第二章 遠野 葵

第2話 男女の双子

 小学生だったころの話だ。俺は毎日のように、近所の遠野の家へ遊びに行っていた。

 尾道にある格式高い家で、中庭もある広くて古い建物だ。広いからいろいろな遊びができる。鬼ごっこもやったっけ。

 遠野と遊ぶとき、金魚のフンのように、付いて回って遊ぶ、かわいらしい女の子がいた。最初は、俺はそいつを男の子だと思っていた。なぜなら、遠野と顔がそっくりだったからだ。性別の異なる双子がいるなんて想像できなかったんだ。

 彼女の名がアオイだった。

 遠野が「アオイちゃん」と呼んでいたので、俺も「アオイちゃん」と呼んでいた。

 今日、そのアオイちゃんが立派に成長して、着物を着て、俺の目の前に現れた。俺の許嫁いいなずけとして。

 混乱するなだって?それは無理な話だ。

 パニックにおちいった俺は、あわてて、父とアオイたちのいるホテルのレストランから逃げ出して、家に帰った。


 自宅で、俺と父の帰りを待っていた桐壺が出迎えた。「終わるのが早かったのね。今日はお父様と何の話だったの?」

 父は再婚相手の桐壺にすら何も話していないらしい。

 俺はそんな父の態度に、はらわたがえくり返るような思いを抱いた。

「義母さん、父さんに伝えてくれ。俺はだれとも結婚しないぞ!」

「はあ」と桐壺はぽかんと口を開いた。俺の言っていることを彼女は理解できなかったらしい。

 俺は悪夢を振り払うかのように、熱いシャワーを浴びて、すぐさまベッドに飛び込んだ。

 すべては夢だったらよかったのに。そう思いながら、眠りへとついた。


 その次の朝だ。

「ダーリン、起きて。朝だよ。起きなきゃ」と眠っている俺を揺さぶる者がいた。桐壺はこんな乱暴な起こし方をしない。

 そもそも、義理の母である彼女は、俺を「ダーリン」などと呼ぶはずがない。

 目が覚めた俺がまぶたをゆっくりと開けると、そこにはツインテールの髪型をした遠野が立っていた。

「……なんだよ。遠野か。お前、いつから長髪になったんだ?」と寝ぼけて俺は言った。

「ダーリン、あたし、兄貴の将彦じゃないよ。アオイだよ。ほら、見て」とセーラー服を着たアオイが前髪をかきあげて、俺の顔へ近づいてきた。髪のいい香りが俺の鼻をくすぐる。

 驚いた俺は、ベッドから飛びあがると、アオイから身を離した。

「と、遠野アオイか?き、君は遠野の妹か?」と俺は声を震わせて言った。

 彼女は答えた。

「そうだよ。妹のアオイ。あたし、ダーリンの婚約者フィアンセじゃん。忘れたの?」

「俺は君と婚約なんかしてないぞ。親同士が勝手に決めただけだ」


 アオイは腕組みをして、少し、考え事をしていた。そして、彼女はにっこりと笑った。

「あたしさ、決めたんだ。ダーリンと結婚するって」

「16歳だと結婚はできないじゃないか」と俺は日本の常識を持ち出して、彼女をさとした。

「急がなくていいよ」とアオイは意を解さない。


 俺とアオイが言い合っていると、桐壺が俺の部屋へ入ってきた。だが、少し様子が変だ。

 いつものニコニコ顔が消えて、代わりに、桐壺の眉間みけんにはシワが寄っていた。

「あらあら、アオイちゃん。あなた、勝手に我が家に入ってくるなんて、不法侵入ですよ」

 桐壺の声はおだやかながらも、とげがある。父から婚約の話を聞かされたらしいのか、アオイを知っているしゃべり方だ。

「やだ、あたしはダーリンの嫁だから、犯罪じゃないよ。こうやって、ダーリンを起こしてあげようとしたんだ」

 桐壺はマユを吊り上げて、驚くようなそぶりを見せた。

「あら、まあ!ヒカルちゃんを起こすのは、母親である私の役目です。嫁であるあなたの出る幕がおありになって?」

 桐壺の鼻息が荒い。


「ダーリン、助けて」とアオイは俺に飛びついた。

 こうやって、かわいい女の子に頼られるのは悪い気がしなかった。とはいえ、俺たちが結婚していることを前提に話が進むのは、気にかかる。

 そこで、俺はこう訂正した。

義母かあさん、遠野さん。二人ともおかしいよ。俺は遠野さんと結婚する気はないんだ。だから、遠野さんは俺を朝起こす必要はないからね」

それを聞いた桐壺は「まあ、そうだったのね。ヒカルちゃん」と胸をなでおろす。

 ところが、アオイは憤慨ふんがいして、こう宣言した。「違うもん!ダーリンは絶対にあたしと結婚する運命なの!あたし、決めた。毎朝、ダーリンを起こしてやる!」

 俺は知った。アオイは思込みの激しい女だ。

 一度なにかを決めたら、ひたすら暴走を始める。

 結婚の決意をひるがえすことができないと知った俺は、とうとうあきらめた。婚約はしないけども、しばらくアオイと付き合おうと、なかば投げやり気味で決めた。

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