遠野アオイの暴走

村上玄太郎

第一部 光に集いけり

第一章 桐壺 更沙

第1話 義理の母が初恋の人

 俺が高校に入ってから、まず、やりたかったのは、中学時代のモテない不幸な自分と決別することだった。

 健全な高校生活は健全な男女交際から始まると、俺は信じ切っていた。そのときは。

 そうだ。別に男子の妄想しがちな乱れ切った交際をしようというわけじゃなかったのだ。

 デートを重ね、他愛たあいのない会話を異性と楽しめればよかったのだ。そのときは。


 さて、自己紹介しておこう。俺の名前は光だ。氏原うじはら ひかる。クラスのみんなからは、ヒカルと呼ばれているし、それが気に入っている。幼なじみの遠野とおの 将彦まさひこだけは、「氏原君」とからかい気味で呼んでいる。

 遠野という男は女子にモテなかった。俺と同様に。いや、俺と違って、顔は良かったのだが、女子と仲良くおしゃべりするよりも、俺とべったりと会話するのが楽しみというきわめて奇妙な男だった。

 結局、高校では彼とは別のクラスになったけれども、友情は続いている。もう腐れ縁というやつだ。


 高校に入学してから、俺の生活は激変した。なにもかもが大きく変わったのだ。その大きな変化のために、俺はまともな男女交際ができなくなってしまった。

 それが俺の悩みだった。

 その変化の一つとは、父が再婚したことだった。

 俺の母が死んで、十年以上だ。再婚そのものに反対はない。問題は父の再婚相手なのだ。


 高校生活が始まり、毎朝、再婚した義理の母が起こしに来てくれる。優しい声で、

「おはよう。朝ですよ。起きてください。ヒカルちゃん」と義母が眠っている俺を起こす。

 俺が言う。

「頼む。桐壺きりつぼさん。もう少し、寝かせてくれ」

「本名の桐壺で呼ばないでください。お義母かあさんって呼んでください。ヒカルちゃん」と彼女はたしなめた。

「わかったよ。お義母さん」としぶしぶ俺は起き上がるのだ。


 彼女の本名は、桐壺きりつぼ 更沙さらさ。年齢は20歳。俺とわずか4歳違い。父の再婚相手にしては若すぎるだろう。

 だが、年齢よりももっと重大な問題があった。彼女は俺が小学生だったころ、あこがれの先輩だった。顔がチャーミングだったからな。

 考えてみてくれ。

 毎朝、初恋の相手が俺を起こしにやってくるのだ。そのたびに、俺の腹の底で、思春期特有の欲望がぐるぐると渦巻うずまいて、俺をあざ笑うのだ。なぜ、自分の気持ちを伝えないのかと。

 もちろん、義理の母親へ告白なんかできやしない。彼女は告白をしていけない相手なのだ。だから、この気持ちを封印することにした。


 それでも、なんとかやっていけると信じていたんだ。そのときの俺は。

 桐壺はそんな俺の気持ちを知らないはずだ。彼女は俺の母親になろうと努力していた。それを知っていたからこそ、俺だって、自分の気持ちをおさえようとしたんだ。


 桐壺のことを親友の遠野に相談してみたが、彼は「氏原君、慣れるより他にないね」と肩をすくめるだけだった。

悶々もんもんとした日々を過ごせと言うのか?下着姿で家の中をうろつくこともあるんだぞ」と俺は彼へ抗議した。

「しっ。声が大きすぎる」

 遠野がファーストフード店内を見渡した。さいわい、客は俺たちの会話に興味がないようだ。

 遠野は興奮気味だった俺を落ち着かせると、いろいろとアドバイスをくれた。興奮したらシャワーの冷水を浴びること、彼女があられもない姿で歩くようなら、それには目をつぶることなど。

 役に立ちそうにないが、とにかく俺は遠野に感謝した。「ありがとうな。遠野」

「わが友、氏原君のためなら、僕はどんな助力もいとわないよ」と彼は言った。

 彼の言葉を聞くと、俺はいくらか安心した。やはり、持つべきものは友達だと、俺は信じていた。そのときは。


 それから、一か月後、とんでもない事が起きた。

 この事件に比べたら、父の再婚などちっぽけなものだろう。

 ある日、突然、父から近くのホテルへ来いと告げられた。俺は学生服を着たまま、指定されたホテルのレストランへ向かった。

 レストランの席には、父と同じ年齢くらいのスーツを着た男性と、着物で着飾った若い女性が座っていた。それを見たとき、俺は何が何だかわからなかった。混乱するだけだった。


 同じ席に座っていた父が二人を俺に紹介した。

「こちらは父さんの古くからの友人で、遠野さんとおっしゃる方だ。こちらのおじょうさんは、遠野さんの娘で、あおいさん」

「こんばんは。ヒカルさん」と遠野父と娘の遠野 葵は静かに礼をした。

 アオイは着物を着てなくても、美しいタイプの女の子だった。俺の考えが間違いでなければ、俺と同い年のはずである。

 俺も父にうながされて、挨拶あいさつをした。「ええと、こんばんは。で、どういうこと?」


 父はかんたんに説明した。

 父と遠野父は旧来の友人で、昔、意気投合して、互いの子供を結婚させて結びつけようと決めた。それが、俺とアオイである。

 つまり、アオイは親が勝手に決めた許嫁いいなずけなのだ。

 俺とアオイの二人は、将来、結婚することになっているらしい。二人の父親が、俺に向かって、「さあ、ここで婚約しなさい。婚約指輪は父さんたちが用意したぞ」と言ったときには、俺の頭は混乱の頂点に達していた。

 俺は「後日、改めて……」と言いよどみながら、レストランから逃げ出した。


 アオイのことなら、知っている。

 なぜなら、彼女は、俺の親友、遠野将彦の双子の妹なのだ。

 こうして、俺の日常はあっさりと崩壊した。

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