顔でべたべたとくっつかれても、こっちはきついんだよ」

「ああ、よくみんなに言われるんだ。君たち双子はなにからなにまで似ているって。――でも、あたしはあたし。外見が同じでも、中身は違うもん。それに、あたしはダーリンの腕にしがみつきたいだけ。ただ、それだけで幸せ」

 そう言って、アオイは俺の腕を抱いた。


 正直に話そう。その時の俺は、胸がどきどきと高まって戸惑ったんだ。もし、親友の男に同じことを言われたら、こんなふうに心臓の鼓動こどうがはやくなるだろうか。


 その後、アオイは学校の休憩時間でも同じことをしてきた。そのたびに俺はたしなめた。会話らしい会話はしなかった。アオイとの会話を楽しむ余裕なんてなかった。

 俺は周囲の目を気にしていた。

 いまどき、日本で、許嫁いいなずけなんて珍しいので、古くさい人間だと友達やクラスメイトに思われるのが嫌だったんだ。さらに、SNSにあらぬウワサが流れるのも嫌だった。

 だから、俺はアオイにこう注意したんだ。

「なあ、君は結婚したいんだろうが、ネットでウワサが広がると、こう、なんというか……いちゃつくのは校則違反だと言う奴が出てくるぜ。だからさ、ひかえよう」

 それを聞いたアオイはどうしたと思う?

 まず、彼女は昼休憩の時に、学校の放送室へ向かった。昼の時間は放送室のカギがかかっておらず、かんたんに彼女は侵入できた。すると、マイクのスイッチを入れて、大音量で、こんな宣言をマイクに向かって言い放った。アオイの宣言を全校生徒が校内放送を通して聞いた。

「宣言します。あたし、遠野アオイは氏原ヒカルと今、結婚を前提としたお付き合いをしています。で、昨日、アオイとヒカルは婚約もしました。もし、この交際と婚約に異議のある人は、今月中にあたしたちの所へ名乗り出なさい!」

 これが(我が校の)伝説の「婚約放送事件」の全容だ。


 放送を聞いた俺は、全力で放送室へ走った。途中で、担任の先生が「氏原、ちょっと、職員室へ来い」と言ったが、それを無視して走った。

 たぶん、その時の俺は顔を真っ赤にしていたと思う。恥ずかしいというよりも、怒りの感情のせいだった。

 おいおい。まだ、俺たちは何も始まっちゃいない。結婚を前提としたお付き合い?なんだそれ?いつ、だれがどこで結婚したいと言った?

 今の放送はでたらめだ。

 そこで、俺は放送室に入って、全部ウソですとマイクに向かってしゃべろうとした。だが、教師と放送部員たちに止められた。

 そこにアオイの姿はなかった。

 そして、放送室から引きずり出された俺は、職員室で教師たちにたっぷりと油をしぼられた。当のアオイは怒られずに、俺だけしかられたのは納得がいかない。アオイを見つけ出して、一言言ってやらねば。


 俺は校内を探した。

 アオイは自分の教室に戻っていた。俺とは別のクラスである。人の苦労も知らないで、同級生たちと楽しそうに話している。それを見た俺はもう怒りを我慢できなくなっていた。

「遠野さん!さっきの君の放送は何だ!」と俺は教室で叫んだ。

 アオイが俺を見て「ダーリン!」と喜びの声を上げる。

 すると、クラスの生徒全員が歓声を上げた。口々にお祝いの言葉を述べる。

「婚約、おめでとう!」

「遠野と氏原、二人とも幸せにな!」

「ヒューヒュー!、お熱いこと」

 そこで、俺の怒りは一気に冷めた。アオイによって、外堀そとぼりを埋められたのだ。もう、俺たちの婚約は動かしがたい既成事実きせいじじつとなっていた。否定しても無駄だろう。

「話は放課後だ。遠野さん」と負けセリフを言うと、俺は逃げるようにその場を去った。


 今度は、俺はアオイの兄である遠野を探した。同じクラスメイトに聞いた話によると、彼はアオイの婚約放送を聞いた途端、失神しっしんしてしまって、保健室に運ばれたそうだ。

