百合好きの経緯
夕食にて、イラ先輩の母によるハンバーグをお呼ばれして、ゴキゲンな状態で執筆を再開する。
プールでリフレシュしたのがよかったのだろう。思いの外、先輩の執筆がはかどった。
橙子の指は、進んでは止まりを繰り返しているが。
「感想が来てるわ」
先輩の作品は高評価で、レビューまで付いている。
「ん? 『お前は賞にふさわしくない。今すぐ執筆をやめろ』ですって?」
ライバルと呼ぶにも不釣り合いな、陰湿極まりないコメントだ。
書いた投稿者も、実におどろおどろしいホラーを書いているらしい。しかし、応募作の中でランキングはずっと下である。
誰も読んでいないに等しかった。陰鬱な性格が人を遠ざけているのだろう。
「上等じゃない。あんたなんかよりずっと、面白い小説を書いてみせるわ!」
不愉快なコメントなどものともせず、先輩は指を走らせた。
「ちょっとアイスを取ってくるわ」
先輩は、冷蔵庫へ向かう。
「もう、アイスないなら電話くらいしてよ。外に出てるんだから買ってくるわよ」
「電話がつながらなかったんですもの」
なにか、母親と軽く口論になっているような。
戻ってきたイラ先輩が、手を合わせた。
「ごめん橙子。アイス切らせちゃってるわ。コンビニまで買いに行きましょうか?」
イラ先輩の家は、スーパーよりコンビニが目の前にある。
軽い買い食いなら、そっちで済ませてしまうらしい。
「いいですね。ちょっとしたお出かけって」
商業施設から遠い場所に住んでいる橙子にとって、あこがれの探検だ。
「便利ですよね。近くにお店があるの」
「夜中、うるさかったりするけどね」
イラ先輩が立ち止まった。
「こういうのがたまにあるから、夜に出歩くのは避けているんだけど」
コンビニの駐車場に、不良たちがたむろしている。
「いつもは、どうしているので」
「お店に入るのはあきらめて、手前の自販機で済ませるわ」
とくに何もしてこないだろうが、無用なトラブルを起こさないためだという。
「今日なら、平気ですよ」
平然と、橙子は店の前まで進んだ。
橙子のガタイを前にすると、不良の方がサッと逃げていく。
橙子は何もしていないのだが。
「あんた、こういう連中は平気なのね?」
利きすぎる冷房の風が、自動ドアから流れてくる。
「はい。父の仕事の関係で、慣れていますから」
「お父さまは、どんなお仕事を?」
「強行犯係のデカ長です」
いわゆる「部長刑事」というやつだ。
「刑事部長、って言ってあげなさいよね」
父は主に性犯罪を担当している。
父からイヤーな話ばかり聞かされていたので、すっかり男性不審に。
橙子の百合好きは、父が原因と言ってもよかった。
「強行犯、つまり殺人とか傷害事件を扱ってらっしゃるのね」
さすが先輩、作家を目指すだけある。警察の組織図にも詳しい。
「あっ、このアイスおいしそうですね」
選んだのは、ニコイチのチューブアイスだ。
「半分こしましょうよ」
「そうね。買って帰りましょ」
「わーい」
他には、オレンジジュースを購入する。
会計を済ませ、橙子たちは並んでチューブアイスを楽しんだ。
「ん?」
フイに視線を感じ、橙子は振り返る。
「どうしたの? 橙子」
「つけられている気が」
「怖いこと言わないでよっ」
イラ先輩が、橙子の手を強く握りしめてきた。
こんなときがずっと続けば……おっと。
「大丈夫です。人間相手なら、勝てますので」
「すごい自信ね」
結局、それからは視線など気にならず、無事家路についた。
さすが猛暑、数分歩いただけで二人とも汗まみれだ。
せっかくプールで涼んできたのに。
「橙子。あんた、シャワーでもしてきたら?」
「家主を差し置いて、お先にお風呂をいただくなんて」
「構わないわよ。お客さんなんだから」
ふと、橙子に名案が浮かぶ。
「じゃあ一緒に入りましょう」
「えっ、うちのお風呂って狭いわよ? あんた一人でも窮屈だと思うけど?」
「余計いいじゃないですか。密着して」
渋っていたが、イラ先輩のほうが折れた。
たしかに先輩の言う通り、お風呂はあまりスペースがない。
「だから言ったでしょ?」
「いえいえ。身体を寄せ合えばワンチャンいけますよ!」
抱き合うギリギリの状態で、イラ先輩と密着する。
「あんたって、ホントに筋肉質ね。女子でシックスパックなんて見たことないわよ」
腹筋を、イラ先輩のカワイイ指先がツンツンした。
「父に鍛えられましたから」
我が父の気迫に比べれば、不良などモヤシに等しい。
ちょうど窓の向こうにいる、小さな黒い影のように。
「ぎゃああああああああああ!」
小さなイラ先輩に、橙子は子供のようにしがみつく。
「何よ、隣で飼ってる黒ネコじゃない! おどかさないでよ!」
わめく橙子を引き剥がし、イラ先輩が窓へ。
ネコの方がびっくりして逃げていったらしい。
「あんた、不良は平気なくせに、オバケがマジ苦手なのね」
「だって素手で倒せないんですもん!」
「それが怖がる基準なの⁉」
イラ先輩がため息をつく。
「早く上がって寝るわよ。明日は早くから執筆しましょ」
「はあい」
寝室で髪を乾かしてから、床についた。
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