 保健室のベッドで寝込んでいる遠野を、俺は見つけて、話を聞いた。

 遠野は俺に謝り始めた。

「すまない。氏原君。僕はあらかじめ君たちのことを父上たちから聞かされていたのだ。君に話すべきだったが、親に他言無用たごんむようと止められていてね。本当にすまない。

 妹は、昔から、あんなふうに予想だにできない、とっぴで、非常識なことを平気でする子なのだ。今度の婚約だって、父たちよりも、本人がやる気いっぱいで、ほとほと僕たちも手を焼いているんだ。レストランで君と会おうと画策かくさくしたのも、実はアオイちゃんなのだ」

「エキセントリックで、暴走しがちな性格なんだな」と俺が確認した。

「ああ、そうだ。さらに妄想と思い込みが激しい。精神科医もさじを投げたほどだ」

 遠野は遠い目をした。その態度から、彼がアオイについてどれだけ苦労したかがうかがえた。


 俺は彼からアオイの情報をできるだけ引き出したかった。その結果として、ただの頭がいかれた美人ではないことが判明した。武闘家の面もあるらしい。

「――妹は、武術にひいでている。中学の時に、武術の達人たち(注1)に弟子入りして、ありとあらゆる武術(注2)を会得えとくしたのだ」

「ということは、格闘技で史上最強なんだな?中身はキングコングなんだな?」と俺は聞いた。

「ああ、そうだ。この世で素手でアオイちゃんに勝てる者はいない。また、握手あくしゅとか、手つなぎとか、き手を相手に預ける習慣はない。攻撃ができない恐れがあるからね。それに、合気道あいきどうの達人だ」

「合気道は空想の産物だと思ってたが、実在するのか?」

「ああ、そうだ。氏原君、――いいか、あいつと手をつなぐのだけはやめろ。手首をひねって、体を吹き飛ばされるからだ」


 遠野の話を聞いて、俺は身震みぶるいした。

 冗談じゃない。

 さらに、遠野は恐ろしい話をつづけた。

「夜の街に通った父は、妹が幼いころ、妹にともえ投げでぶん投げられたことがある。そのとき、父は確信したそうだ。……この子は、将来、夫を殺すだろう、と。アオイちゃんは恋人やパートナーの浮気が大嫌いなのだ。恋愛ドラマの中ですら許さない性格だ」

 もし、俺が浮気をしてバレたらどうなるか。答えは簡単だ。殺されるだろう。

「おいおい。遠野、それじゃあ、俺は一生、他の女の子と付き合えないじゃないか」と俺は言った。

 だが、遠野は安心してほしいと俺に告げた。その理由は簡単だと述べた。

「君は絶望的なほどに女子にモテない。氏原君。交際経験もなし。女心もわからない。異性に対する免疫めんえきもない。女子からも声をかけられたことがないし、女子に声もかけたことがないんだろう?なら、安心だ。君は浮気しようがない。だから、アオイちゃんも暴れようがない。君の女子に対する魅力のなさは、逆に武器になるんだ」

「ありがたいな。でも、それ以上、俺をほめたら俺は泣くぞ」


 遠野は弱弱しくベッドから起き上がった。そろそろ昼休憩が終わるので、彼は教室に戻る気らしい。

「それに、もっと安心できる材料があるんだ。妹は、僕に似て美人なのだ。一目見れば、君は気に入っただろ?浮気なんてできないよ」と遠野は勝ち誇るように言った。

「お前に似ているから問題なんだよ」

 それを聞いた遠野はきょとんとした顔をした。

 俺は頭を抱えた。平凡な日常生活を取り戻すことはもはや不可能のようだ。


注釈

(注1)武天老師むてんろうし東方不敗とうほうふはいマスターアジア、病んでないトキ、八宝斎はっぽうさい新堂功太郎しんどうこうたろう、花中島マサルなど

(注2)亀仙流、流派東方不敗、北斗神拳、元祖無差別格闘流、極端流きょくたんりゅう空手、セクシーコマンドー、陸奥圓明流むつえんめいりゅう、バリツなど

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る